5月28日:たかがAIごときに 

5月28日(木):たかがAIごときに 

 

 最近、巨人軍の監督さんが辞任したそうだ。ニュースで聞いた。阿部慎之助さんという人だ。僕はスポーツには疎いからよく知らないんだけど、現役の選手で活躍して、その後、監督に就任されたそうだ。 

 この監督さんが辞任した理由は我が子への暴力だという。二人の娘さんがいて、その夜、何か姉妹で口論していたそうだ。監督はその仲裁に入ったのだけれど、長女が何か反抗したそうだ。その時に監督さんが長女をドンっと押したそうだ。長女は憤慨して部屋へ引き下がった。 

 問題はここからだ。長女はAIに相談する。AIは「児童相談所に連絡するという手がある」といった回答を寄越してきた。長女はそれに従った。間もなくして、児相から警察へ通報が入ったのだろう、監督さんの自宅に警察官がやってきた。これには長女もびっくりしたそうである。 

 翌日、彼は巨人軍の監督を辞任した。 

 

 なかなか衝撃的な事件である。この監督さんや長女さん個人に触れないように述べよう。 

 まず、AIの回答に無条件に従ってしまうというその行為がある。この長女さんだけがそういうことをするという意味ではなく、おそらくそのような基準で行動する若者はたくさんいることだろう。 

 次に、AIに従って行動したら、他人の人生を崩壊させることができてしまうという点だ。それだけではない、それは一家離散や家庭崩壊に至るかもしれない。そうなってもAIが責任をとることはない。 

 ある新聞で読んだのだけれど、AIは若者からすれば「友達」の感覚であり、大人からすれば「カウンセラー」の役割を持つように感じられているそうだ。言うまでもなく、AIはその両者になることもできないし、両者以下である。友達もカウンセラーもそんな無責任なことは助言しないだろうからだ。友達なら長女が行動に移る前に止めていただろう。カウンセラーなら衝動的にならずに熟考することを勧めたことだろう。つまり、長女さんを「守る」ような行動をするだろう。AIにそんなことはできない。 

 

 一体何が間違っているのか。 

 AIへの依存度が高いということが問題なのか。確かにそれも問題ではあろう。 

 僕は次の点を問題視する。AIは基本的には問いかけをしなければ応じないという性質を持っている。その「問い」が問題になる。自分が何かを問う場合、自分にとって本当に必要な問いを知っていなければならない。それを知っているためには、自分についての深い理解が求められることになる。深い自己理解が求められるとすれば、理解する主体がなければならない。その主体がなければ、自分を理解するという行為は生まれず、むしろ出来合いの理解を自分に当てはめるだけになるだろう。 

 僕がこの監督さんの事件で衝撃を受けたのはまさにその部分だ。長女さんの行為は(決してこの長女さんを誹謗するつもりはないことをお断りしておきたい)あまりにも自己が希薄な印象を受けてしまうのだ。ここまで自己を有さないのが現代人であるとすれば、僕は現代人に失望するしかない。そんな気持ちだ。 

 現代人の多くが驚くほど希薄な自己で生きているとすれば「一億総分裂病」時代に僕たちは生きていることになる。恐ろしいことだ。 

 

 僕はAIの何がすごいのか分かっていない。いずれAIが人間の知を凌駕してしまうなどと言われているそうなんだけれど、だから何だ、というのが僕の正直な感想だ。 

 AIはこんなことができるそうだ。例えばベートーベンでもいいのだけれど、ベートーベンの全曲を覚えこませると、AIはベートーベンの新曲が作れるそうだ。それの何がすごいのかが分からないし、そんなの別に目新しいことでもないだろうに。 

 要するに、AIがやってるのは、ベートーベンの作曲の「癖」とか「スタイル」を模倣し、過去作品から旋律をアレンジしてつぎはぎするだけであって、ベートーベンが本当に作曲したものではない。要するに、ベートーベンの新曲ができるのではなく、イミテーションができるだけのことである。有名作曲家を模倣するなんて例はいくらでもある。過去に多くの音楽家がやってきたことをAIもできるというだけのことではないか。 

 

 ちなみに、AIは「カウンセラー」にはなれない。これは断言できる。これは簡単に断言できることである。というのは、AIは何よりもクライアント(質問者)の「状況」を考慮しないこと、そしてAIは「象徴」を理解できないことのためである。さらに言えば「転移」を考慮することもなければ、「理解」や「解釈」を投与することもない。AIは自ら思考することがない。対話型AIと言っても、本当は対話は成立していないのだ。成立しているように見えるだけなのだ。仮に対話が成立しているとしても、そこには人格的な交わりがあるのではなく、言葉でのやりとりが生まれているだけであり、いわば「我とそれ」の関係様式でしかないのである。そのような関係様式しか生み出さないツールにどうしてそこまで信奉し、熱中するのか、僕には意味がわからないね。たかがAIごときに夢中になるなんて愚の骨頂に思えてしまう。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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