<T026-01>衰退の道(1)~Neo ・Moral Insanity 

 

 現代の精神医学の祖ともいえるピネルは精神病を分類した際に、マニーの下位概念として「デリールを欠くマニー」なるものを提唱した。これは当時、賛否両論を巻き起こしたという。 

 それもそうである。感情が高揚して激情的になって喚いたり騒いだりしている人(これがマニーに該当する)を見れば、だれがどう見てもこの人は理性や悟性・知性を喪失している(これがデリールに相当する)ことが分かるものである。デリールを欠くマニーとは、理性を失わないで激情的になっているということなので、これは矛盾があると当時は感じられたのだろう。マニーのあるところ、必ずデリールがあると信じられていた当時の精神医学に対して大胆な説をピネルは打ち出したわけだ。 

 一方でピネルのこの概念に賛同した人たちは、この概念を継承し、さらに洗練させ、明確に概念化していった。その一人にイギリスのプリチャードがいた。 

 プリチャードは精神障害を知性障害と情動障害に分け、後者にMoral Insanityという名称を付した。19世紀の半ば頃のことだ。この時、プリチャードは知性の障害やそのほかの精神症状が認められず、情動にのみ障害が起きているということをMoral Insanityの前提条件とした。 

 ドイツにおいては、最初はMoral Insanityについては懐疑的であった。しかし、モレルの変質論やロンブローゾの生来性犯罪者理論などを輸入していく中で、徐々にこの概念も浸透していったそうである。 

 しかし、ドイツの医師たちはMoral Insanityに別の意味合いを付与してしまった。プリチャードの言うMoralは感情を指していた。Emotionなんかと同義のものであった。ドイツはMoralという単語をそのままの意味で採用したのだ。つまり、「道徳」の意味で翻訳したわけだ。 

 日本はドイツの精神医学を取り入れたので、このMoral Insanityは「背徳狂」だの「道徳性狂気」だのといった言葉に翻訳されたのである。 

 まあ、考えてみれば、道徳的な人というのは感情的にも安定している人であるから、そう考えると、プリチャードのMoral Insanityは「道徳」性に関する障害と認めることもできないことはないと思う。 

 

 最近、かつてのバカッターが復活しているそうだ。バイトテロなどと今では言うらしい。アルバイトの勤務中にバカなことをやって、それを動画に録画し、ネット上で公開するというようなことをやるらしい。 

 19世紀の精神科医が彼らを見れば、彼らをMoral Insanityと診断するのではないかと思う。バイトテロだけではなく、煽り運転とか、児童虐待とか、その他の暴力沙汰の事件であるとか、すべてMoral Insanityと診断されるのではないかと思う。 

 

 Moral Insanity概念は「部分的精神病」に区分されていた。障害は認められるが精神病とまでは言えないということである。かつて、モレルの変質論の影響もあって、この区分に含まれる人たちは「変質」と表記されていた。つまり、当時の精神医学は「狂気」と「健常」の中間に「変質」という概念があったわけであり、Moral Insanityは変質のカテゴリーに分類されていたわけだ。。 

 クレペリンも、初期の頃は変質概念を採用していたけど、この変質並びに「部分的精神病」という概念は「精神病質」へとまとめられ、後に精神病質は「人格障害」へと発展して、現代に至っているということだ。かつてのMoral Insanityは「反社会性人格障害」などに収斂されていったのである。 

 

 ニュースやワイドショーでバイトテロの動画を見るたびに、Moral Insanityを僕は連想する。もう一度、19世紀のこの概念を復活させた方がいいのではないかとさえ思えてくる。19世紀の精神医学の観点に立てば、バイトテロの連中や煽り運転の連中なんかは「変質者」になるのである。 

 そういう「変質者」をテレビで毎朝のように見る。最悪の世の中になったものだと日々思う。 

 

(付記) 

 Moral Insanity等の精神医学的記述は武村信義著『精神病質の概念』(金剛出版)を参照しました。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

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