4月6日:ミステリバカにクスリなし~『埴輪の柩』 

4月6日(月):ミステリバカにクスリなし~『埴輪の柩』 

 

 島田一男の『埴輪の柩』を読む。副題として「縄文殺人事件」とある。数年前に古書店で見つけて、いつかちょっとした息抜きで読もうと思っていた本だ。今回、ようやく手を付けることができた。 

 

 物語は科学捜査研究所の近江警部が久しぶりの休暇を過ごすところから始まる。そこへ、彼の部下でもある、浜松技官から連絡が入る。群馬県で宅地造成現場から石棺に収められた白骨死体が発見されたという。死体は女性であるようで、縄文時代の石斧によって死んだものであるようだ。近江警部は興味がてら浜松技官に同行して群馬県まで足を延ばすことになったのだが、この白骨死体は縄文時代の遺跡どころか、5年ほど前に殺された人物であることが判明する。 

 近江警部と浜松技官は、休暇を楽しむのと同時に、群馬県警の捜査に協力することになった。白骨死体は猿が京温泉の楓林荘の女将であったお沢であることが判明する。 

 楓林荘の先代は都関三左衛門であり、彼には二人の子がいた。お沢と弟の一也である。一也は精神的に薄弱であり、お沢の婿養子となった勝也が楓林荘を引き継いでいた。一也は女中の洋子と結婚している。お沢、一也、勝也、それに洋子の入り組んだ愛欲関係が事件の背景としてある。翌日、一也が殺され、続いて勝也が殺される。5年前の殺人事件の発見を発端として、一連の連続殺人事件の幕が切って落とされた。 

 

 それぞれの殺人事件は、殺人のあとに装飾が施されているのが特徴的だ。お沢は砒素で殺された後、石斧を撃ち込まれて石棺に入れられていた。一也は睡眠薬入りウイスキーを飲まされ、眠っているところを千枚通しで胸を刺された後、そこに縄文時代の鏃(やじり)を差し込まれ、勝也は一酸化炭素中毒死させた後、埴輪に詰められて、頭を銅剣で割られていた。ちなみにタイトルである『埴輪の柩』は勝也の事件から取られていることになる。 

 そして、最後に洋子もまた殺され、縄文時代にできた洞穴の中で死体が発見される。容疑者、関係者が全員殺された後、真犯人が暴かれるという構図である。 

 

 本作はいつ頃の作品であろうか。詳しい解説が無いので分からない。この文庫本は昭和55年に初版が出ているから、実際の執筆は1970年代といったところだろうか。作中に高齢の登場人物が電気を「エレキ」と呼び、それを他の登場人物が古臭い表現だと言っているところからして、1970年代の作品であることが伺われる。 

 戦後派五人衆の一人だった島田一男であるが、どうも本作では精彩を欠く。推理小説に対する情熱が冷めてきたかと思うほどである。 

 発端の「掴み」はいい。工事現場から白骨死体が出てきて、それが五年前のものであったということから主人公たちが捜査に関与していくくだりは自然に読める。しかし、普通に殺した後、縄文時代の遺物で死体に装飾を施すことに関しては、その論理的な必然性がまるで綴られていない。僕の読み落としとかがあったら申し訳ないが、犯人がどうしてそのような装飾を施さなければならなかったのか、その必然性とか理由が明らかではない。 

 さらに言うと、本作はかなり「尻すぼみ」の印象を受ける。ラストでバタバタと急展開して終わるといった感じが濃厚である。冒頭の近江警部と伯母ののんびりしたやり取りなどで紙数を費やしてしまったのか。 

 また、本作の設定上の制約でもあるのだが、主人公たちの休暇中での事件であり、管轄外の事件でもあり、彼らはあくまで協力者である。実際に事件を捜査するのは群馬県警である。どうも主人公たちと事件捜査との距離が広い。要するに、主人公たちは捜査の脇役を担っている印象が強いわけであり、そこもまた僕の中では興味が縮小したところであった。 

 

 推理小説としてはいささか難点もあるのだけれど、いろんな雑学が楽しめる。科学捜査に関すること、縄文・弥生時代に関することなどもそうだ。現代ならDNA鑑定すればいいだけのことなんだけれど、昔は血縁関係を調べるのに血液型を用いていたのだが、それに関する雑学も得られる。舞台となった群馬県のことやその歴史に関することも興味をそそられてしまった。 

 そこは猿ガ京という場所である。どうしてそのような地名がついたのかを主人公たちから尋ねられた按摩が話す伝説が一番面白かったかも。それは次のような伝説である。 

 戦国時代に上杉謙信が度々この地域に攻め入っていた。この地域に宿泊した時に、謙信はある夢を見る。それは広い御殿の中で謙信が一人で座っていると、美しく着飾った女性たちが七五三の御膳を持って現れ、謙信の前へ並べた。それを食しようとして箸を取ろうとしたところ、箸が一本しかなかった。しかも、まだ何も口にしていないのに、謙信の歯が八本ポロポロと抜け落ちた。この夢が気になった謙信は、知恵者である直江山城守(なおえやましろのかみ)に、この夢を話した。城守はそれは吉夢であると説く。箸が一本なのは「片端」という意味で、この地域を片っ端から手に入れることを告げているという。八本の歯は関八州の攻略を表わしているということになる。これを聞いた謙信は大いに喜び、申年生まれの謙信は、今日は申の日であり、この日にこのような吉夢を与えられたことを祝ったことから猿ガ京(申が今日)という地名がついたという。 

 なかなか面白い夢分析である。城守は謙信の機嫌を損ねないようにしたのだろう。僕の見解では真逆である。箸が一本しかないということは、そのごちそうに与ることができないことを表わしており、歯が八本抜け落ちることは関八州が彼の所有にならないことを表わしているように思う。さらにその御膳が七五三のものであるという。この七五三の御膳を召し上がることができないわけだから、早くて3年ないしは5年、長くて7年のうちに関八州を手中に収めるという野望が失敗に帰するであろうことを暗示しているように僕は思うのだが、いかがなものだろうか。 

 

 それにしても、推理小説を読んだはずなのに、肝心の推理の部分ではなく、周辺の雑学に興味が持っていかれるとは。既述のように、小説としても「尻すぼみ」感があってバランスが悪い印象を受けるし、それぞれの事件における論理的必然性が欠けているように感じられるし、主人公たちが直接事件の捜査に関わらないという難点もある。ベテランの推理作家さんの手による作品なんだけれど、本作はちょっと今一つといったところだ。 

 もちろんこれは僕の個人的な感想なので、人によっては本作を面白く読んだという人もあるだろう。まあ、僕の唯我独断的読書評価は2つ星半といったところである。 

  

<テキスト> 

『埴輪の棺(縄文殺人事件)』島田一男 著 

春陽堂 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

関連記事

PAGE TOP