6月25日:腰を落ち着けるはずが 

6月25日(木):腰を落ち着けるはずが 

 

 深夜勤務明けで職場に来た。まず深夜勤務のことから述べようか。8時間、ほとんど休憩なく、ほとんどワンオペの日だった。おまけに30分ほど残業する羽目になった。最後はクタクタになっていた。 

 どういうわけか妥協しようという気持ちがあまり生じない。仕事がたくさんあるとなると、それは僕には一つの挑戦のような感覚を生み出す。それだけ僕に課してくるなら受けて立とうじゃないかって気持ちになる。目の前に困難があると、それに立ち向かいたくなる気持ちが生まれる。我ながら不思議なものだ。状況が過酷なほど燃えるといったところが僕にはあるようだ。追い込められると本領を発揮して、そのために自から自分を追い込むところがあるようだ。このことは過去に何人かの人から指摘された言葉であるが、自分でもそういうところが確かにあるなと腑に落ちる。 

 ともかく深夜勤務はきつかった。そのまま帰宅して寝たいくらいだったが、今日はどうしても職場に出なくてはならない。仕事が入っているわけではないが、いくつかの用事があるためだ。 

 勤務後、30分ほど休憩して、それから職場に向かう。電車は敢えて各駅停車に乗る。ラッシュ時間に差し掛かろうとしていたが、幸運にも座ることができた。いつもならここで本を取り出すのだけれど、今日は仮眠の時間に充てた。 

 

 8時前に入室。迷ったけれど朝食を買いに再び外出する。タバコもついでに買っておくことにした。タバコのような嗜好品があると、とかく面倒である。面倒だと体験していながら止めようという気もない。こういうのは不思議な感覚がある。 

 腹が減ってたのでカップ麺をガッツリ食う。アルバイトで8時間勤務したのと同じだけの時間を本業の方でも費やす。8時から16時までは作業をすると決めている。 

 高槻へ来ることになった用事そのものはすぐに片が付いた。あとは自分自身のために時間を使う。 

 まずは勉強からだ。7月はカウンセリングを再び学びなおそうと思っていたが、フライングして、今日から始める。最近、カウンセリング熱が僕の中で再燃している。鉄は熱いうちに打てということで、熱が冷める前に着手しておいた方がいいというのが僕の持論だ。 

 しかし、今日から始めるといっても、何から手を付けていいか分からない。一応、ロジャースから始めようと漠然とは決めていた。ロジャーズ全集を僕は5冊所有している。その他に2冊コピーした分がある。この7冊を行ったり来たりしてしまう。今日はそんな感じだった。結局、散漫な形になってしまった。一度、腰を落ち着けようということで、このブログを書いている。 

 

 僕の人生はもうあと残り少ないと感じていながら、長生きしたい自分もある。後者の感情があるから勉強しようとか、復活しようとかいう動機が生まれているのだけれど、どうしても僕の中に矛盾するものがある。人生を早く終えたい自分とできるだけ長く生きたい自分とがせめぎ合ってるようだ。 

 7月といわず、8月も9月も、3か月ほどかけてカウンセリングを習熟しようと思う。もちろん3か月先のことは分からないけれど、頭の中でそう描いている。 

 そう言えば、人間の達成動機に二種類設定する人もある。外的な達成と内的な達成である。外的な達成というのは、何でもいいのだけれど、試験に合格することとか、金持ちになることとか、出世することとか、結婚することとか、そういう外的な目標達成のことである。内的な達成というのは、ひと言で言えば、自己向上に関わる目標である。何かができるようになりたいとか、知識を深めたいとか、見聞を広めたいとか、体を鍛えたいとか、きれいになりたいとか、そういう自己に関する達成のことである。 

 ひきこもりの人たちが何かを始めるとか、動き始めるとかいう場合、内的なことを最初にやろうとする。これは僕の経験では確かなことである。ある人はトレーニングを始めるし、別の人は勉強を始めることもある。趣味に力を入れるようになることもあれば、技能を伸ばそうとする人もある。外的な目標や必要性もないのに、そういうことを始めるわけだ。 

 外的な達成と内的な達成とでは何が違うのかと言うと、それは圧力の違いであり、不安の有無の違いである。試験に合格するという外的な目標達成の場合、その試験の日時は決定されているのであり、その日時に自分を間に合わせなければならないことになる。内的な目標達成は、それに比べると、はるかに不安や圧力が少ない。というか、まったく無いといっていい。だから、その目標を達成してもしなくても、当人にとってはなんら困ることがないということになる。 

 今の僕もいささかそれに近い感覚がある。勉強も読書もすべて自分のためである。まずは自分のためにそれをして、それで得たものを今度は人に役立てようと思うわけで、徹頭徹尾僕自身のためにやってることである。 

 でも、そうなるとここでまた矛盾を僕は経験する。内的な目標達成なら圧力も不安も生じないはずなのに、僕の中ではそれらが生まれる。焦燥感に駆られ、一つ所に腰を落ち着けることができず、一冊ずつ勉強すればいいところのものを7冊くらい同時進行させてしまう。蓋を開けてみれば、今日は一体何をやったのだろうと呆然とする自分を発見する。落ち着かなければ。気持ちだけ先走りし過ぎているようだ。 

 それにしても、今日のブログはロジャースの本にかなり影響されているな。自分でもそれを感じているのだけれど、それでいいと思っている。ロジャースの本は実際のカウンセリング場面の逐語録とかクライアントの感想や発言で満ちている。そういうのを読むのも勉強になる。 

 実際そうである。上手なカウンセリングのやり取りは、それを読むだけでかなり身に着くところのものがある。僕の実体験ではそうだ。上手な人のやり方を読むだけで、僕のやり方に変化が生まれるのだ。もっともその変化は付け焼刃みたいなものだから、すぐに元の木阿弥みたいになってしまうのだけれど。同じように、カウンセリングで好ましい経験をしたクライアントの言葉を読むだけでも、僕の中に洞察やインスピレーションが生まれる。そうなると、僕の中でモチベーションがますます高まる。それが高まりすぎて今日は困った感じになってしまったが。モチベーションもほどほどの高さが良いようである。 

 

 とりとめもなく綴ってしまったな。本の中のクライアントたちが自由に語っているのを読んで、それに感化されてしまったかもしれない。これもまた僕の中では不思議な感覚がある。僕は自分では自我境界が非透過的だと思っているのだけれど、こういう場面ではとても透過性が高いようだ。自我境界の硬さも場面によって変わるものだと思う。それは境界が柔軟であるということにしておこう。 

 

 さて、今日は気持ちだけ騒がしいので、話が尽きそうもない。このまま延々と書き綴ってしまいそうだ。腰を落ち着けるために書き始めた今日のブログだったけれど、どうやらその目論見は達成されず、落ち着かない内容になったかもしれない。ここは意を決して筆を置こう。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

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