6月26日:体験を失う恐れ 

6月26日(金):体験を失う恐れ 

 

 今日は家のことで忙しい一日となった。 

 相変わらず深夜勤務をする。今のところ休みがなく、現時点では16連勤が確定している。次の休みはいつになるか不明というありさまだ。僕としてはそれでも構わない。夜間に時間があると飲みに行ってしまいそうだ。深夜勤務をやってると飲酒量がかなり減るのは確かで、それだけがメリットだ。 

 勤務終了後は少し残る。今日は店でちょっとしたイベントがある。多少はその手伝いをしてもいいとは思っていた。案の定、リーダーは人をこき使いおって、それにはアタマに来ることもあったが、人をこき使う人間がどういうタイプの人であるかの研究にも役立った。その一つのタイプは「自分だけがしんどい」などと信じてる人だと僕は思っている。 

 

 朝、帰宅。朝食をいただく。家にいると、ともかくテレビがついているので、見るともなく見てしまう。今、台風が二つできているという。珍しい現象であるようだ。南米では大地震が発生したという。日本でも地震はあったが、自然災害の報道が続く。今後もそういう報道は続くのだろうなという妙な予感がした。日本だけでなく、地球が住みにくくなってきたと感じるのは僕だけだろうか。 

 朝食をとりながら、すでに寝落ちしていた。先に寝ることにする。すごく不思議で神秘的な夢を見たのだが、忘れてしまった。もったいないことをした。予定を遅らせてでも書き留めておくべきだった。 

 僕が残念に思うのは、僕の中から生み出されたものが失われてしまうことだ。夢もそうであるし、思考もそうだ。日々の経験も同じである。それらは何らかの形で残しておきたい。僕の中から産出されたものから貴重な何かがさらに生まれるかもしれない。それを思うと何一つとして失いたくない。 

 

 いくつか家の用事を済ませると夕方になっていた。ここからが僕の時間だ。本業のカウンセリングに関する勉強を始める。昨日ほど時間が確保できなかったし、どうにも気が散ってならなかった。あまり得るところは多くはなかったが、それでも構わない。とにかく続け、前へ進んでいくことだ。停滞してしまうことだけは避けたい。 

 

 家にいると音楽も聞いてしまう。BGM代わりに音楽をかけるのだけど、腰を落ち着けてじっくり聴くのでなければ、これまであまり聴かなかったものを聴くことにしている。つまり、あまり好きではない作品、ちょっと苦手だなという作品をそういう時にはかける。  

 今日のチョイスはキング・クリムゾン『太陽と戦慄』だ。キング・クリムゾンは初期の作品はいいが、その後の作品はどうも苦手だ。クリムゾンファンにはお叱りを受けるかもしれないけれど、どうも技巧的すぎるのだ。「俺たちはこんな凄いことやってんだぜ」っていうような高慢さを感じてしまうのだな。そこはピンク・フロイドと違うところだ。また、初期作品ではその世界観も魅力だったのだが、ピート・シンフィールドがいなくなってそれもなくなったのが残念だ。 

 2枚目のチョイスはギル・エヴァンス・オーケストラの『Out of the Cool』だ。インパルスレーベルの作品だが、このインパルスレーベルというのも苦手だ。レニー・トリスターノとかリー・コニッツとか、そういう前衛的なアーティストの作品を多く発表したレーベルだ。本作も前衛的すぎてどうにもついていけないところがあった。しかし、今日聴いてみて、案外悪くないかもしれないと思った。それでもう一度聞きなおす。しばらく集中的に聴いてみようという気になった。 

 最後はアート・ブレイキーの『バードランドの夜1』だ。好きなのを最後に聴いておこうと思った。やっぱりいいなあ。 

 

 このブログで音楽のことを取り上げようと思った。いくつか原稿もできているのだけれど、公開するのは控えていた。僕の音楽の聴き方が自分でもおかしいなと思うことがあって、それで躊躇してしまう。それでも構わないか。個人の趣味なんだから文句はないだろう。一つ、僕の中で課題が生まれた。これらのブログ原稿を読み直して、公開していくことと同時に、新たに作成しよう、と。 

 

 その他、今日のことで何かなかったかな。 

 そうだ、昨晩から今朝にかけて雨がきつかった。4時ころが特に激しかった。台風の影響で、雨が続いているのだけど、激しさはましになってるように思う。 

 雨が降るとウーバーの注文が増える。あれは結局、買い物の代行である。 

 代行業というのが流行ってるらしい。お墓参りを代行する業者もあるそうだ。遠方だからとか病気中だからとか、さまざまな理由で墓参りできない人に代わって墓参りをしてくれるそうである。どうしてもという理由があるなら仕方がないとは思うのだけれど、僕自身は代行には賛成できない部分がある。 

 会社の辞令とか、人への謝罪とか、そういうことまで代行する業者もあるそうだ。便利だと思うかもしれない。自分の代わりに誰かがやってくれるのだから確かに便利だろう。だから利用者も増えているそうである。 

 問題は、便利さではなく、体験である。代行してもらえるということは、当人はその体験をする機会を失うことになってしまうと僕は思う。体験ということがそんなに大事なのかと問われれば、僕はそんなに大事なことだと答えたい。 

 若い人は映画なんかでも倍速で見るという。タイパがいいというのがその理由だ。早送りで映画を観て、それで何が残るのだろうと僕は思う。時間をかけても一本の映画を鑑賞して、作品を体験することの方が価値があると僕には思える。倍速で観るっていうのは、それは映画を鑑賞したというよりも、この映画作品を見たという履歴を残しているだけではないだろうか。そうであるとすれば、現代人というか今の若い人は、かなり自己疎外しているとしか思えないのであるが、時間よりも自己疎外の方を優先するところが僕には恐ろしい。その行きつくところのことを知らないのだろう。 

 そうだ、ウーバーの話だった。雨の中、買い物に出るのは億劫なものである。代行してくれたらありがたいというのも分かる。でも、欲しいものがあれば、自分の足で買いに行って、そのために多少の不便も経験する方がいい。雨降りに買い物に行く。不便だし、困ることも多いが、自己肥大を抑えるためにはそういう経験をした方がいい。自力ではどうにもできないことがあること、自分で負わなければならない面倒があること、それらを体験を通して知ることは重要なことだと僕は思う。 

 

 自分の中に生まれた体験や思想などを失うことを僕は恐れている。今日、僕の中で生まれたのはこれで全部だろうか。当然、全部を書き残すっていうのは不可能なことなんだけれど、できるだけ喪失は防ぎたいと思う。まあ、でも、今日はこれくらいでいいか。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

 

 

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