<#008-37>子の病理・問題(2)
(人格水準の程度)
私たちが日々の営みを送り、働き、生きていくためにはある程度の心的緊張感を保たなければなりません。それはある程度の高い人格水準を保っていることを表しています。病態水準は病理面から照合する水準でありますが、人格水準は病理とは無関係の水準として私は捉えています。
人格水準が低下すると、高度な人格水準を要する活動が不可になってきます。例えば、約束が守れなくなるとか、日常生活の規律性が保てなくなるとか、複雑な活動はできず単調な活動に延々と従事するといった傾向が見られるのです。
息子Dはマンガやアニメに没頭し、さらにはゲームを延々として一日を過ごしていました。日常生活の最低限の営みでさえ困難なこともありました。私はこれを人格水準の低下として理解しました。
人格水準、あるいは心的緊張力が低下する一つの要因は、心的エネルギーの浪費に求めることができます。無駄(と言ったら言い過ぎかもしれませんが)な活動に、当人をしてどこにも導かないような活動に過剰なエネルギーを浪費するわけです。それは後に述べる強迫的行動であったり、自己への没頭であったりすることもあります。
娘Aは母親がいかに育児に失敗したか、あるいは自分がこうなったことの原因をひたすら追求していました。それに没頭することで疲弊してしまうようでありました。
娘Bは、それとは違った没頭を示し、彼女を襲う強迫的観念との無益な戦いに全エネルギーを消費するかのようでした。
人との約束を守るというのは高い緊張力が要請されると私は考えています。約束の日時を守らなくてはならず、その時間を確保しなければならず、その場所に間に合うように行動することが求められるからであります。子たちはしばしば約束を守れないというエピソードを有しているのですが、私はそれは心的緊張力の低下、人格水準の低下がもたらしているものと理解しています。
また、人格水準の低下は、単調な活動は延々と続けられるとしても、少し複雑な活動になると持続できないといった現象をもたらします。何かを始めても長続きしないとか、途中で頓挫するといったことが生じるのです。子たちがひきこもる以前にそれが認められることがあり、職場や学校での活動に困難を示していることがあるのです。
娘Aは、引きこもり状態でありながら、さまざまな活動に手を染めた経緯がみられるのですが、どれもそれほど長続きはせず、一過性のもので終わっているようでありました。心的緊張が維持できないのであろうと私は考えました。
(自我境界の状態の程度)
次に自我境界という概念を取り上げるのですが、これは内と外との境界と内にあるものどうしの境界という二つの側面があります。前者を自我外境界と、後者を自我内境界と私は呼んでいます。
この境界の堅固さを「透過性」で表現します。これは透過性が高いか低いかといった表現をします。以上を組み合わせると、自我外境界の透過性が高いまたは低い、自我内境界の透過性が高いまたは低いという4つの在り方を想定することができます。
自我外境界の透過性が高い場合(境界が透過的)、外界の刺激は当人には大きな刺激となり、大いに影響されることになります。外界の事物が内面にまで速やかに侵入・浸透するといった体験をすることでしょう。また、内面のものが容易に流出し、外的事物と心的内容物とが混合するなどのことが生じるでしょう。
自我外境界の透過性が高いために、内面と外界との間で流出・侵入が容易に生じ、自他未分化の状況を生み出すでしょう。自己を確立するためには、ある程度しっかりした境界を有していることが不可欠なので、透過性の高い脆い境界は自己を不鮮明にすることにつながります。そうなると自分が分からないといった体験につながるのであります。
また、関係性においては、自他未分化であることに加えて、飲み込みあうような関係になることもあります。娘Cは何が母親のもので、何が自分のものであるかが判然としていないようでした。母親の期待は速やかに娘Cの心に浸透し、それが母親の期待なのか自分の期待なのか不明瞭になるようでした。母親Cは娘のそういう現象を目にしては娘は素直だと評価していたのでした(このことは母親C自身の自我外境界の透過性が高いことを示唆している)。
第三者が混合するという例もあります。母親Aは娘Aの話を聞いていると混乱してくると訴えたことがあります。娘Aが誰のことを話しているのか分からなくなるというのです。前の彼氏のことを話していたのに、他のボーイフレンドのことや小学生時代のクラスメートの男児の話になっていたりするそうです。娘Aの中では、彼氏、ボーイフレンド、クラスメートの境界が失われ、混合するのでしょう。また、娘Aには人物誤認もみられたのでした。外界の事物間の境界が透過的であったと思われるのです。これは自我外境界であり、一部は自我内境界に属しているとも言えるかもしれません。
同じく娘Aですが、彼女はニュースで家宅侵入した強盗事件を見て、家の防犯設備を親に強要したのでした。鍵は厳重でなければならず、防犯カメラは至るところに設置しなければならず、窓という窓にはすべて鉄格子をつけなければならないとまで言い張るのでした。当然、親はそこまでできないのですが、できないと言うと娘Aは激しく怒りだすのでした(万能な親イメージの損傷)。なんとか少しずつ実施していくという約束をしたのですが、鍵を新しく変えたころには、娘Aの防犯熱は冷めていました(人格水準の低下)。彼女はテレビでニュースを見ただけなのですが、その刺激が速やかに彼女の内面にまで浸透し、感情をかき乱したようでした。自我外境界の透過性が高いと思われるエピソードでありました。
今述べたのは外から内への侵入でしたが、内から外への流出・漏洩エピソードも娘Aは事欠きませんでした。彼女は病院をいくつか巡った経験があるのですが、医師やスタッフに対してはいい印象を有していませんでした。スタッフが攻撃的であるとか、若い男性スタッフが好色的な目で眺めてくるとか、医師は治療を長引かせて儲けようという悪徳医師であるなどと言うのです。母親Aの話では決してそんなことはないと言うのです。私も母親Aの言うことを信じています。むしろ、娘Aが自分の内にある攻撃的感情、性的感情、悪意などをそれぞれの相手に投射しているのであります。
自我外境界の透過性が高い場合、外界の刺激が多大に浸透してしまうので、しばしば傷つきやすさとして認められることがあります。些細な言葉であれ、深く影響し、心に突き刺さってしまうわけであります。自我外境界の透過性が高いというのは、ある意味では、外界に対して無防備状態になると言えるわけであります。従って、こういう人は外界を脅威に満ちた世界として体験することが多いだろうと私は思うのです。彼らが引きこもらざるを得なくなる一因であるように私は思うのです。
(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)