<#008-35>親カウンセリングの初期段階
ここでは親カウンセリングの過程について、その初期の段階の話を綴っております。すでにいくつかのことを述べましたが、抜け落ちたところを補足しながら、少しまとめておこうと思います。
(援助するのは親である)
親カウンセリングではクライアントは親であり、私はその親のために仕事をします。決して子のためにカウンセリングをするのではありません。冷たく聞こえることと思いますが、その姿勢を保っておかないと、このカウンセリングが誰のためのものであるかが不鮮明になるのであります。自他未分化の状態(子と母の状態でもあります)の延長となってしまうので、反治療的営みになってしまうからであります。
私が援助するのは親であり、子ではないのです。しかし、子のことも視野に入れなくてはいけなくなるのです。子は親と共倒れしようと意に介さない(ように私には見える)のですが、そうならないためにも親を援助しなければならず、そのためには子のことも視野に入れなければならなくなるわけであります。
(母親の望むもの)
子供は引きこもっている状態にあります。母親たちは子に社会に出てほしいという願いも持っていますが、どちらかと言えば、それは副次的な願望であります。母親はむしろ子との関係が良好になること、少なくとも自分が困らされない程度に子との関係が回復することを望んでいることが多いのであります。子を含めて家族全員が仲良くなることを望んでいることも多いのです。
従って、子を「治す」ことではなく、母親の望むところのものを実現していくことが、親カウンセリングでは目指されることになるのです。子との関係改善のためにも子のことを理解する必要が生じるのであります。
(子のことで心が占められている)
カウンセリングを受けに来る母親たちは子供のことで心を占められているためもあってか、子供に関する話ばかりをすることが多いのです。カウンセリングの初期の段階ではもっぱら子供のことが話し合われることになります。
個人的には親自身のことをもっと知りたいとも私は思うのでありますが、私のその願望はひとまず先送りすることになります。母親が子供のことを話したいのであれば、十分に話してもらえたらそれでいいと私は考えています。
(母親の不安と焦慮)
カウンセリングを受けに来る時点で母親は子に対して否定的な感情を高めていることがけっこう見られるのです。母親も人間であるので、たとえ我が子でも否定的な感情を抱いてしまうことはあるでしょう。
子のことで不安や恐怖に怯えている母親もおられます。母親Aと母親Eは子の暴言に怯えていました。母親Bも娘から送られてくるメールや電話を恐れていました。
焦燥感に駆られることもあります。母親Cは娘のことで居ても立ってもいられない気持ちになり、なにかと娘のことに介入して(急かして)しまうのでした。母親Dは部屋に閉じこもっている息子のことで焦燥感を覚えるのですが、それにも関わらずのほほんとしている息子を目にすると憤りを覚えてしまうと打ち明けました。
そして、どの母親も子がこの先どうなるのだろうといった不安を抱えていました。
一部の母親は罪責感を抱いていました。子供をこういう状態にさせたのは自分のせいではないかと思い込んでしまうのであります。決してそういうわけではないのですが、心理学者や教育学者がそういう理論を口にするのでそれを鵜吞みにしているような母親もあります。本節で取り上げている5人の母親にはその種の罪悪感はあまり見られなかったのでありますが、その感情を強く体験している母親もおられるわけであります。
(否定的感情の低下と安心感の上昇)
不安や恐怖、焦燥感、罪悪感など、母親が抱える否定的な感情が低下することがこの段階では肝心であります。これらの感情のために母親は落ち着いて考えることもできないからであります。それらの否定的感情を消失させることよりも、安心感や安全感の獲得が目指されることになります。母親の安心感が増すほど、それらの否定的な感情は低下し、影を潜めていくことになります。
一般的に言って、援助を受けるということそれ自体が当人に安心感をもたらす体験となります。援助者が支持的であるほど被援助者の安心感が獲得されるのであります。
また、子のことや問題の理解が進むほど母親の安心感が増すのであります。理解を通して展望とか見通しのようなものが得られると、さらに安心感が増すのであります。
母親に安心感がもたらされると、母親に、気持ちの上でも、余裕が生まれるのであります。そうすると問題に対して、あるいは子に対して、より適切な態度で臨むようになるのであります。つまり、安心感の獲得は、否定的感情を薄めるだけでなく、母親の問題に取り組む姿勢や態度をも変えていくことになるわけであります。
(問題と本来的な子)
母親は子の何を理解する必要があるのかというと、問題の本質であり、本来的な子の姿であります。私はそれを重視しています。
本来的な子の姿に関しては、最初からそれを取り上げることもあれば、ある程度後になって取り上げることもあります。直接的にそういう質問を母親に投げかけることもあれば、間接的あるいは婉曲的な形で問うこともあります。また、こちらが問わなくても、母親の話の中に表現されていることもあります。
また、問題の本質的な部分が把握できれば、子への対応が少し楽に感じられる例が多いようであります。ただし、これはもっと後の段階で見られることが多く、初期段階を記述している本節では取り上げていなかった内容であります。
本来的な子の姿がイメージされ、その姿が現在の子にも見ることができるという経験は、母親の子への愛情が復活することになります。愛情とまでは言わなくても、少なくとも子に対する否定的な感情からは抜け出ることができるようであります。
自分自身や子に対しての否定的な感情から解放されること、それによって母親の安心感が増すこと、これが初期の段階で達成する目標になるのであります。
(抵抗は少ない)
あと、私がお会いする限りでは、母親たちはカウンセリングやカウンセラーに対しての抵抗感は少ないように思います。カウンセリングを受ける動機づけが高いほど抵抗感は少ないようであります。
加えて、母親たちはカウンセリングよりも子の方に抵抗感を覚えていることもあります。そのこともカウンセラーとのラポール形成を容易にしているように私は感じております。
さて、私たちは次の論に移っていきたいと思います。子が示す「問題」を取り上げることにします。
(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)