<#008-32>子の理解(1)
(カウンセリングの開始)
親がカウンセリングを受けることを決意して、予約を取ります。そこから初回面接までの間にどのようなことが起きるのでしょう。母親の中では期待や不安が渦巻いているかもしれませんし、子の反対や妨害に遭遇しているかもしれません。さまざまな思いを抱えながらカウンセリングに足を運ばれるのでしょう。
そうして親カウンセリングが始まります。初回面接で、母親たちは、大抵の場合、開口一番に「子供のことで」と打ち明けるのです。そこから子供の現状が語られることになります。
初回面接をはじめ、初期の段階ではひたすら話の焦点が子供に当てられることになります。子のことが母親の心を占めているためでもありましょう。話す内容は子供のことに集中し、母親自身のことはほとんど語られることがない、もしくはわずかに語られる程度であります。
(ケースについて)
私は以下においていくつかの実例を挙げながら論じることにします。5人の母親を取り上げようと思います。必要に応じてその他の母親たちの例を挙げることもあるでしょう。
この5人をABCDEとしておきましょう。母親Aと娘A、母親Eと息子Eといった表記をします。この5組の親子について、基となったクライアントはおられるのですが、他の母子のエピソードなども交えています。従って、この5組は複数の母子の合成であります。
子ABCは娘であり、子DEは息子であります。それぞれの年齢は20歳代から30歳代であります。引きこもりの状態になっている期間は(カウンセリング開始時点において)数年以内であります。娘Cがおよそ1年程度で5人の中では最も短く、その他の子たちも3年から5年程度の引きこもり期間であります。
それ以上に長期化している子たちのことはここでは取り上げないことにします。というのは、子の示す問題が慢性化していることが多く、子の状態にも変動が乏しくなる傾向が見られるように思うからです。子に動きがみられる方が理解しやすいであろうという理由で、引きこもり状態の比較的短い子を選んでいます。
娘Aは多彩な言動を示した子でした。娘Bは母親とは別居しており、母Bは娘とあまり接点が持てずにいました。娘Cは母親Cの圧力が強かったであろうと思われる例であります。息子Dはこの5人の中ではもっとも「自己完結」的(周囲を巻き込まないという意味)であります。息子Eは母親を独占したがる傾向の強い子でした。娘Aと息子Eは「他者巻き込み型」の傾向が強く認められました。
(子を見る私の視点)
親たちは子のことを話します。私は子のことを母親から聞く際に「病態水準」を考慮します。大雑把であれ、この水準は、神経症(適応障害)水準、人格障害水準、精神病水準の三つに分類しています。子の示す言動に対して水準を評価しているのであります。従って、人格障害水準の行為が見られたからといって、その子が人格障害と診断されるわけではありません。その点はご理解いただきたいと思います。
例として取り上げる5人の子たちは人格障害水準の言動を見せることが多く、娘Bと息子Eは幾分精神病水準の傾向が認められることがありました。
ここに神経症(適応障害)水準の子が含まれていないのは、こういう子の場合、本人が動くことが多く、母親が受けに来る確率が低いためであります。
病態水準と並んで心的退行の程度を私は評価します。ここで言う心的退行とは。心的に以前の段階に逆戻りするという現象を意味しています。病態水準が重くなるほど退行の程度も大きくなる傾向が認められるのですが、必ずしも両者が常に一致するとは限りません。また、どの程度の退行であるか、どういう性質の退行であるかという観点が重要であります。人生のより早期の段階に逆戻りしているほど退行の程度が大きいということになります。
さらに人格水準(あるいは心的緊張力)という概念を用いることがあります。これは病態水準や心的退行の程度と関連するものであります。私たちが複雑な行為をする際には高い人格水準が求められます。人格水準が低下すると、複雑な行為が困難になり、反復的、自動的な行為に身を任せることになります。
あと、自我境界の程度という観点からも私は理解しようとします。境界というのは、内と外とを区画するものであり、身体でいえば皮膚に該当します。皮膚より内側は私の身体(身体内)であり、それより外は外界(身体外)ということになります。心にもそういう境界を想定できることができ、それを自我境界と呼んでいます。心の内側と外側の境界であり、私はこれを自我外境界と呼んでいます。一方、心の中にも私たちは境界を有していると考えることができ、これを自我内境界と私は呼んでいます。
どちらの境界にも「透過性」という概念が適用できます。つまり、透過性が高い(透過的)ということは、境界が脆いということであり、それだけ内のものが外に流出し、外のものが内に侵入してくることになります。内にあるものどうしももそれぞれの境界が脆いので混乱状態になっていることもあります。透過性が低い(非透過的)というのは境界が強固であるという意味であります。内のものが外に表れることもなく、外界のものが内になんらの影響を及ぼさないということであります。自我内のものも相互に関連することがなく、個々の内容物が分断した状態であります。曖昧で抽象的な記述をしていますが、後に事例を通して述べることにしましょう。
自我境界に関しては、娘AとB、並びに息子Eは透過性が高く、息子Dは透過性が低く、娘Cは中程度であることが多かったように思います。
その他、自我機能という観点からも子の言動を理解するようにしています。現実認識の程度や抑圧・抑制の程度なども評価することがあります。子たちは自我機能が低下していることが認められる(だから引きこもり状態になるわけですが)ので、どのように低下しているか、どの部分が機能しないかといった観点を重視することになります。
(子の理解)
さて、病態水準、心的退行の程度、人格水準、自我境界といった観点から私は子のことを評価するのですが、これらの水準は子のやっていることを理解するための概念枠であります。それらの観点、それらの枠組みから子のやっていることを理解しようと私は努めます。
どうしてそのようなことをする必要があるのかということですが、子を理解するということが親にとって不可欠な作業となるからであります。母親たちは子のことで困らされていたり、どう応じていいか分からなかったりしています。そして直接的な指示を仰ぎに来られることも多いのでありますが、こちらが助言しようにも子供のことをまずは理解していかないと何も言えないのであります。また、母親の方も、子供のことが理解できる程度に応じて、子への応対が楽に感じられることもあり、子に対して心の余裕が生まれることも多いのであります。親カウンセリングの初期の段階では、こうして子のことが話の中心となり、母親たちは子を理解する作業を一緒にしていくことになるのです。
何よりも、こうした作業をカウンセラーと共同で行うという点に注目しておきたいと思います。このことは非常に重要であります。その共同作業の経験は母親を心的にサポートすることになり、その経験が内面化されるほど母親が、心的な意味でエンパワーメントされ、強くなるのであります。いくら書物を紐解こうと、ネットを検索しようと、あるいは私のHPを読もうと、そういう体験は得られないものであります。だから親カウンセリングには意味があるのであります。
(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)