<T027-09>戦争学入門:『ホロコーストの子供たち』(4) 

 

 

(第10章) 

 第2章で登場したデボラの弟ジョセフの話。 

 彼らの父親は戦時中にドイツ人たちによって強制労働キャンプに連行された。父親と友人はそこを脱出して、地下組織に加わる。戦後、アメリカへ渡り、自分と同じ境遇の女性と結婚する。最初の子デボラが生まれ、2年後にはジョセフが生まれる。父親は縫製の仕事に携わり、家族のためにがむしゃらに働いた。 

 ジョセフは裕福だったが、引っ越しの多い子供時代を送る。高校時代は少々荒れた青年となった。彼もまた自分たち一家はよその普通の家庭とは違った何かがあると感じていた。それを面と向かって言うことはできなかったようだ。両親が強制収容所から生き延びたという事実は意識されていたが、その話が家庭内で持ち出されないということでなおさら意識するようになったという。 

 彼もまた他の生き残りの人々の子供と同じように、両親が耐えなければならなかった苦しみに比べたら、自分の苦しみなんて物の数ではないと思っていたという。こういう表現は、僕の経験では、自分の痛みに直面できない人がする典型的なものだと思う。あるいは、それは表に出してはいけないといった禁止令が作用していて、そういう形でしか言い表せないという例もあるだろうと思う。第9章でのヘレン体験(自分の苦しみなど小さく感じられたという体験)印象が異なるのは、ジョセフの場合、いささか知性化の感じがするからである。 

 母親という人は無口な人であったようで、ジョセフが話をするのはもっぱら父親であった。その父親がジョセフに教えた言葉に次のものがある。「何でも自分の正しいと思った通りにすればいい、だが自分の正体(アイデンティティ)は忘れてはいけない、自分が何者なのかは覚えていなくてはいけない」と父親は諭している。父親にとって、自分のアイデンティティだけが唯一の拠り所となっていたのだろう。アイデンティティを失うことはそのまま死を意味したのだろうと思う。 

 また、両親は彼に言う、世間にあまり期待をかけすぎるなよ、と。「ヨーロッパでは、親友でさえ私らから奪おうとしてやってきたよ。それから私らを溝に叩き込んだのさ。今の世の中は違うって言うのかい。違うはずがないじゃないか」と。戦中と戦後とでは時代が違ってくるはずなのだけれど、この父親にとっては、過去も現在も不変の世界が体験されているようだ。このことは、つまり、過去が過去になっていないことを表していないだろうか。 

 父親も母親も家族のために忙しく働いた。このことに関してはジョセフの妹の言葉が正鵠を射ていると思う。「(両親は)いつでも忙しくしていたいの。あんなに忙しく働くのは、そうしていれば、考える時間もなくなるからよ」と言う。つまり、彼らが多忙なのは、それも自ら多忙にするのは、自我の防衛機制によるものだというわけである。ただ、「考える時間」がなくなるからそうするというのは、少しニュアンスが異なるかもしれない。実際は、「直面する」時間がなくなるから、というのが真相に近いのかもしれない。 

 先述のように、ジョセフは高校生の頃は荒れていて、家庭内ではトラブルの元となっていた。家庭が和やかであってほしいと願う母親にとって、ジョセフは手に負えない子になっていく。そうして母親の堪忍袋の緒が切れると、母親はこう言う。「私はお前のためにアウシュビッツを生きて出てきたっていうの?」と。手に負えない状況は、母親にはアウシュビッツの記憶と結びつくようである。そして、この言葉は、ジョセフをして、強制的に分離に直面させるものとなるようだ。だから、母親のその一言で、彼は自分が空っぽになった、生命が吸い取られ、無の存在になったかのように感じたのだ。 

 最後にジョセフの言葉でこの章を終えよう。彼はヘレン(著者)のインタビューを受けている。彼は、彼自身と家族のことを話す。「こんな思い出が、喋っているうちに、結晶化してきたみたいで、自分でもどうしていいかわからない」と言う。話していると、どんどん思い出が甦ってきて、収拾がつかなくなる感じを表現しているのだと思う。カウンセリングでも、話をして苦しくなるという経験をする人の中にはこの種の経験をする人もある。しかし、苦しいけれど、当人にとっては意味ある経験がそこには含まれているものである。 

 

 

(第11章) 

 本章では強制収容所からの生き残り2世であるルース・アレクサンダーという女性が登場する。 

 ルースの両親は、多くのユダヤ人たちと同様に、収容所から解放されてから、難民キャンプを経て、アメリカに移住した。アメリカはこのような人を「新アメリカ人」(グリナーズ)と呼んだが、ルースはグリナーズを嫌悪していた。 

 また、ルースは27歳で、結婚もせず、職に就いてもいなかった。こういう人は2世としては少数派に属すると本文にある。両親は自分たちの経験をルースには隠していたようだったが、彼女にはすでに分かっていたという。知識が浸透作用で入ってきたようだと言う。 

 子供時代のルースは非常に癇癪もちであったそうだ。青年期に差し掛かるころには、彼女は感情を内に溜め込む人間になっていた。その代わり、彼女は心に傷を持つ人や情熱的な人が友達に欲しかったと言う。自分が溜め込んでいるものを体現している人に憧れがあったのかもしれないとも僕は思う。 

 大学生になると、感情を内に溜め込むという彼女の傾向は、感情鈍麻の様相を呈してくる。ルースは言う。「もし自分が不幸せだと感じられるのなら、少なくとも、感情が備わっているっていうことでしょ? わたしは、本当にまったく無感覚だったの。感情というようなものは、全然持っていなかった」と。僕は、彼女が自分が不幸せだと感じられていた時期があったはずである、と考えている。そういう経験がなければ感情を切り離すなんてことはしないはずだからである。 

 最後に彼女はこんなことも述べている。「二年前、二十五になるまでは、自分自身の欠けている問題と、両親の戦争体験が、いささかでも関係があるなんて考えてもみなかったのよ」と。この関係が見えるようになったことは進歩だと僕は評価する。しかし、人為的にもたらされた見解でなければ、である。もし、人為的にもたらされた洞察であるとすれば、つまり「あなたの症状はあなたの両親の体験と関係があります」などと臨床家から吹き込まれたことによってもたらされた洞察であるとすれば、それは両親が彼女に与えたものと同じものを臨床家が彼女に与えることになる。そうであれば、彼女は臨床家に激しい敵意を抱くだろうと僕は思う。 

 

 

(第12章) 

 この章は、第6章に続いて、「生き残り症候群」並びにホロコースト2世を研究した医師たちに関するものである。 

 ヘレンは「生き残り症候群」に対する批判をする。中でも、この症候群が、「生き残りの子どもが両親のうちに目の当たりに見つめてきた強靭さを無視していた」という批判は僕も頷ける。臨床的研究ではそうした傾向が無視されるものだと思う。いわば、病人の病気を描写することが目的であるので、その病人の健康さとか強さといった傾向は、その目的から外れるので、取り上げる必要がないからである。 

 以後、各国の研究並びにその研究に携わった医師たちの理論が綴られる。 

 最初はカナダにおける研究(ラコフ博士、シーガル博士、トロスマン博士によるもの)が取り上げられ、続いて、オーストラリアでのショウ博士、イスラエルでのクライン博士、アメリカでの諸研究が綴られていく。 

 これら各国の研究は類似点も多いが、その国特有の事情によって相違点も生まれているようである。 

 著者は、これらの研究を概観して、「両親の戦争体験が子どもにもたらしたものは、臨床症状ではなく、特定の世界観」であることが分かってきたと述べる。個人の持つ「世界観」というものは、医学の対象となりにくいと僕は思うので、医学研究と生き残り2世の人たちとの間の溝はなかなか埋まらないだろうと思った。 

 また、本章では精神科医たちが2世について語っている言葉が掲載されている。論文等からの引用も多くある。こうした医師たちの言葉と、2世たちが自ら語る言葉と、よく読み比べてみる必要があると僕は思う。そこにはそれを体験した人間と体験しなかった人間との間に必然的に生まれてしまう障壁が見出されるだろうと思う。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

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