<T027-08>戦争学入門:『ホロコーストの子供たち』(3) 

 

 

(第7章) 

 収容所から解放された人たちは、家も身分証もなく、難民キャンプに身を落ち着けることを余儀なくされる。諸外国はそうした難民たちを受け入れるようになる。イスラエルもそうした国の一つであり、難民となったユダヤ人たちを積極的に受け入れた。 

 本章に登場する二人の女性アヴィヴァとサラも、イスラエルに移民した生き残り両親の二世である。二人ともイスラエルで生まれ育ち、20歳頃にアメリカへ移住した。似たような境遇の二人であるが、生き方も性格も正反対である。 

 アヴィバとサラの違いはどこに求められるか。両親はイスラエルに移住して新しい生活を始めたが、アヴィヴァの両親はそれをうまくこなしたのに対し、サラの両親はそうではなかったようだ。サラの両親にとって新生活は苦難の連続であった。 

 アヴィヴァはすでに音楽家として各国へ演奏旅行している。サラの方は、イスラエルでの子供時代と同じような貧困でごみごみした環境の中で生きている。サラは、子供時代の生き方を変えることができず、また、両親の苦しみを同じように体験しているようである。そこがアヴィヴァと対照的である。 

 イスラエルには一つの英雄像ともいえるものがあり、アヴィヴァはそれに同一視して生きており、サラはそれに失敗しているようだ。著者がそれを指摘している。アヴィヴァはいわば英雄として生きているようなものである。サラは英雄になることも、それに近づくこともなく生きてきたようである。 

 両親の新生活への適応、英雄像との同一視に加えて、僕は世代間境界も関係していると考えている。アヴィヴァの両親は自分たちの苦難を子には伝えないようにしているところがある。アヴィヴァがドイツへ演奏旅行に行くことになったときも、父親は自分は行かないが他の人がドイツに行くのを止めるつもりはないと言い、母親はぜひ行きなさいと勧めた。ドイツは自分たちにとっては苦しかった時代の場所であり、自分は二度とそこへ行きたくないのだが、子がドイツに行くのは構わないというわけだ。これは世代間境界がしっかりできている親の言動であると僕は思う。 

 サラの両親は、生活が上手く行かず、貧困にあえぎ、両親は何かのことでいがみ合う。特に母親が父親を軽蔑するようである。なにかにつけ父親に当たるようなのだが、収容所が母親に残した遺産のようなものだろうと僕は思う。誰かに嚙みつかないとやっていけないとか、あるいは、常に騒音を立てていないと生が実感できないとか、そういう事情があるのかもしれない。 

 アヴィヴァは、自分がユダヤ人であることを誇りに思っており、両親の体験が自分の人生に何らかの影響を及ぼしているとは信じていないし、そのように体験もしていない。しかし、インタビューでの様子を読む限り、アヴィヴァはホロコーストに対して何らかの感情を持っているようである。それがしっかり抑圧されているので、意識に上がって気持ちを搔き乱すことがないようである。 

 サラは30歳近くになって、ようやく生活が落ち着いてきたようである。相変わらず貧困家庭であるが、結婚して、子供も生まれている。サラはこれから精神科医のお世話になって、心の中にあるものに整理をつけていきたいと著者に伝える。苦しかった時代に援助を求めず、そこから抜け出始めている時に援助を求めるというのは矛盾しているように聞こえるかもしれないけれど、僕はそうは思わない。ある状態、ある状況(心的な意味での状況)から抜け出て初めて、それを語ることができ、それと対決することができるのだ。 

 

 

(第8章) 

 この章では南米出身の二世のガブリエラが登場する。南米はナチス党員が数多く亡命した国であり、反ユダヤ感情も強いようだ。そんな中でガブリエラは育ったのだが、彼女は自分がユダヤ人であることを否認し、ドイツに同一視しようとする。著者にはそれが不思議でならなかったようである。 

 このような現象は「攻撃者との同一視」と呼ばれるものである。これは、基本的には攻撃者の持つ「力」に同一視し、自己の無力を防衛する機制である。それも頷けるのだけれど、僕はそれに加えて、攻撃者(破壊者)と同一視することによって、自己の破壊を完遂する試み、あるいは、自己の破壊が達成されたものとする試みというふうにも感じることがある。いずれにしても、そこにあるのは自己の否認であると思う。 

 ガブリエラは自分がドイツ人とみなされたエピソードを話す。それを聞いた著者は「ここでガブリエラは微笑んだが、私には、その微笑の下にある彼女の感情の深さとか、その性質を測り知ることはできなかった」と記している。この捉えどころのなさはガブリエラの防衛を示しているものだと思う。彼女は自分がユダヤ人であることを否認している。本来の自己を否認して、偽りの自己を前面に出さざるを得なくなるのだが、偽りであるが故に中身や深さに欠けるのだと思う。 

 その後、ガブリエラはこんなことを語る。「わたし、大学で再出発したの。あるがままの人間になりたかった」と。この言葉は彼女がそれまでどれほど自分を偽ってきたかを表わしている。偽りのまま生きることが不毛であり、自信を消耗させてきたことに気づいたのだと僕は思う。 

 

 

(第9章) 

 ガブリエラの両親が彼女をドイツ人として育てようとした話は著者ヘレンにある連想を呼び覚ます。ヘレンの母親は彼女をユダヤ人として自覚させたかったのだ。ユダヤ人たちは日曜学校へ出る。そこでユダヤ教の教えや聖人たちの話を子供たちは学ぶ。ヘレンもその中の一人だったが、彼女にはそんな尊い教えは陳腐なものにしか思えなかった。 

 母親の願いを妨害する形で父親が登場する。彼は子供たちが日曜学校に出るのに反対する。日曜日は「田舎」へ出かけ、きれいな空気を吸い、体を動かして、生きてることを実感することが何より大切だと考える。 

 父親はかつては水球選手としてオリンピックに参加したことがある。その頃のことを父親は生き生きと語る。しかし、その後の人生については、特に収容所での日々のことについては、語れず、放心したようになるという。父親の人生はオリンピックの年から時間が経過していないかのようである。 

 母親は賢く立ち回って収容所を生き抜いた経験を持つ。母親のそういう話を聞くと、ヘレンは自分の母親に尊敬の念を抱く。ユダヤ人としてのアイデンティティを身につけさせたいという母親の期待には答えなかったものの、ヘレンにとって母親は理想化対象となっていることが伺われる。 

 日曜学校が終わると、ヘレンは待っている父親のもとへ一目散に駆けつける。一家は「田舎」へと車を走らせる。それは郊外の森であり、自然公園のようなところである。家族はそこで自然の中で生きる。 

 父親たちが「田舎」へ行きたがるのは、健康のためだけではなかった。そこに父親たちと同じような体験をした人たちが集まるのだ。彼らに会うために「田舎」に行くのである。リザおばさんにウイリーおじさん、イワンとミレナのヘルベン夫婦、その他の人たちとそこで一緒に時間を過ごすのだった。 

 ヘレンは記す。「そこでは、私たち一家はごく正常で、他の人々と一体感があった。そこには過去に遡る、生命が織りなす共同体が存在し、そのコミュニティは、戦争という巨大な谷間に差し渡されたささやかな橋だった」と。そこでは、彼らは日頃体験する異常意識から解放され、一体感を経験できる場だった。加えて、失われた日々に意味を見出す場ともなっていたのではないかと僕は思う。 

 ヘレンの母は3年間の収容所生活のことを、人間の性(さが)、忠誠心と裏切りなどについての学びの場であり、耐え忍び、生き、価値観を整理するための教育だったと語る。それは、母親にとっては「仕上げの花嫁学校」だったという。共同体の存在は、苦しい時代に対する意味づけに大いに貢献したことだろうと僕は思う。 

 この共同体の中では、母親は日ごろの身体的痛みも忘れてしまっている。ごく普通の母親になる。父親たちも戦争に関してありのままに語り合う。両親が「もっとひどい目にあったよ」と話すたびに、自分の悩みなんかどうということもなくなってしまったとヘレンは書く。こういう経験は、僕の考えでは、当人が自己を超えた何かに触れていることに基づいている。自己の枠内に留まる限り、あるいは自己に囚われ続ける限り、私の悩みの方が両親のよりも辛いなどと言い張ることになるだろうと思う。共同体の体験は、親たちだけでなく、ヘレンのような二世にとっても、自己の超越をもたらすといった意味があったのだと僕は考えたい。 

 本章は第4章と第5章に続いてヘレンの両親のこと、並びに彼ら一家のことが綴られている。両親の示す態度や振る舞いを取り上げて考察したい気持ちもあるのだけれど、何よりも、本章では家族の和やかな場面、平和な思い出が綴られているのが印象的だ。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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