<T027-05>『呪われた医師たち』(4) 

 

 

16「フットボール用ヘルメットの強度を試験する動力ハンマー」 

 前章で登場したブッヘンヴァルト収容所の第46ブロックで行われた実験の数々。ここでの実験はディング医師に委ねられていたが、その指揮と実行は囚人組長ディーチュに任されていた。 

 チフスのワクチン開発のために、囚人たちはチフスに感染させられた。ワクチン投与や治療法が開発されたが、これで命を落とした囚人は数知れない。そこで何か恐ろしいことが起きていることは囚人たちにも分かっていたが、ある日、そこに呼び出される。彼らはチフスに感染させられるが、生き残れるかどうかは、そのワクチンや治療の効果で決定する。まさに命がけの賭けといったところだ。仮に命が助かったとしても、彼らは安全ではなかった。と言うのは、そこで何が行われているかの目撃者となったからだ。 

 ロベルト・コッホ研究所のローゼ教授によると、ブッヘンヴァルト第46ブロックでの実験は、動物実験で得られた結果と変わりないものであったという。 

 さらにディング医師の下で働いていた一人にホーフェン医師がいた。ディングの代理を務めた人物であるが、たいへん残虐な人物であるようだ。ここでの女所長が囚人の入墨をコレクションしていたように、この人物は頭蓋骨を収集していた。その収集のために抑留者を殺すということを平気でやっていたのである。 

 もう一人のハーゲン医師は、ホーフェンよりましな人物であり、研究熱心であったが、「モルモット」となる囚人の選別が厳しく、送られてきた囚人でその基準を満たさない者は即座に処刑されたようである。 

 このブッヘンヴァルト収容所は狂気の沙汰としか言いようがない。 

 

 

17「呪われた医師たちの長老」 

 ダッハウの収容所でマラリア研究を続けるクラウス・シリング博士は70歳を超す長老である。シリングの研究のために多くの囚人が「寄与」されていった。ダッハウ裁判の判決では、シリングの実験により、直接的に30人の死者、間接的に3400人の死者を出したという。 

 シリングが処刑される。その時、彼は「私たちのところでは100%近くの回復者がありました」、そして「あと数年生かしてください、私は発見できます。もう完成間近なのです」と歎願したという。現実は100%近くが回復せず、40年以上それに従事してきて完成できなかったのである。すべてシリングの妄想ではなかっただろうか。 

 

 

18「ノイエンガンメの子供たち」 

 このような実験は各収容所で繰り返し行われていた。ブッヘンヴァルトでも、チフスだけでなく、コレラや結核などの実験もなされていたという。実験に駆り出された「モルモット」たちはそれで命を落とすことが多かったし、それに関係する囚人たちも「処刑」されたりして、証人が少なく、これの全貌をつかむことは不可能であるようだ。多くの残虐な実験が隠滅されたことだろう。 

 ノイエンガンメ収容所では4歳から15歳までの子供が「モルモット」になった。子供たちには快適な環境と十分な栄養が与えられた。劣悪な環境によって衰弱が起きではいけないからである。つまり、子供たちは「モルモット」としてそこで育てられていたようなものである。 

 

 

19「人間の抜けがら」 

 災難に遭うのは子供だけではない。精神障害者もそうである。ヒトラーは重傷な精神障害者の生存を断ち切ることを決断する。こういう人間を扶養することは、莫大な出費がかかるだけでなく、病院や医師たちの手がかかるので、精神障害者を殲滅することは国の利益になるというわけだ。そして、自然においてはこうした存在者は生存できない、それが神の法である、と自身の見解を合理化する。要するに、これは文明社会からの退化の思想ではないだろうか。 

 ファンミューラー院長は、精神障害を患う子供たちを死に至らしめた。その方法は少しずつ食事を減らし、餓死させるというものであった。処刑の明かな証拠があれば敵国の憎悪を掻き立てるだけであるからである。 

 他の医師たちは別の手段を取った。障害者たちを転院させるのである。障害者たちは転院を繰り返し、最後は安楽死センターへ送られることになるのだが、病院は彼らを転院しただけであり、その死に責任を負わなくて済むからであろう。 

 

 

20「今日」 

 本書のエピローグ。本書は「今日、世界中に、動物実験に反対する10万以上の協会があるが、人体実験の禁止を要求する協会は、一つもないのである」というショッキングな一文で締めくくられている。 

 

 

 さて、これで本書を通読したことになるのだが、各章を細かに書いたのは、実験が広範囲な領域にわたってなされていたこと、並びに、そういう実験に携わった医師たちのことを明記したかったからである。 

 実験の多くは無益なものであったと言える。最初の高空実験などは、高度が下がるまでパラシュート脱出しないようにパイロットを訓練すれば済む話である。 

 また、有益な結果や知見が得られたとしても、そのために払った犠牲に比べれば微細な結果でしかない。寒冷による死では、海難者の体を垂直にするように救命具を改良することになった(つまり首筋を冷やさないことで体温を保つ)のだが、これだけの成果に膨大な人命を費やすなんて狂っているとしか言いようがない。海水も微量ずつ口に含めば渇きによる死から免れるということが分かっても、その結論に至るまでにどれだけ無駄な実験がなされたことであろうか。 

 そこには実験手続きの不備が明白である。こうすれば助かるのではないかという仮説を立てて、それを実験で証明するという手続きを取らないのである。助からない状況を作り出し、それで命が助からないということを最初に確証するようなことをしているのである。僕のように科学的思考の訓練を受けていない人間であっても、実験の不備が見て取れるのである。いかにずさんな実験であるかが分かるだろうと思う。 

 もし、人間で試験するのであれば、それに先立って、動物で繰り返し実験し、結果を出し、それから被験者の安全性をしっかり考証するものではないだろうか。ここでの実験はそういう手続きをすべてすっ飛ばしている。つまり、いきなり人間で試験するのである。そこにあるのは思考の短絡化ではないだろうか。言い換えれば、この実験者たちは深刻な思考障害に陥っているように見えてくる。 

 いくつかの実験は、まったく私的な目的でなされ、個人的な動機に基づいている。それは実験のための実験であり、殺戮のための殺戮でしかない。それだけの犠牲から人類に資する発見は何一つなされることがない。 

 さらに、それらの実験の結果は、動物実験の知見を再確認するだけであったり、過去になされた研究結果を繰り返しただけであったりする。無意味である。 

 戦前のドイツは医学でも最先端であった。日本でも医師はドイツ留学する人が多かったのである。カルテ(これ自体がドイツ語だが)に病名をドイツ語で書く医師も普通にいたのである。 

 これらの実験に携わった医師たちも、この最先端の医学を身に着けた人たちであったはずである。医師としての訓練を受け、ヒポクラテスの誓いを叩き込まれた人たちであったはずである。 

 この医師たちがどうして人体実験に加担し、戦争犯罪者として刑に服さなければならなくなったのだろうか。そこにはヒトラー政権、ナチス社会の圧力もあっただろう。一部の医師は圧力に屈し、あるいは脅迫されて従わざるを得なかったであろう。そして、一部の医師たちは積極的にこれらの圧力に同調したであろうと思う。 

 もし、精神医学や社会精神医学を専攻している人であれば、本書に登場する医師たちに興味をそそられることであろう。僕の率直な見解を述べると、この医師たちの多くは分裂病的であり、分裂病を生み出す社会風潮があったと僕は思う。特に彼らのその思考が特徴的である。分裂病的思考が随所で感じられた。論理性を欠き、共感性を欠き、目的と実験との間に整合性が欠けていても気づかない(もしくは気にしない)ようである。もし、最初の実験で否定的な結果が出たとすれば、実験の手続きを再検討するなり、その結果に基づいて見解を改定したりするものだろうと思うのだが、彼らは否定的な結果を出したのと同じ実験を繰り返す(つまり、それまでの実験成果が蓄積されていかない、つまり、自我化されない)ので、いつまでも肯定的な結果をだすことができない。そして、その都度、犠牲になった人命があることを忘れてはならない。 

 

 さて、本書に関してはもっと述べたいところもあるのだけれど、今回はここまでにしておこうと思う。また、機会があれば本書に触れたいと思う。 

 

<テキスト> 

『呪われた医師たち』 クリスチャン・ベルナダク著(1967年) 

 野口雄司 訳 ハヤカワ文庫NF 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

 

 

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