<T026-50>動画広告完成記念コラム(15) 

 

(問14)「ギャンブルしないという誓約を毎日100回唱えています」 

 

 これはギャンブルを止めようという人が、その手段として掲げたものの一部である。自己暗示にかけようというわけだ。 

 自己暗示自体が悪いとか言うつもりはないのだけれど、ここにはクライアント(に限らないけれど)がよくやらかしてしまう誤りが含まれている 

 クライアントはどの人も自分の問題を何とかするためにいろんな手段を講じるものである。この問題文はその一例に過ぎないが、要するに、途中段階をすっ飛ばすという誤りをこの人はやらかしてしまっているわけだ 

 この人はギャンブルをこれから止めようと考えている。そのため、ギャンブルをしないという誓約を毎日100回も唱えると言う。これはその前段階のものを飛ばしているのである。 

 この誓約文は、ギャンブルを止めることにある程度成功した人が唱えるものである。ギャンブルを止めることができていて、今日もギャンブルに手を出さないで一日過ごせるようにと祈願する際の文章である。これから止めようという人にはまだ時期尚早の暗示文であるように僕には思われる 

 初期の段階で計画に入れなければならないことは、ギャンブルをしないということではなく、ギャンブルをしたくなった時にどうするかということである。問題文ではその観点が無視されているのである。あたかも禁ギャンブルに成功しているかのような口ぶりの文章なのである(つまり、そこにいたるまでの苦しい過程が否認されている)。 

 では、ギャンブルをしたくなった時にどうするかという問題は、ギャンブルをしたくなる時にどういう状態になるかというところから始めなければならないと思う。仮に、疲労感がたまり、ソワソワした時にギャンブルをしたくなるということだとしよう。そうすると、これは疲労感がたまり、ソワソワした気分に襲われた時にどうするかという目標設定に変わるわけだ。 

 しかし、これもまだ途中段階をすっ飛ばしているのである。疲労感がたまってソワソワする前に、疲労感に早期に気づくにはどうすればいいのかという観点が必要になる。そこまで疲労感をためてしまうとすでにギャンブルの誘惑が高まっているが故に、限りなく手遅れ状態なのである。従って、もっと早い段階で取り組まなければならなくなる。 

 では、疲労感がそこまで溜まる以前に、その人はどういう状態になるだろう。仮に、疲労感初期の段階では無性に甘いものが食べたくなる、とういう気持ちになるということであれば、ギャンブルを止めるために「甘いものを食べたくなる」という場面が、この人にとって有効な基準となるわけだ。甘いものを求めたくなった時に、速やかにそれに取り組むことがギャンブルを止めることにつながるわけである。 

 

 もう一つ、よくありがちな目標として、次のような方策がある。 

 毎日ギャンブルしているという人が、回数を減らそうとする。一日おきにギャンブルをするということに決める。今日パチンコをしたら明日はしない。昨日パチンコをしなかったから今日はしてもよい、ということだ。おそらく、この程度であれば、この目標は達成されるだろう。 

 そこで、インターバルを広げていくことを考えるわけだ。一日おきだったのを、二日おきにし、中三日、四日と広げていくということをするのだ。一日おきではできていたことが、四日おきとなるとできなくなるものである。その上、以前よりもパチンコの度合いがひどくなったりするのである。 

 これは理由は簡単である。この場合、パチンコが報酬価を帯びてしまうからである。四日もガマンした、ようやく今日はパチンコができるということになれば、このパチンコはご褒美になってしまうわけである。 

 この場合、パチンコが罰にならなければならないのである。その人が好きなことをしている時に、無理矢理それを中断させて、パチンコをさせないといけなくなるわけである。パチンコが少しでも報酬の価値を帯びてはいけないのである。 

 

 問題文の場合にもパチンコが報酬価を帯びる可能性が高い。毎日、呪文のように100回も暗示文を唱えるという苦行を自分に課すわけだけど、この苦行から逃れる唯一の道は、彼がパチンコをすることである。苦行を続けてきたけど、やっぱりダメだった、このやり方は拙いから止めよう、ということにしてしまうのである。それ以外に道はないのである。 

 なぜそれが唯一の逃れ道であるのかというと、ギャンブルを止めることで達成されるものが想定されていないからである。そこが目標に組み込まれていないからである。この人が設定したのはその苦行をエンドレスに続けるというだけの目標である。そこから何かが進展することもなく、何かが達成されることもないのである。そういう目標をこの人は立てているわけである。これは端的に言えば、自己処罰なのである。 

 

 ところで目標は二通りの設定の仕方がある。一つは何かをするという目標である。何かを始めるとか、いつかこれこれのことをするとかいう形の目標設定である。もう一つは、何かをしないとか、止める、禁止するといった目標である。前者を積極的目標、後者を消極的目標とここでは呼んでおこう。 

 重要な点は、心理学的に見て、消極的目標は挫折する可能性がかなり高いということであるこれの典型例ダイエットに見られる。ダイエットをするのに、カロリー制限したり、食事を禁止するといった目標は挫折しやすいものである。それよりかは、「運動を始める」の方がいいのである。積極的目標は、自分に禁止を課さないだけ負担が少なく、尚且つ、速やかに着手できるのである。また、どれだけのことをやったのかという達成感得ることもできる。一週間で「何キロカロリー制限した」というよりも、一週間で「何万歩も歩いた」という方が達成感が得られるものではなかろうか。 

 従って、ギャンブルを止めるということを目標の中心に据えるのではなく、ギャンブルを止めることで達成したいことを目標の中心に据えた方がいいということになる。仮に、ギャンブルを止めて、一年間貯金して、家族を旅行に連れて行ってあげたいということであれば、後者の目標が中心目標であり、達成されなければならない目標になるわけである。ギャンブルを止めることは、家族旅行のための一手段であり、中心目標ではないのである。彼が達成することは一年後の家族旅行の方なのである。 

 

 他にもまだまだ言えること、考えられることがあるのだけれど、本項ではここまでにしておこう。 

 

 以上、ギャンブル依存の人を例にしたけれど、「治らない人」はこの種の目標の立て方、取り組み方をする傾向があると思う。自己制限的、自己懲罰的、非活動的な目標設定をするのである。 

 彼らは問題を自力で解決しようと試みるのだけど、その目標がすでに解決から遠ざかるものであったり、あるいは問題をさらにエスカレートしながら維持させたりするものであったりするわけだ。当人はまったくそのことに気づかないのである。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

 

 

 

 

 

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