<T026-22>筆のすさび(8):地元愛 

 

 大阪の高槻市で開業して17年。そんなになるか。17年前のこと、よく覚えている。 

 僕は京都の人間なんだけれど、京都では開業したくなかった。京都は意外と激戦区なのだ。岩倉のような「名所」があった関係もあるあるだろうし、数多くの神社仏閣があることも関係あるだろうけれど、昔から精神的な病を抱える人が集まる地域だった。 

 臨床心理学的には、京大、佛大、文教大などのグループがあり、それがなんとなく派閥のような感覚が僕の中にあって、そういうのも京都を敬遠したい要因の一つだった。開業するなら京都から出る、それは最初から決まっていた。 

 いくつか候補地があった。最終的に3か所に絞られた。僕の実家が阪急沿線にあるので、阪急の駅で候補地を選んでいたが、その一つが淡路駅だった。京都戦と千里線が交わるので多くの利用客が見込めそうに思えたからだ。でも、これは儲けを一番に優先していたなと今では思う。 

 もう一つは武庫之荘駅だ。西宮北口に僕の師匠さんがいるので、師匠の近くにいたいという気持ちでもあった。でも、これは独り立ちするのを恐れていたのだなと今では思う。 

 そして高槻だ。結局高槻に落ち着いた。阪急とJRが近いということもあったし、両方とも電車が普通だろうと特急だろうと全部停まるというのも魅力だった。それに、城北町辺りを歩くと小さな店がいくつもあって、こういう個人商店がやっていけるのであれば、きっとここはいい所だと感じたのだ。 

 もちろん難点もあった。高槻は北は山で南は川である。枚方市は本当なら隣接する市なんだけれど、淀川を挟んでいるというだけで遠方に感じられる。京都の亀岡市も本当は隣接する市なんだけれど、山を挟んでいるのではるかに遠い所のように感じられてしまう。それらは若干の不利であるかもしれない。 

 

 高槻に来て最初に取り組んだのは地元に受け入れられるということだった。それまで高槻には縁が無かったので、どういう地域なのかも知らないし、どういうものがあるのかさえ知らなかった。果たして高槻の人たちに受け入れてもらえるかどうか、確信がなかった。 

 最初の頃は高槻のイベントにも協賛した。ハーフマラソンやジャズストリートにも協力した。最初の数年だけど。ともかく、イベントには参加しなくても、地元に協力しようという気持ちだけはあった。 

 もう一つ、これは趣味と実益を兼ねた行為であるが、高槻の呑み屋を巡るということをやった。大抵は地元の人たちが呑み客だ。そういう人たちの輪の中に入っていくということをやったわけだ。そこから地元に関する情報なんかも仕入れたし、地元の雰囲気とか風潮とかいったものも感じ取るようになった。何よりも、高槻という場所とそこに住む人たちのことを好きになることができたような気がする。そこが一番大事な部分だ。 

 

 僕の兄は京都のある場所でフランス料理のお店を経営したが、兄はそれに失敗したのだ。地元の人の神経を逆撫でするような発言をしてしまったのだ。 

 どの人にとっても、自分の住んでいる土地は自己の一部なのである。ウイリアム・ジェームズのいう社会的自己なのだ。だからその土地をけなすことは、そこに住む人たちにとっては自分自身がけなされたことに等しいのである。そういう体験をしてしまうということである。人の住んでいる地域やその人の故郷のことを決して悪く言ってはいけないのである。兄はそういう配慮が足りないのだ。 

 

 その人の住んでいる地域はその人にとって社会的自己であると言ったが、その人がいつも利用するお店なんかもその人にとっては社会的自己になる。 

 最近、一つのお店がネットなんかで集中攻撃されるなんてことがある。たいてい店主は泣き寝入りすることが多いようだ。僕は思う。そのお店はきっと地元の人に多く利用してもらっているはずであり、常連さんと呼べる人たちもあるはずである。もし、店主が傷ついているとすれば、利用客や常連さんもおなじように傷つくはずである。そのお店の地元の人も傷つくのではないかと思う。この人たちにとっては、そのお店は社会的自己の一つとなっているからである。だから、店主はそうした人たちと団結すればいいと思うわけだ。そして、近所のお店が同じような被害に遭った時には、今度は助ける側に回ればいいのである。 

 ネットなんかで攻撃する側は、そのお店のバックにどんな人間がいるかなんてことを考えずにやっているものだと思う。物凄い数のサポーターやフォロワーがいると知れば、迂闊なことは言えなくなるかもしれない。 

 個人商店の誹謗中傷には地域で取り組んでいいことだと僕は思う。 

 

 まあ、僕の方はと言うと、けんかっ早いのや気性の荒いクライアントたちもいる。僕の味方になってくれそうな人たちも多い。友達の一人には元〇〇組におったヤクザもんもおる。何かあったら言えよ、舎弟引き連れてきてやるからと彼は言ってくれる。その気持ちはありがたいが、奴が顔を出すと物事がよけいにややこしくなりそうで、できれば顔を出させないようにしたいものだ。 

 僕も誹謗中傷される側の一人だ。僕に味方してくれるクライアントたちもある。ありがたいことである。彼らにとって、自分が受けているカウンセラーは自己の一部になっていることだろうと、僕が己惚れているだけかもしれないけれど、僕はそう信じている。 

 

 しかし、ケッタイな世の中になったものだ。SNSなどというものが流行りだしたのがそもそもの間違いである。17年前にはこんなもんなかった。人間にはモノを言う自由はあるけれど、それにはモノを言う倫理と資格があるのだ。それを言う倫理を持っているか、それを言う資格があるか、そういうことが本当は問われているのだ。その上で言論の自由ということがあるのだ。まあ、これはもう別テーマになっているからまたの機会に話そう。 

 生きるにしろ働くにしろ、必ずその地元がある。僕にとって地元が自己の一部になるように、地元の人にとっても、地元のみならず、地元の商店や企業が自己の一部になりうるのだ。そうして人は社会的な文脈の中に生きることになるのであり、それのできない人は孤立して生きざるを得ないのだ。 

 高槻で開業したことをよかったと僕は思っている。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

  

 

 

 

 

 

 

 

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