<T026-19>筆のすさび(5)~抑圧と抑制
今は多種多様の心理学関係の本が出版されていて、誰でも気軽に心理学の知を得ることができる。こういうインターネットもそれに一役買っているだろう。多くの人が心理学的な知識を持つようになった。
クライアントも、おそらく精神分析関係の本なんかを読んでいる人もある。ウィトゲンシュタインは「精神分析は正しく読まないと危険だ」というようなことを言っているのだけれど、まことにその通りだ。素人の知識は時に危ないものになる。
フロイトの精神分析は3期くらいに分けられることが多い。1900年の「夢判断」までを第1期とし、そこから1920年頃までを第2期、それ以後を第3期と分けることが一般的である。それぞれの時期は理論の変遷に基づくものである。
また、フロイトの理論は初期は医学的であるが、後期は了解心理学的であるというふうにも言われる。
フロイト理論を複雑にしているのは、理論がそうして変遷していっても、そこで用いられる用語が一貫しているということだ。だから同じ用語でも初期と後期とでは意味が異なるというようなことが生まれるわけだ。フロイトの論文を読むときは、それがどの時期に書かれたものであるかということを考慮しなければならないのである。
それはさておき、一般の人がフロイト理論を理解する時、そこで理解されているのは初期のものであることが多い。第1期から第2期ころの理論であることが多い。それ以後の発展、深層心理学的な理論から自我心理学的な理論への発展はあまり視野に入っていないことが多い。さらにフロイト以後の発展についてはほとんど知らないという人も多いようだ。
さて、フロイトの理論の重要な概念の一つに抑圧というものがある。初期の頃にはこの抑圧が神経症を生むという考え方であったが、後期は不安が神経症の母体であるというふうに見解が変遷し、抑圧は自我の防衛機制の一つに組み入れられていったのだ。いまだに抑圧が「悪」だと信じている人もあるので驚きである。
抑圧というのは、何かが無意識化されているということである。この抑圧を解除して、無意識を意識化するということが精神分析療法の要である。抑圧を解除して無意識を意識化するのは何のためであるか、と言えば、抑圧のためである。抑圧解除が抑圧を助けることになるのである。だから、抑圧していたものを何でも解放すればよいなどというのは安易な思考である。
今の話はおそらく理解し難いだろうと思う。抑圧を解いて抑圧を助けるとはなんのこっちゃと思われることだろう。それは治療抵抗としての抑圧と防衛機制としての抑圧とが同じ言葉で表現されているために生じる誤解であると僕は考えている。
さらに、何が抑圧されるのかという問題もある。少し勉強された方なら、それは意識に上がるとその人に苦痛をもたらす観念であるなどと答えるかもしれない。では、その人に苦痛をもたらす観念とは何かと尋ねたらどう答えるだろうか。おそらく近親相姦願望とか攻撃衝動とかいうふうに答える人もあるだろう。まあ、それも間違いではない。では、それらの願望とか衝動というものは何かということが問題となる。
抑圧されるのは欲求である。ある特定の欲求である。これこれのことを「したい」という欲求である。しかし、それを満たすことは許されないので抑圧を受けるわけだ。従って、抑圧を解除し、無意識を意識化するということは、自分にはこれこれの欲求があるということが分かるということである。従って、抑圧を解除するとは、その欲求を満たすことではなく、さらには感情を爆発させることでもないのだ。自分にその欲求が、その感情があるということを認識すること、意識化していることなのである。
ところで、フロイトの時代は非常に抑圧的な風潮があった。そのため、抑圧の強い人たちが多かったと言われる。今はそんな時代ではなくなって、むしろ抑圧が必要とされる時代である。現代人は自分の衝動や欲求や願望を多少は抑圧しないといけないのである。現代はあまりにも開けっぴろげすぎるのである。
しかし、抑圧というのは無意識のうちに行われるものである。意識的に抑圧することなんてできるのかと思われる人もいらっしゃるかもしれない。意識的にある観念を意識から追い出そうとする試みを「抑制」と呼ぼう。メニンガーはそのように考えていたので、僕もそれにならうことにしよう。
抑制は意識的になされるのであるが、意識的な抑制はやがて無意識的な抑圧に進んでいくものである。それが無意識の抑圧に至るまで、当人はその観念に繰り返し襲われることになるが、その過程もまた必要なものなのである。
抑圧よりも解放の方が理想的に見えるかもしれない。でも、抑圧することが必要なものは抑圧できた方がいいのである。殺人願望とか強姦願望とか、そんなものがいちいち解放されれば人間社会が成り立たなくなる。そして、すべてが解放されている状態では、その人は混乱に陥らざるを得ないものである。抑圧並びに抑制は、社会を構築するのに必要であるだけでなく、自分を成り立たせるためにも必要なのである。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)