<T026-18>筆のすさび(4)~見通し
カウンセリングを受けて良かったと思ってくれるクライアントも多い。ありがたいことである。もっとも、カウンセリングを受けてどうでしたかなどと僕が尋ねた際に、肯定的な反応をクライアントは示すものである。これにはれっきとした心理学的な裏付けがあるのだ。
しかし、そのことを差し引いたとしても、何らかの良さをクライアントは体験しているものであると思う。心理的操作でそう言わせているというわけでもないのである。そこは明記しておきたい。
一番大事なことは、クライアントに見通しができることである。五里霧中にある中で先々の展望が開けることにある。なんとかなりそうだという兆しが見えるだけでもクライアントは安心するのである。
しかし、クライアントを安心させるために見通しを立てるのではない。結果的にクライアントが安心するということであって、僕にとってはこの安心は二義的な意味しかない。肝心な点は、見通しがつくことでクライアントがエンパワーメントされることである。つまり、それが自我の強化につながるということであり、それが一義的な意味である。
問題が解決したわけでもないし解消されたわけでもない。でも、先が見える思いがするだけでも有効であるし、まだまだ自分にできることがあると思えるだけでクライアントに活力が戻ってくるのである。心的エネルギーが復活するのである。これはどんな教育や説得よりも効果的なのである。
抱えている問題に対して、自分にはまだまだできることがあるとか、まだやっていないことがあるとか、そういうことが思えるようになるのは大事なことだ。この時、その人は問題に対して無力な人間ではなくなっているのだ。言い換えれば、すでに治癒が実現しているのだ。
ある女性クライアントはカウンセリングを受けて良かったと述べた。彼女は精神科にも通っていたのだが、そこで行き詰ったのかカウンセリングを受けることにしたようである。それはさておき、彼女の言うところでは、精神科医の言う通りにしていたら何回引っ越さなければならないのよ、とのことであった。
この精神科医のことを悪く言うつもりはない。おそらく、この医師は彼女に対して環境を変えることを勧めてきたのだろう。そして、人は一般的にそのように考えてしまうものだと僕は思う。
環境を変えることが功を奏するのは、その症状なり問題なりが反応性のものである限りであると僕はみなしている。従って、この精神科医は彼女のその症状というか問題と言うかを反応性のものとみなしていた可能性があるように思う。
しかしながら、持続性のある症状や問題の場合であると、環境を変えることは根本的な解決にはならない。一時的にはましになるかもしれないけれど、再び同じようなことになる。もし、それが反応性のものか、それとも持続性のあるものか、その判断が迷う時には、一度環境を変えてみるというのも手である。環境を変えてみて、やはり同じような問題を経験するのであれば、その問題は持続性のある問題だということがハッキリする。もっとも、そんな実験をしなくても、見る人が見れば分かるのである。クライアントの話を聞いていくとその判断がつくのである。
問題や症状に持続性があるというのは、それらが環境によってもたらされているのではなく、その人のパーソナリティによるものであることを示している。あるいは、環境要因は少なく、パーソナリティ要因が多いと言ってもよい。だからどんな環境に入ろうと、その人がそのパーソナリティでもって適応するなら、同じような問題が浮上してくることになる。
環境と個人のパーソナリティの関係は複雑であり、且つ、本項のテーマとも外れるので別の機会に取り上げたいと思う。
上述の女性クライアントに戻ろう。彼女にとって、自分の問題に対処するには引っ越しするしかないと思われていたところに、別の何かがもたらされているのである。彼女はそのことを述べているのである。精神科医の悪口を言っているわけではない。そのもたらされたものが、彼女にとっては、ある種の見通しとなっているわけである。
今ではなくなったけれど、一時期、どういうカリキュラムを組むのかということを問い合わせされることがよくあった。僕の方では特にカリキュラムを組むことはない。ある程度、初期にはこういうことが起こるとか、中期にはこういうことが起きやすいといったことは言えるのだけれど、僕の方で進展を最初に決めることはない。むしろ、そういうカリキュラム的なものはクライアントの中で生まれるものだと僕は思う。臨床家側が用意するものではないと僕は考えている。
見通しがつくほど、クライアントは今度はこういうことをやってみようなどと試みられる。つまり、自分の問題に対して取り組むのであるが、その取り組みの中身は試行錯誤を繰り返すということである。試みているうちに、さらに洞察が深まると、さらに見通しがつけられるようになる。見通しがつけばつくほど、修正する個所も見えてくるのである。これはあんまり正しいことではないなとか、効果がありそうだけれど実際にやってみたらそうでもないだろうなといったことも見えてくるわけだ。
カウンセラーの役割はクライアントのその試行錯誤の過程を同行することだ。ただし、間違った道にクライアントが踏み出そうとした時だけ軌道修正しなければならない。また別の機会に述べたいと思うが、カウンセラーの役割の一つは、クライアントを正しい道に導くことではなくて、むしろ、クライアントが間違った道に踏み出さないようにすることだと僕は考えている。正しい道はいくつもある。カウンセラーがそれを決定してはいけないのだ。しかし、間違った道は常に二者択一である。そこに進むか進まないかである。
自分探しをする人がいる。彼らは見通しもなく自分探しということをやっているので間違うのである。見通しもなく、言うなれば、フィーリングでこれをしようとか、あれをやってみようとか決めるのだ。今のこの瞬間にあまりにも規定されているのだ。もちろん、それが趣味とか遊びの領域であれば、そういう決め方もけっこうなことだろう。しかし、自分の核となる部分を形成していく過程においては、そういう決め方はあまりよろしくないように僕は思う。むしろ、自分自身に関することに対してそういう決め方をしないような人間にならなければならないのではないかとも思う。
人は一足飛ばしで「問題解決」ということを考えてしまう。問題は解決しなくくても、その問題に対しての見通しがつくだけでどれだけその人が救われるかはあまり考慮されることはない。解決してくれないなら意味がないなどと思う人もいるけれど、その人は一度たりとも自分自身や問題に見通しがついたという経験をしたことがないのだと僕は思う。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)