<T025-23>文献の中のクライアントたち(23)
引き続きカーンバーグ論文から症例を抜粋しよう。青年期境界例の診断に関する論文であり、診断の紛らわしいケースが収録されているので、僕には大いに参考になる。ここでも診断の問題に焦点を当てている。
例によって、ケースを記述し、僕のコメント等は( )で示す。
<本項収録のクライアント>
(cl91)若い芸術家の女性
(cl92)18歳女子 慢性分裂性精神病
(cl91)若い芸術家の女性
この女性の病が明らかになったのは、彼女が17歳の年、彼女が大学に入学した年であった。集中力を妨げてしまう奇妙な性的考え、次第に募ってくる疎隔感、いつも母親のそばにいたいという必死の望みに、当時の彼女は次第に心を奪われるようになった。
彼女は密かに自傷行為をするようになり、社会からひきこもり、ほとんどの時間を自室で過ごすようになった。抑うつ気分は強まる一方で、自傷行為に加えて自殺企図も見られるようになった。
病院での最初の診断は、精神病圏に入る重症うつ病であった。そこで電気療法が施され、一時的な改善が見られた。しかし、まもなくすべての症状が再発した。
その後、彼女は何か所かの病院に短期間入院する。向精神薬と抗うつ剤による薬物療法を受けたが、明らかな改善は見られなかった。
結局、長期間の入院治療を受けることになり、そこで慢性の分裂病反応もしくは境界パーソナリティ構造ではないかという疑問が生じた。ちなみに、彼女を診察したほとんどの医師は彼女が分裂病性の症状であると診断していた。
そのような経緯を経て、彼女はthに紹介された。数週間にわたる診断評価において、thは彼女に以下のような特徴を見出した。
まず、彼女の周りにいる人間はどのような動機で行動しているのかという彼女の猜疑心がある。そこには妄想的な雰囲気はあるが、妄想思考を示す点を見いだすことはできなかった。彼女の話は曖昧で、一貫性を欠き、しばらく黙り込んで会話が途切れたりするので、thは思考過程の解体が本当に存在しているのではないかとの疑いを抱いた。しかし、注意深く観察していくと、幻覚や妄想は認められなかった。彼女自身や重要な他者に関する話は曖昧で混沌としており、矛盾に満ちたものであった。彼女の感情は揺れ動き、ある時は混乱、狼狽し、またある時は抑うつ的であり茫然としている様子が見られた。
thと二人だけで面接している時、彼女はthに対して疑い深い、奇妙にひきこもった態度を示した。しかし、彼女は自分の態度とそれがthとの関係に与える影響について、彼女はしっかりと気づいていた。
際立った投影が彼女には見られた。それは、例えば、thに興味を持たれていないのではないか、thから鋭く批判されるのではないかという彼女の恐れである。それはまさしく彼女自身がその傾向を持っているということを間接的に示すものであった。この投影を解釈していくと、彼女は自分が直面している現実状況を一層明確に把握できるようになり、会話における曖昧さが減少していった。
幻覚や妄想がないこと、直面しているth-cl関係に関する通常の共感能力を保っていること、原始的防衛機制を解釈した際に統合された反応を示し、一時的に自我機能が改善されたことなどから見て、現実検討がしっかりと維持されていることは明らかであった。
thは、彼女を、分裂気質的で、マゾヒスティックで、妄想的特徴を有した境界例と診断した。
以後、彼女は積極的に精神分析的精神療法を受け、服薬を中止するよう勧められ、自傷・自殺企図を自分でコントロールでるようになるまで、治療状況の整った病院に入院するように説明を受けた。
彼女はこれらの提案を受け入れ、6か月間入院する。その後、週4回の外来精神療法を4年間受けた。その3年後の追跡調査では、彼女の自律感は増しており、勉学や仕事の能力も向上しており、大学を卒業して芸術家としての活動を始めていた。さらに、彼女に相応しい男性との間に正常な性関係を築いており、自宅から離れて暮らすことができ、内的自律感を達成させていた。自傷・自殺傾向は完全に消失していた。
(このケースは分裂病と境界例の鑑別診断を取り上げているわけだが、両者の決定的な差異は現実検討にある。境界例は、分裂病に比べて、現実検討がよく保たれているものである。ただし、現実検討が保たれているかどうかは繰り返し面接していかないと見えてこないものだと僕は感じている。
このケースでは、彼女の語りのために、現実検討の有無がなかなか明確にならなかったのではないかと僕は察する。つまり、彼女の曖昧で矛盾に満ちた話は、それが現実検討の欠如を示すものか、それとも内面の混乱などを示しているものであるのか、なかなか決め手になるものが見出されなかっただろうと思う。
その決め手になったのが、転移関係における防衛機制の解釈にあったということである。診断のための評価面接でそういう解釈を投与することは、けっこうな冒険であったような気がする。僕にはとてもできない。もし、彼女が精神病的であれば、僕の予想では、こういう解釈を投与されて、彼女は激しい陰性感情を発展させて暴発的な反応をするか、一気に自我が解体してしまうような状況に追い込まれてしまうかすると思う。実際にどういう形で解釈が投与されたのかは不明なんだけど、彼女はthの解釈投与に対して、よく持ち堪えたという印象を僕は受けている。つまり、彼女の自我はそこまで脆弱ではなかったわけだ)
(cl92)18歳女子 慢性分裂性精神病
彼女は数回に渡って重篤な抑うつ状態に陥り、過去2,3年間に徐々に学業成績が低下していた。両親とはいつも激しく口論するようになり、次第に社会的に孤立していった。男友達との交友では性的抑制を示していたが、反抗的で社会的に孤立している若者に惹かれるようになり、こういう若者たちと数年に渡って付き合っていた。
抑うつが再び重篤となり、自殺企図が懸念され、彼女は入院することになった。
病院では、彼女は傲慢、支配的で疑い深く、他人を思いのまま操ろうとし、自分は精神的にどこも悪くはないと言い張っていた。
唯一の問題は腕の痛みだった。これは多分、以前のひどい抑うつの時期に続いた不眠のために徐々に生じてきたものであると、彼女は説明する。
自分の問題はもともと情緒的なものであり、それが抑うつを引き起こし、抑うつのために不眠が生じたものであることを彼女は認めていた。しかし、腕の痛みについては、不眠に由来する器質的原因があり、それに対しては投薬以外は役に立たないと彼女は考えていた。一方で、彼女は薬物療法にはできる限りの抵抗を企てていた。
腕の痛みという症状は、徐々に彼女の対人関係にかかわる中心問題となっていった。他人を操作する試みを制限すると、彼女は暴力で対応した。病院の職員と患者を離反させようという彼女の傾向は、同じように制限されることによって、さらに増大した。
否認、分裂、投影などの原始的防衛が明らかに優勢で、統合された自己概念が欠如しており、個々の他者が区別して概念化されていないために、彼女は境界例であることが疑われた。
thによる診断面接において、行動観察の結果と共感能力の存在を考え併せて、彼女には現実検討が保たれているとthは感じた。原始的防衛機制に解釈を投与しても、統合性が失われることはなかった。
しかし、心理的困難の存在を否定しきることもできないし、腕の痛みに関する心気的傾向は通常の現実検討によっては決して減少しないとthは思った。そのため、これがどの程度慢性の心気妄想と言えるのかthは疑問に思う。もし、心気妄想であるとすれば、重篤なうつ病の兆候を見せていなければ、分裂病性の疾病の可能性を示唆する。
彼女は長期入院を勧められ、鑑別診断をさらに明確にするためのアプローチがなされた。この治療的アプローチの影響によって、彼女の行動は一層解体し、明白な幻覚や、今までにはなかった心気的かつパラノイア的な妄想が出現するようになった。
彼女の最終診断は慢性分裂性精神病となった。
分裂病と境界例の鑑別においては、現実検討の有無が重要な指針となる。ケースによっては、多少なりとも重篤な青年期の反応と思われるものがあり、その上に慢性の単一妄想
が固定している時、その根底にある精神病的パーソナリティ構造が不明確になることがある。
(順を追って考えていこう。
18歳のclが2,3年前から学業成績が低下していったということは、彼女が15,6歳の頃である。この時点ですでに病気が始まっていたと考えられる。この成績低下は、学業についていけないという形をとるものではなく、cl自身の変化によるものだと思う。それは精神的緊張力が持続しないといった問題ではなかったかと思う。集中したり、それを維持することが難しくなるわけで、心的エネルギーが低下していったのだと思う。この心的エネルギーの低下に伴って、自己を凝集する力も弱まるので、自己が解体しやすくなってしまうだろうと思う。
抑うつは、うつ病の抑うつというよりも、もっと無気力とか離人感とか非人間化といった感情に彩られていたかもしれない。
孤立していくが、一方では反社会的なグループの人と交際する。否定的同一性の問題があるかもしれない。
母親と口論する。大抵のケースで口論の相手となるのが母親である。どういう口論が展開されていたのか不明だけど、こういう口論を通して自分が以前とは変わってしまったということを暗に訴えていると思われることもある。他の人間に対しては無理でも、母親にはそれが言えるのだろうと思う。
再び抑うつ的になり、自殺企図が見られる。この自殺企図は、人格障害や分裂病では、かなり派手な形をとることも多い。つまり、人目につきやすいということだ。うつ病や一部の神経症的なケースでは、この自殺企図が人知れず行われ、自殺企図があるかどうか周囲の人にも気づかれなかったりする。このclの場合、恐らくそうではなかっただろう。自殺企図は表に現れており、人に気づかれており、場合によっては、この自殺企図が対人操作の手段になっていたかもしれない。
入院ということになる。傲慢、支配的、疑い深い、他人を操作しようとする、自分は精神的に悪くないと言い張る、こうした態度は境界例的であるように僕には見える。
腕の痛み。これに関しては不明点があるが、器質的な問題ではないようである。つまり心理的な痛みである。彼女の話では不眠に伴って生じた痛みであるということである。病の進行に伴って生まれた痛みであり、その逆ではないようである。
こういう身体的痛みや訴えは取り扱いが難しい。この痛みを取り去るわけにもいかないからである。と言うのは、身体的訴えをすることで免れているものがあるからである。その身体的痛みが引き受けているものがあるからである。従って、このような場合、当人は痛みを執拗に訴え、治療を求めるも、どこかで治癒に抵抗するものである。それが消去してもらっては困るからである。
このclにおいても、腕の痛みは薬物療法しか効果がないと信じておきながら、薬物療法には頑として抵抗しているという矛盾性にそのことが窺われる。
腕の痛みは彼女の対人関係の中心となっていく。どういうことがあったのかは不明だけど、例えば、他の人とは違って自分には腕の痛みがあるために自分だけ特別扱いを周囲に求めるとか、他の人たちはこの痛みがないからましだなどということをネチネチと言い続けるとか、何かちょっとしたことでもするように求められても腕の痛みがあるからと言って断るとか、そんなことがあったのかもしれない。
彼女の行動が制限される。それだけ周囲にとって問題となっていたということである。彼女の場合、暴力的反応と他人を操作しようとする試みである。特に、患者とスタッフとを引き離すような試みがなされていたらしい。動機は不明だけど、妬ましくなるのかもしれない。職員は自分だけにケアを施してほしいと願うのかもしれないし、他患者のケアをしていると自分から奪われたと感じるのかもしれない。そうだとすると、職員のケアを受けるのは自分だけであり、自分がそのすべてを受け取らなければならないということであるから、ある意味では貪欲である。口愛期的な貪欲さである。
以降は診断の問題になる。境界例が疑われている。しかし、純粋に境界例であるとも言えないところがある。それが腕の痛みに関する部分である。現実的な解釈を投与しても、この心気妄想に変化が生じないわけである。現実検討によっても影響されないのは精神病性の妄想であると言える。ただし、彼女にとってこの腕の痛みは失くしてはいけないものであり、それに処置を施されることには抵抗したいということであれば、彼女はこの現実検討を本当は分かっているかもしれない。ただ、それを失ってはならないということで抵抗しているのかもしれない。
診断をより確かなものにするために、新しいアプローチが試みられる。このアプローチは彼女の脆い自我を解体させることになった。何が行われたのかは不明である。遅かれ早かれ、彼女はそうなっていただろうとは思う。人格障害レベルでギリギリに保っていた自我だったので、何かの出来事で解体してしまう可能性は十分にあったと思う。
彼女の場合、本当の精神病の診断がついたことになる。境界例においては、標準的な治療(精神分析)を試みると精神病水準に退行するということも言われている。彼女の場合もそういうことが生じたのかもしれない)
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)