<T025-21>文献の中のクライアントたち(21)
シュヴァルツバーグ編『青年期境界例入門』所収のカーンバーグ論文「青年期境界例状態の診断」より。境界例とその類似の状態における鑑別診断に関する論文に収められているケースを抜粋する。クライアントはcl、カウンセラー並びに臨床家はthと表記する。( )は僕のコメントなどである。
<本項収録のクライアントたち>
(cl88)18歳女子大生
(cl89)15歳女子高校生
(cl88)18歳女子大生
18歳の大学新入生の女性が、境界例並びに重篤な神経症性抑うつの疑いにより、内科医の紹介でthを訪れた。彼女は、学業不振で、社会的にも孤立し、ある時は悲嘆に暮れ、引きこもり、ある時は友人や家族と激しく口論するという状態であった。また、彼女は同性、異性との性的問題を抱えている。
より詳しく調べていくと、彼女は常に強い性的抑制を示してきた。あらゆる性行為、自慰に伴う空想に対する罪意識としてそれは表された。彼女の性的空想とは、サディスティックな強い男性によって辱められ、打たれ、奴隷にされるというものであった。現実においては、彼女はさまざまな男性と恋におちたけど、性交渉を持つことには常に抵抗した。
張り合うことのできないと感じた同性には恐れを抱き、そういった女性に対しては服従関係を築こうとし、女友達と若干の性的関係を持っていた。しかし、それによって、性的快楽はあまり経験していなかった。
高校時代、熱心に勉強することで、職業的同一性を見いだすことができ、さらに性関係に巻き込まれたり、男性を巡って他の女性と張り合ったりせずに済むと、彼女は考えた。大学に入ると、性的に親密な関係を得る道が自分には閉ざされているのではないかと彼女は感じるようになった。こうした困難を克服する能力が欠けていることへの絶望と、禁じられた性行為に関わっていることへの罪意識とが結びついて、彼女は抑うつ状態に陥り、学業を著しく妨げるようになった。
彼女は他人との関係を深く描写することができ、関りを持った人について一人一人を区別して生き生きと描写することができた。抑うつ状態に陥っているにも関わらず、彼女は統合された自分という感覚を持っており、ヒステリー的でマゾヒスティックな面が優勢なパーソナリティ構造を示していた。彼女は価値や理想に関しては明確な態度を持ち、文化や政治のある分野では深い興味を示し、セックスを意識せずに済むほど年齢の離れた人との関係においては、彼女は実に役に立つ女性であった。ある社会的な運動組織のボランティアとして、はるかに年長の人たちの中に混じって、最年少者として活動した時、彼女は数か月にわたって優れた働きをしたが、その間の生活はあたかも「修道女のよう」であった。
彼女の中で、自己概念および他者概念は統合されており、同一性拡散は認められない。彼女の混乱した性生活は男性に対する性的抑制と強い女性に服従してしまうことへの罪意識に関係している。性的葛藤に影響されない場合には、彼女は深い対象関係を持つことができる。そこでは、過度にサディスティックで厳格であるけれど、明らかに統合された超自我を持っていた。最終診断は、マゾヒスティックな特質、不感症、重篤な神経症性抑うつを伴ったヒステリーパーソナリティである。
彼女は短期間の精神分析的精神療法により抑うつ状態から脱し、学校や社会生活でも今まで以上にうまくやっていけるようになった。もっと深く、根底にある性格上の問題を治療するために、彼女は精神分析家に紹介された。
(この女性に関しては上記以外の情報がないので、なんとも言えないところがあるけど、確かに境界例とは診断できないと思う。
もし、同一性拡散があれば、彼女の訴えはもっと漠然としたものになるだろうと思う。例えば、性的空想によって自分が崩壊してしまうとか、強い女性の前では自己を喪失してしまうとか、そういった訴えがなされるだろうと思う。さらに、理想を持つことや一定の活動を行うということにも困難を示すだろうと思う。つまり、適応する自分がもっと希薄に体験されるだろうと思う。どちらかと言えば、性的同一性の確立が不十分という印象を僕は受ける。
また、彼女の不安は特定され、限定されているという点にも注目したい。彼女が不安を覚えるのは男性と特定の女性である。境界例的になると、もっと瀰漫的な不安を訴えるかと思う。
厳格であるが超自我が形成されていること、行動化や原始的防衛機制が見られないことなども、彼女が境界例ではないことを示しているように思う。また、恐らくだけど、現実検討力もよく保たれているだろうと思う。
一人一人の人間関係を個別化できるということは、それだけ自我が分化していることを示しているように僕は思う。境界例であれば、どの人との人間関係においても、同じような体験をしたり、同じような結末を迎えたり、あるいは同じような訴えをしたりするだろうと思う。
異性を回避すること、張り合うことのできない同性からは撤退して服従するといった傾向は、エディプス葛藤の未処理によるものだと思われ、そうすると、彼女はエディプス期までの発達は遂げているように僕には感じられる。あまり人生最早期のつまずきではないように思われてくる。
抑うつは罪悪感に基づくものである。罪意識を持つことができるということは、ある程度の精神的成熟を示しているものと思われる。また、この抑うつは、境界例によくみられる見捨てられ抑うつとは異なるものという印象を受ける。この女性からは、あまり見捨てられ感情が見られないように僕は感じている)
(cl89)15歳 女子高校生
パーソナリティが最近急に変わったということで両親ともに来談。
それまで、彼女は家族とは親密だけど、他人に対しては内気であり、学業に対して熱心であった。急に、彼女はヒッピーのようなスタイルをし、年上の男性と嵐のような追従的恋愛関係を持ち始め、反抗的な若者集団に参加し、ドラッグをするようになった。
家庭の静かな雰囲気は、果てしなく続くケンカと非難に取って代わった。彼女の度重なる嘘、策略を用いたり隠し立てをしたりする、以前には見られなかったような彼女の態度は両親を動揺させた。
最初の臨床家は、娘にもっと柔軟で忍耐強い態度をとるように両親に忠告した。理由ははっきりしないが、この臨床家と両親との間に強い緊張が生じ、その時、clは無邪気な傍観者の役回りであった。
この臨床家は彼女を境界例の疑いがあるとしてthに紹介する。しかし、thはむしろ彼女が知的にも情緒的にも年齢以上に成熟しているように見えた。
彼女は初めのうちはthに不信や恐れを抱き、thのことを両親の「代理人」とみなしていた。やがて、thが中立的な態度をとっていることが彼女に分かるようになると、彼女は心を開き、男友達の関係を話し始めた。それは普通の恋愛体験であり、満足感を伴った性的関係であり、thに異議深いものに思えた。
彼女は、確かに保守的ともいえる家庭の価値観に対して反発していた。一方で、彼女は自身の経歴や将来について現実的な計画を抱いていた。彼女は学業を続け、課題や社会活動に責任を果たし、時折、ドラッグをやることや「抵抗」グループの一員であることを隠さずに認めた。嗜癖に陥っているようにも見えなかった。
また、文化、芸術に関する長年の興味はいささかも衰えていなかったし、昔からの友人との交際も続けていた。彼女は自分を適切に表現する術を心得、重要な意味を持つ他者をそれぞれ区別して認知していた。
両親との葛藤、臨床家との関係についてのthの質問にも、彼女は思慮深く、情緒的にオープンな態度で答えた。
thの主な関心は彼女が服装をガラリと変えたところにあった。thはこのことを9回にわたる面接で取り上げ続けた。
これらの面接を通して、彼女の変化は最初の印象ほどには病的なものとは見えなくなっていた。それは、むしろ、家族の親密過ぎて圧倒的な絆から、分離し、個体化しようとする正当な努力のようにthには思えてきた。
両親との面接においても、最初の臨床家の忠言、彼女が両親と距離を置こうとするとき、両親はそれを尊重すべきという助言が再確認された。両親は並みはずれた理解と柔軟性を示した。
一年後の追跡調査では、両親との問題は著しく減少し、男友達との関係は終わっていて、別の男性とデートし、学業、社会生活ともに正常に遂行していた。
(最初の臨床家はこの女性を境界例の疑いがあると見立てたが、カーンバーグは青年期の問題の範囲内のものとして捉えているようだ。
最初の臨床家の疑問ももっともである。どうも、この時は両親の方がパニックになっていたのかもしれない。臨床家と両親の間で緊張関係が起きたということがそのことを示唆しているように思う。そのため、クライアントをきちんと見ることが妨げられたのかもしれない。
もし、この娘が境界例であれば、両親はもっと激しい行動に出るかもしれない。少なくとも、並外れた理解や柔軟性を示すことはないだろうと僕は思う。あくまでも子供の問題であると頑なに固持したり、そのような忠言をする臨床家を敵対視したりするかもしれない。境界例の人の親にはそういう人が多いように僕は感じている。両親が二人ともそういう傾向のあることもあれば、そのうち一人にそういう傾向があったりする。いずれにしても、両親が二人とも理解や柔軟性を示すことは、境界例のケースでは、めったにないことだと僕は感じている。
彼女が境界例でないのは、自己表象が維持されており、一貫した自己を有しているところからも窺われる。特定の分野では以前と変わらない興味を持っているということは、それだけ一貫した自己を有しているということになると思う。
また、対象表象は分化されており、個々の人間関係を個別に経験できる傾向を有しているところからも境界例とは言えないと思う)
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)