テーマ53>臨床家への批判~「相性が合わない」(続)

(53―6)「相性が合わない」のもう一つの可能性

 さて、「書き手」が「相性が合わない」と書き込む時、一体、「書き手」は臨床家とどのような関係を築くことを期待しているのでしょうか。

 この点が不明瞭なために、単に「相性が合わない」とだけ書き込まれても、それ以上にどうにも考えることができないのです。

 つまり、その「書き手」にとって、どのような人が本当に「相性が合う」という体験をするのか、「書き手」にとって「相性が合う」とはどういうことを言うのか、私には分からないのです。

 もしかすると、「書き手」自身もそれをそんなに明確にしていないかもしれません。

 むしろ、こうした言葉はその額面通りに受け取らない方がいいのかもしれません。「書き手」自身上手く言えない何かを言おうとするのだけれど、いざそれを言葉にしようと思うと、「相性が合わない」という表現しか出てこないという体験をしているのかもしれません。

 

(53―7)「適応」という観点から

 私はここである女性のクライアントを思い出します。このクライアントは精神医学的に言えば、上に述べた「書き手」よりもはるかに「重い病理」を抱えている人です。

彼女は「私を傷つけないで欲しい」とはっきり要求してきました。毎回、面接の初めに彼女はそのように述べるのです。

しかし、この方が素晴らしいのは、どういうことをされるのが自分は嫌なのかということを、きちんと自分の口でおっしゃられていることです。

相手が自分を傷つけるか傷つけないかということは、「相手と相性が合うか合わないか」ということよりも、はるかに具体的であり、理解しやすく、私も対応がしやすいのです。

私はその方に、「あなたはどういうことに傷つくの?」と尋ねれば、彼女は答えてくれるのです。そして、私はそれを共有できるのです。

お互いにそういうことが共有できるほど、共有されるものが増えていくほど、お互いの間の疎通性が増してくるのです。

実際、この女性は、「書き手」よりも「重い病理」を抱えていたかもしれませんが、「書き手」ほど孤立していないのです。

「私を傷つけないで欲しい」と彼女が求めた時、私は次のことを伝えるようにしました。「私の言ったことであなたが傷つくことがあったとしても、あなたを傷つける目的で言うのではないということをあなたも理解してほしい」と。そして、「傷ついたと感じた時には、その場で教えてほしい」と頼みました。

 彼女はその後の面接で何回か「傷ついた」と表明しました。その都度、私は私の言葉の何に傷ついたのか、私の言葉をどういう風に受け取ったのかということを話題にあげるようにしました。多くの場合において、そこでお互いの間に意味の取り違えや、すれ違いがあったりするのが見つかるのです。

そうしたことがお互いの間で修正されていって、私に悪意や敵意がないということが彼女にうまく伝わると、彼女はとても落ち着いてくるのでした。

 それでも、彼女は面接の場面でいくつかの傷つきを体験しましたが、彼女の偉いところは、そこでキレたり、書き込んだりしなかったということです。

むしろ彼女は自分が傷ついた時こそ、私に説明する時間を与えてくれ、私の言葉を理解しようとしていました。

このことを一言で言うなら、彼女は私に「適応」しようとしていたのです。彼女のこの姿勢のおかげで、私はかなり神経を使ったとは言え、この女性クライアントとうまく関係を築くことができたのです。

「相性」の問題ではなく、「適応」の問題でもあると述べたのはこういうことです。

 

(53―8)適応困難であることの表現

 クライアントはカウンセリングを受ける時、そのカウンセリングを実施する機関やカウンセラーに適応していく必要があります。私もまた一人一人のクライアントに「適応」していかなければならないものです。

「書き手」が臨床家と「相性が合わない」と書き込む時、その人は臨床家に適応することが上手くできなかったという可能性もかなりあるだろうと、私は捉えております。と言うのは、「書き手」の中には人や場面に適応することに困難を覚えられる人もおられるだろうからです。

 言い換えれば、そういうことに適応していくことが難しいという人が、「書き手」になると言っても、私はあながち間違っているとは思わないのです。

 もちろん、個々のケースを見ていけば、それ以外の可能性も当然あるはずです。ところが、「書き手」は「相性が合わない」と書くだけで、それ以上のことは何も述べていないというのが、私が頻繁に見かけたパターンです。私から見ると、それは「言わずして、察して欲しい」という気持ちの現れであるかのような印象を受けるのです。

 私のその見解が正しいものであるかどうかは、私には何とも言えません。ただ、「書き手」が「臨床家と相性が合わなかった」と書き込む時、もう一つの可能性として、「書き手」が臨床家に「適応」できなかった、もしくは「適応」していかなかったことを表現しているのではないかと、そう考えるのです。

(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

 

 

 

 

 

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