5月15日:ミステリバカにクスリなし~『化人幻戯』 

5月15日(木):ミステリバカにクスリなし~『化人幻戯』 

 

 なんとなく江戸川乱歩が読みたくなった。初期作品や全盛期にものではなく、晩年の作品を選んだ。 

 本書は僕が高校生の時に購入した本で、当時、たいへん面白く読んだのを覚えている。今、読み返してみて、当時と同じように面白く読めるだろうか、それとももっと違った読み方になるだろうか、いろんな期待を込めて再読する。 

 

『化人幻戯』 

 乱歩は、変格探偵小説では名作を残しているが、本格探偵小説が書けないことを悩んでいた節がある。本作は、晩年の作にして、より本格ものを目指した意欲作だ。 

 物語は、庄司武彦が元侯爵である大河原氏の秘書として雇われるところから始まる。 

 この大河原義明という人物が、実業界でも大物でありながら、探偵小説や犯罪研究などを貪り読み、おまけに素人の奇術師という変わった人物である。そして、レンズ狂であり、双眼鏡や望遠鏡を覗くのが好きだという覗き見趣味的なところがある。覗く前には必ずレンズをハンカチで拭くなどという強迫的な癖もある。こういう人物像はいかにも乱歩趣味が投影されているかのようだ。 

 この大河原氏は若くて美しい由美子を妻にしている。由美子も夫の影響で内外の探偵小説や犯罪実話に通じており、同じくレンズ狂で、庭に望遠鏡を出しては昆虫などを拡大して眺めるということをする。この由美子をめぐる人間関係が本作の軸となる。 

 また、大河原氏には寵愛している若いビジネスマンが二人いる。姫田と村越という二人の青年である。この二人は由美子夫人と三角関係になり、最初は姫田が殺され、続いて村越が殺される。さらに村越の友人である変わり者の画家にまで被害が及ぶ。やがて由美子は庄司武彦にも愛欲の手を伸ばすことになる。 

 まずはミステリの部分から。 

 二つの殺人事件はそれぞれ不可能犯罪を取り上げている。一つは、犯人が遠く離れた場所から犯罪現場を目撃するというカーの『皇帝のかぎ煙草入れ』のシチュエーションを取り入れている。もう一つは密室ものであるが、これは機械的な仕掛けで鍵をかけるというものであり、明智小五郎探偵があっけなくそのからくりを解く。 

 犯人のアリバイ工作には凝ったところがある。嫌疑の目を逸らそうとする工作も手が込んでいる。あまりネタバレしてはいけないので詳しく書けないけれど。しかし、犯人の思惑違いだったことは、明智探偵がその工作に引っかからないことであった。そればかりか、明智探偵はとっくにその工作を見破っていたりする。明智小五郎は50歳を過ぎたという設定だが、相変わらずスマートな推理を披露し、最後には冒険にも挑戦する。まあ、50歳は高齢だとみなされていた時代だからだろうけれど、妙に若々しさがアピールされているところが感じられる。 

 明智小五郎は年を重ねても明智小五郎である。それと同じく、小林少年もいつまでも少年として登場する。本作では明智夫人は登場しないものの、シリーズキャラクターというのはあまり年を取ってほしくないものだ。 

 さて、本作は乱歩の晩年の作でもあり、全盛期のアクの強さがなくなり、怪人とか、極端な変人・奇人の類も登場しない。それでも、非常に薄められた形で乱歩趣味が随所に見られる。印象深い登場人物たちのことを振り返りたい。 

 その前に、本書では姿こそ登場しないものの、江戸川乱歩が江戸川乱歩として登場する。大河原氏が庄司武彦に乱歩の『類別トリック集成』の話をする場面がある。乱歩は大河原氏の口を借りてこんなことを書いている。「あのトリック表では、変わった犯罪動機の集めている章(があるが、あれ以外にも)誰も考えつかないようなやつがあるね。探偵小説家の視野は案外せまいものだね」などと言わせている。何気なく読むと乱歩の自虐ネタかと思ってしまうのだけれど、これが伏線になっていたりする。そう、本作ではとにかく犯罪の動機が変わっているのだ。現代の読者にはそうではないかもしれないけれど、この動機は当時はかなり斬新なものだったかもしれない。 

 主要人物の庄司武彦は「包まれる」ことに快感を覚えるという人物でもある。子供のころから玩具を円形状に並べて、その中心に座ると落ち着くなどといった人物である。乱歩はこれを「胎内願望」として描いている。由美子夫人が男を包み込むような女性であるというところから庄司も由美子に惹かれていくことになる。「胎内願望」という背景があるので、由美子に首を絞められても抵抗しない(できない)ことに不自然さや違和感が伴わない。よくできた設定である。 

 また、簑浦警部補もいい味を出している。最初の姫田殺人事件を追う刑事で、村越を容疑者とみて尾行を続ける刑事だ。容疑者の尾行が「かくれんぼ」のスリルと通じるというのは、面白い着想だと感心した。僕にはそんな観点がないだけに新鮮な驚きだった。 

 由美子夫人は、明智探偵に言わせれば「今までに出会ったことのない」タイプの人間だということになるのだけれど、現代風に言えばサイコパスである。由美子がラストに放つセリフは、ある意味では、一番怖いとさえ思ったほどだ。 

 

 本作は古い作品であるだけに、どうしても時代の古めかしさは避けられないが、それを別としても、本作はけっこう面白い。あの乱歩ワールドを期待する向きには少々失望される作品であるかもしれないが、不可能トリックやアリバイ崩しを駆使した本格作品としては評価したいところである。 

 僕の唯我独断的評価4つ星だ。 

 

<テキスト> 

『化人幻戯』(江戸川乱歩角川文庫 

 

 

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