9月2日(火):1日2400時間
今日は在宅。朝起きて、それからまた寝る。この3日間ほど働きづめ(と言っては大げさだけど)だったのでクタクタだった。
朝、テレビのワイドショーでストーカーのことを報道していた。最近、事件があったせいでもあろう。
ある女性は男性から後をつけられたと言う。全く面識のない人であるという。電車の中で目が合った程度のことであるらしい。それだけでストーカー行為が始まるのである。
これは何かと言うと、関係性の喪失なのだ。以前のストーカー事件などでは、ストーカーと被害者との間に関係性が認められることが多かったが、今やそうした関係性の概念が見いだせなくなっているようである。
こうした関係性の欠落した人が増えているとするならば、現代人は総じて精神病である。僕はそう言って憚らない。
アダルトチルドレンなんて時代錯誤も甚だしい。親が子を病気にするのではない。現代社会や文明が人を精神病に陥れていくのだと僕は考えている。言い換えるなら、現代社会は個人をして精神的正常の維持を困難にしているところがある、ということである。
万博の関西パビリオンで「一日240時間」という短編映画が公開されているらしい。昔の人が1時間かけて移動した距離を今では5,6分で移動できるのである。昔の人の10倍の時間を我々は有していることになるわけで、だから1日が240時間に相当するというわけだ。もちろんこれは昔の人の観点に立った時間体験である。
現代人から見直すなら、もし、現代人が昔の人と同じ活動をするなら、現代人は1日が2時間少々しかなくなることになる。あとの22時間は空白の時間となってしまう。現代人が忙しくなるのは当然である。1日の内22時間の空白には耐えられなくなるからである。その時間に何かをせずにはいられないだろう。
昔の人と比べて、現代人は忙しいのではなく、何かをせざるを得ないのだ。空白の、虚無の時間に耐えられないからであると僕は考える。
問題は現代人が忙しいとか時間に忙殺されているとか、そういうところではない。僕たちは活動をする。昔の人以上に活動ができるようになっている。ただ、その活動が建設的にならないことが問題だ。有益で建設的で、創造的な活動の道が閉ざされていることが問題なのであって、もし、そういう活動に道が開かれているなら、「1日2400時間」でも構わないとさえ僕は思う。
ちなみに僕は「1日2400時間」欲しい。すべてにおいて時間が足りなすぎる。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

