8月18日(月):不調も受け入れる
またしばらくブログを怠ってしまった。これに割く時間があまりなかったというのも理由の一つではあるのだけど、自分の体験を書き留めておかないと、それらは忘却され、自分から失われてしまいそうだ。体験は僕にとって財産である。疎かにしてはいけない。
何かにつけて忙しい。昨日まで世間はお盆休みだった。最大で9連休となるところも多かったようだ。僕の方はと言うと、そんなこととはまったく関係なしに毎日が過ぎていく。むしろ休んだらもったいないなどと思ってしまう。
連休の初期は面接の仕事もあったが、後半はなしだ。そういうものではあるのだが。夜のバイトは相変わらず続けている。しんどいことはしんどいが、いろんな人を見る機会にはなっている。いつかそういう話をしよう。
昨日の日曜日は、朝までバイトだったが、その後は終日フリーだった。高槻に出て原稿を書く予定をしていたが、どうにも疲れ切っていたのと荷物が重かったので、一旦帰宅することにした。そこはずいぶん迷ったのだけれど、帰宅することに決めた。
帰宅して少し一服するはずが、寝てしまう。起きた時はお昼だった。最近はお昼になると一日が半分終わってしまったという悔恨の念に駆られてしまう。ともかく、起きて予定の作業をしようと決める。高槻に行かなくても自宅でも原稿は書ける。できることはやっていこう。
原稿を書こうとするも、どうにも頭が働かない。言葉が出てこないという、僕がよく体験するあのもどかしさをいやというほど体験した。どうも不調だ。書いては手を止め、また書いては手を止めということを繰り返し、一向に捗らない。夕方ころには書くことをすっかり諦めた。今日は日が悪い。
その後は、本を読んだり、音楽を聴いたりして過ごすものの、どうにも僕の中で不満がくすぶり続けている。言葉が出てこないという体験を僕はよくするのだけれど、この体験をするたびに僕は自分がもう終わりなんだという気持ちに襲われる。昨日もそうだった。
結局、何をやっても自分に対しての不満が噴出するのだから、何もしないことに決めた。お酒でも飲んでぐっすり寝てやろうと決める。バイトしているローソンまで行って、ウイスキーの小瓶を買う。それくらいでちょうどいい。それを一本飲み終わるころにはいい感じで酔いが回り、よく眠れた。
バイトしてる店に行っても、同僚の誰とも話をしないし、仲良くなれない。僕自身、勤務中は黙々と仕事をしたいせいもあるだろうけれど。3年近く勤めて一人の友達も作れずか。まあ、それでもいいか。Oさんとも最近は会っていない。明日くらい会おうかという気持ちも起きたが、保留にする。
ここから今日の話に入る。
朝は5時くらいに一度起きる。二度寝してしまう。再び起きた時は6時過ぎていた。この時間に起きたらOさんの手伝いは行けないな。諦めよう。
ゆっくり朝食を取り、7時半ころに家をでた。高槻には8時過ぎに到着。そこから現在15時までずっと職場にこもりきりだ。本を読み、原稿を書いてい過ごす。
先週から「戦争学入門」を書いている。まったく僕の趣味のページになるだろうが、ある程度原稿が貯まってから公開していこうと思う。
いつごろからだったか、戦争について学びたいという欲求が僕の中で生まれていた。それは引退後の、老後の僕の課題であり、楽しみでもあった。でも、僕にはもう引退も老後もない。そういう気がしているし、実際、そうなるだろうと思う。いずれやろうと思っていることは今始めないと、一生その機会がないかもしれない。そんな思いで取り組み始めているのだ。
戦争を学んで気づくことは、それが生の意志を高めてくれるということだった。戦争は、それに参加する人だけでなく、巻き込まれる人、次世代の人にまで深刻な影響を及ぼす。生きたくても生きることのできなかった人たちの記録でもある。そういう人のことを読んでいると、僕はまだまだ生きなければならないという気持ちになる。
今日は朝から戦争学関係の本を読み、原稿を書く。その他、臨床心理学の論文を一つ読み、合間を縫ってミステリも読む。合わせると300ページくらいは読んだだろうか。不思議とスラスラ頭に入っていく感じがする。昨日とはえらい違いだなと思う。こういうのは自分でもどうにもできないのがもどかしいのだが、自分を完全にコントロールできるなどという幻想は持たないに越したことはない。不調は不調でそのまま受け入れることの方が結果的に、そこでジタバタもがくよりかは、上手く行くってものだと僕は思っている。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)