7月7日:怨恨事件か 

7月7日(月):怨恨事件か 

 

 一昨日の土曜日から足が痛みだし、昨日は終日寝て過ごし、今日はその延長のような一日となった。昨日と違って、今日は深夜勤務を控えている。それまでに足が何とかなるかどうか気が気でなかった。昨日同様に寝て過ごしたけれど、気持ちの上では昨日よりも落ち着かないで過ごした。 

 

 テレビがついている。何気なく見る。どこかのガールズバーで女の子が刺されたという。二人が死亡したのか、そういう事件が報道されていた。 

 昼間のニュースでは犯人は「特殊なナイフ」で刺したとしか報道してなかった。特殊なナイフとはなんぞやと疑問だった。 

 夜のニュースではそれがどういうナイフであるか写真を呈示してくれた。なるほど、確かに特殊だ。どこかの民族の兵士が身に着けるような武器だ。そう、ナイフというより武器と言った方が正しい気がする。 

 ああいうナイフ(にしておこう)は日本でも買えるのだろうか。きっと買えるのだろう。ネットなんかで購入できるのだろう。ああいうのを買うということは、鑑賞用に眺めるとかいうのでなければ、明らかに誰かを刺すつもりで買うんじゃなかろうかという気もする。 

 そうして、どこかの国の民族の兵士が使用する武器みたいなナイフで若い子の命が奪われたことになる。動機などは不明である。そういう殺傷能力の高そうな武器を使用するなど、相当な怨恨や敵意を持っていたのだろう。 

 もっと詳しい報道がなされないと何とも言えないのだけれど、怨恨による殺人と捉えておこう。怨恨に支配された人間の成れの果てがあの姿だ。恨んでいる相手のことなんてさっさと忘れちまえばよかったのに(相手の忘却は相手への最大の復讐である)。被害者も不幸だが、犯人も不幸である。被害者の親族などは新たに犯人に怨恨を抱くかもしれない。こうして怨恨は不幸の連鎖を招くのだな。 

  

 それにガールズバーというのは僕にはどうも面白くない。今よりも若い頃は、「初対面の女の子と15分以内で打ち解けること」という自分なりのルールを設定してたものだ。初対面の若い女の子が僕と対面して、15分以内で緊張感を解いて、打ち解けたら僕の勝ち。15分経っても女の子が緊張していたり、余所余所しい感じのままだったら僕の負けというルールだ。勝っても負けてもそれで何があるというわけでもない。僕の自閉的な遊びの延長でやっていたことだ。 

 その自閉的な遊びをしなくなると、ガールズバーなんてまったく興味がなくなった。面白いとも思わなくなった。年のせいもある。自分の子供くらいの年齢層の女性と飲むのになんとなく抵抗感も生まれる。ある程度年齢層の近い人と飲む方が楽しい。 

 まあ、どうでもいい話だ。緊張して異性と話せないという男性が、異性と会話する練習としてガールズバーみたいな店を利用することもある。僕のクライアントでもそういう人がいた。それはそれでよろしいだろう。 

 そういう練習目的の人もいれば、その場限りの話し相手を求めて利用する人もあるだろう。しかし、それ以上のものを求める人もやはりいるだろうと僕は思う。恋人とか、セックスのパートナーを求めている人もいるだろうと思う。そこはもう個人の自由の問題になるので僕は口出さないことにしよう。 

 でも、そういうのは安易で手っ取り早い方法だと僕は思っている。異性と親密になることに問題のある人がそういう形でそれを求めるのだろう、と僕は信じている。あるいはそういう偏見を僕は有している。ガールズバーで特殊なナイフを振り回した犯人もそういう類の人であったかもしれない。 

 

 痛ましい事件も起きる。そんなことを気にするより、今晩の夜勤に備えた方がいい。深夜勤務のことを忘れておった。とにかく、勤務時間に効果が現れるように時間を見計らって鎮痛剤を服用する。これが効いてくれればなんとか勤務はこなせるだろう。十分に効いてくれないと、かなりしんどいことになりそうだ。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

 

 

 

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