7月22日:僕の身代わりに 

7月22日(火):僕の身代わりに 

 

 このところしんどい数日を過ごしている。何かと身の回りで事件が起きる。それを書き残しておこう。 

 

 一番大きかったものは甥の死だった。兄の息子である。僕は甥とはそれほど親しくなかった。どうも苦手だった。年に1回か2回くらい顔を合わせる程度で、特に会話もなく、せいぜい挨拶する程度の関係だった。 

 甥は大学が上手くいかず、中退し、その後も就職活動が上手くいかないということは聞いていた。人生が上手くいかないっていう感じだったな。 

 彼の中退も大部分は親の都合だった。留年したら授業料が払えないから辞めること、というのが親子間での最初の取り決めであったそうだ。そして、甥が留年してしまったので、そのまま中退となったわけだが、要するに、兄は授業料を出し渋ったわけだ。 

 その後も、甥に早く就職してほしかった素振りが兄からは伺えた。食わしていくのに金がかかるからだろう。僕から見ると、甥はそんなにお金のかかる子じゃない。酒もたばこもやらないし、お金のかかる趣味なんかもなかったはずである。2,3年くらい引きこもらせてやればよかったのにと思う。就職活動ものんびりやればよかったのに。結局、兄は子よりも金を優先したのだ。 

 甥が死んだときの状況は詳しくは知らない。なんでも、履歴書の書き方について甥が兄に相談したそうだ。そして二人で一緒に履歴書を書いていたようである。これは僕の憶測なんだけれど、兄が何か余計なことを言ったのだと思う。それで甥がキレたそうで、裸足のまま飛び出し、大空に羽ばたきたかったのだろうか、そのままマンションから飛び降りた。そうして甥は21歳の生涯を終えたのだ。 

 それが20日の日曜日の出来事で、僕は翌日の月曜日にそのことを母から知った。甥とは親しくなかったとは言え、身内でそういう死に方をした人が現れたことにショックを受けたし、甥のことを考えると可哀そうでならなくなってくる。昨日の月曜日は終日僕の気分は重かった。 

 

 その時の兄と甥との状況からすると、兄が何かしたということは無さそうである。むしろ、兄が何かを言った可能性が高いと僕は思う。その辺りのことが具体的に聞かされていないので何とも言えないのだけれど、僕はそう思っている。 

 僕は兄が苦手である。普通に会話することもあるが、時折、非常に不愉快な思いに駆られることがある。兄が何か悪いことを言うわけではない。普通の会話であり、ごくごくありきたりの発言なのに、何か不快感を催すことがあるわけだ。 

 兄にはそういうところがある。かつて兄が経営したフレンチの店でも、兄の一言で近所から村八分状態にされてしまったのだ。兄の言葉にはそういう人を不快にさせる何かが感じられるのだ。もう少しわかりやすく言えば「悪意」が感じられてしまうのだ。その言葉の表面上に現れないメタメッセージの部分に甥が反応したのではないかと思う。 

 いずれにしても、人には心の中にに言ってはいけない事柄、触れてはいけない事柄、踏み込んではいけない領域というものがある。つまり、人それぞれにタブーがあるということだ。そこに触れてしまってはいけないし、そのパンドラの箱を開けてしまわないように注意しなければならない。兄は甥のその部分に踏み込んだのじゃないかと僕は思うわけだ。 

 

 いや、僕の気を重くしているのはその部分ではない。甥の死が僕の過去を思い出させるのだ。僕も大学に失敗し、21歳ころと言えば厭世観が強く、自殺を試みたこともある。僕のその過去経験と甥の自死とが妙にリンクする感じなのだ。 

 あの時、僕が死んでいれば、兄たちも自分たちの言葉に注意を払い、口を慎むようになって、甥は死なずに済んだかもしれない。どうも甥が僕の身代わりになって死んだという気持ちに襲われてならないのである。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

関連記事

PAGE TOP