6月28日(土):不調に目を奪われて
昨日のブログでは夜寝たところまで書いたのだったな。そこで見た夢を記述して終わったのだったな。今日はその続きを書こう。
あれからたいへんだった。二度寝してしまい、起きた時には出勤時間ギリギリというところだった。よく寝たけれど、十分に寝たという気はしない。よほど疲れれてもいたのだろう。でも、睡眠時間はたっぷり確保できたとは思う。
バイトに向かう。寝起きということもあって体がシャンとしない。
入荷量は通常くらいだ。いや、少し多かったかもしれない。細かい商品が多くて何かと難儀した。それに売り場に並んでいないアイテムがいくつか入ってきて、それの場所空けからしなければならなかったりもした。こういうのは事前に言ってほしいものだ。当日入荷品を見て、急遽その作業をしなければならなくなるのだ。とかく、煩雑な作業で手間が取られる。
その後の日配品の入荷も難儀した。クール麺の類だ。売り場面積以上の商品が入荷された。こういうのが困る。サラダの売り場を極限まで縮小して、かなりキチキチに詰め込んで、どうにか全種類陳列した。ほとんどやっつけ作業みたいなものだ。陳列されてもきれいに見えない。僕としては納得がいかないんだけれど、もうどうでもいいや。
朝の6時に勤務終了。相方はほとんど休憩を取れずだ。僕は休憩に行ってもいいですよと言ったのだけれど、彼がそれを拒んだ形になった。どっちにしても時間内に終わらないのだから休憩を取ってくれてもよかったのに。
それで6時からはサービス残業となる。面倒なことに一番くじが入荷されている。それだけは終わらせておかないと今晩の僕の夜勤にまで支障が出そうである。
途中で小休止を挟んだりしたのもあるけれど、終了は7時半くらいになっていた。時間内にとうてい終わらせることができないほどの仕事量を課せられて、サービス残業までして、それでとやかく言われるのは本当に面倒だ。
つくづく思うのは、上に立つ人は精神的に健康でなければならないということだ。病んでる人が上に立つとその組織全体が腐るものだと改めて思う。
このローソンは感情的に不適応を起こす人が多い。Oさんもそうだ。イライラしたり、不満をぶつけたり、あるいはパニックになったり、そういうのは不適応なのである。これは案外見過ごされやすい。つまり、そういうのが不適応とみなされない傾向があるということだ。不適応は行動だけでなく、感情面でも起きるのである。
僕なんかは、自分で言うのも憚られるのだけれど、今のところそんなに感情的不適応を起こさずに続けている方だと思う。所詮は他人の店だという感覚がどこかであるからだろう。
それにしても、このローソンもそろそろ面白くなくなってきた。Oさんを張り合いにしようと思っていて、それはある程度までそうなっているんだけれど、それにも限界があるのかな。最近はOさんの存在だけでは十分ではなくなっている。
終了後は買い物をする。売り場に一個だけ残っていて、そいつが場所を占領しているといった商品を僕は買い取る。もっとも、僕が消費できる商品に限るのだが。そうでもしないと商品を陳列するスペースが確保できないのである。
それが一品や二品程度ならいいのだけれど、今日は6アイテム購入した。カップ麺とかお菓子などである。まあ、買っておけばいつか食するだろう。
でも、店員がそこまでするというのは店としてもアウトのはずだとは思う。入荷した商品をとても売り切れないということなのだから。
まあ、どうでもええわ。
帰宅途中のセブンイレブンに立ち寄る。ここのおばさん店員さんが仲良くしてくれる。こういうのはありがたいことだ。このセブンもお客さんがよく入っているという印象を僕は受ける。頑張ってはるんだなと思う次第である。
ローソンの方も客は入るのだけれど、あれだけ必死こいてこれだけかいなと思うこともある。日商60万円あればコンビニ一店舗の売り上げとしてはまあまあいい方だと思う。あのローソンは70万円台や時には80万円超えることもある。かなりいい方だと思うのだけれど、あれだけ負荷をかけている割には大したことはないという気もする。あれだけみんな無理をして100万円超えるとかだったら分かるのだが、なんだか無駄な労力を費やしている気がしないでもない。
帰宅後は朝食を取りながら、何気なくテレビを見ている。
NHKの番組だった。きっと両親がニュースを見て、そのままだったのだろう。若年層向けの情報番組だった。SNSの活用ということをやっていたな。政治家もSNSを活用した方がよいということで、それに特化したセミナーなんかも開催されているそうだ。
政治家がSNSで注目されようものなら、親近感を打ち出さなければならないそうだ。それに地元愛とか地域愛というものもアピールできた方がいいということだ。政策や思想の魅力では人を惹きつけることができないということでもあるようだ。
くだらない世の中になったものだ。暗澹たる気持ちに僕は襲われた。思想が空っぽでもSNSで人気が出た者が勝つってことになるんじゃないか。
テレビを見ながら何度も寝落ちしてしまう。昨夜あれだけ寝たのにまだ眠い。
二階に上がって布団に潜り込む。
午後には起きて、パソコン仕事をするが、不調である。原稿を作成していて、電源が落ちたのである。その作業は水の泡だ。このパソコン、バックアップ機能がどうも設定できないのである。電源が落ちたらおしまいで、またやり直しである。
その後も電源が落ちそうな気配が2度ほどあった。その気配が感じられたら即座に作業を中断して原稿を保存しておく。なんとか書きかけの原稿は守った。
どうも今日は上手くいかない。近所のコンビニに行ってタバコを買う。
客がレジ前で列を成している。そこに割り込んだオバハンがおった。ああいうのはみっともないとしか言いようがない。醜悪な人間なんて存在しないものだと僕は思う。自ら醜悪になっていく人がいるだけだ。
心の病も同じである。自ら病者になっていくのだと僕は信じている。実際、症状の有無以上に、自分がどんな人間であろうとしているのかということが重要なのである。
帰宅して、タバコを一服。喫煙が百害あって一利なしなどとは僕は思わない。タバコよりも酒の方が害悪が大きいと信じている。
ともかく、今日は不調である。そういう日もあるのは認めるが、感情的にすっきりしないのも確かである。タバコはそういう感情を穏やかにしてくれる。一服して、気持ちの上でもリラックスできると、不調とは言え、それなりに前に進んだものも見えてくるようになる。不調の方ばかりが見えているとその他のことが見えなくなるものだ。不調に目が奪われるのはその時の感情によるところが大きいと思う。感情的に落ち着けば良い面にも意識が向けられるものだと思う。
さて、帰宅してからずっと放置していたケータイを取り上げる。なんってこったい、留守電が入っているではないか。面接の予約を希望されている人からだった。本業の仕事が増えるのはありがたい。本業も副業も、その他の趣味も、まだまだやっていきたい。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)