4月23日:こういう日もあるさ 

4月23日(水):こういう日もあるさ 

 

 ローソン夜勤。なかなかハードであった。足が痛く、ロキソニンの最後の一錠を服用する。このロキソニン、もう一日もたせたかった。でも、そんなことも言ってられない。足が痛いと同僚にも迷惑をかけてしまう。とにかく、作業はしなければ。 

 勤務終了後は別店舗へ移動。今晩夜勤する店舗だ。今晩する作業を一部終わらせておこうと思う。早朝のこの時間はOさんが勤務しているので、Oさんに会うのも兼ねて直行する。 

 

 Oさんはバタバタしている感じであったが、なんとかやってるようだった。僕も気づいたところは手を貸した。少し手伝って、僕は自分の作業をやる。それを終えてから、もう少し彼女を手伝った。少しでも負担を減らしてあげたい。 

 そういえば、先日はほとんど寝られなかったと言っていて、昨晩も遅くまで仕事をしたとOさんは言う。たいへんお疲れだろうと思う。僕も疲れてはいるけれど、彼女の比ではないだろう。僕の方はまだましだ。少しは力になろう。 

 

 僕から見ると、Oさんは少しばかり抱え込みすぎる。何事も真剣に考えるのはけっこうなことであるけれど、あまり思いつめるようであると問題である。そして、過剰なほど適応しようとしているようにも見える。僕にはそう見えるという意味だ。実際、Oさんがどうなのかということまでは分からないのだけれど。 

 でも、もし、Oさんが僕に見えているとおりであれば、Oさんは心身ともに消耗するパターンに陥っている。燃え尽きというやつだ。疲弊して、消耗して、燃え尽きる以前に過剰な適応が見られる時期があるものだ。この過剰な適応は一見すると良好な適応のように見えるものだ。 

 この適応が破綻する要因は、アパシーのような感情である。あるいはニヒリズムといってもいいかもしれない。例えば、この仕事を続けて何になるんだろうとか、本当に無理して頑張ってまでする価値があるのだろうかとか、どう頑張っても評価されないじゃないかとか、そうした感情である。 

 それらの感情が強くなるほど、適応するのに人一倍の努力を要することになる。無理して適応することになる。しかし、そこに適応する意味が失われているのだから、それも苦しい。不適応も苦しければ、適応も苦しいという状況になっていく。 

 多くの人(と僕は思っている)は、そこで認知面・思考面を強化して乗り切ろうとする。みんなのために頑張ろうとか、責任があるからやろうとか、そういう理由付けを自分自身に対して施す。それは、感情とか気持ちとかとは齟齬をきたすので、自己の分裂を生み出すことになる。この分裂もまた当人にとっては苦しい体験となると僕は思う。 

 こうしたジレンマから抜け出すには第3の道を見出すのがいい。この第3の道はどんなものでも有効である。人に加害や迷惑を与えなければどんなものでも効果がありえる。 

 Oさんの場合、その職場に適応するかしないかの二択しかない(ように僕には見える)。そのどちらも選ばないことだ。だから僕に適応すればいい。 

 たいそうなことを言ってるけど、要するに、Oさんを僕になびかせるように誘導しているだけの話だな。冗談っぽく書いているけれど、彼女が燃え尽きそうだという心配は本物だ。 

 

 Oさんが大丈夫そうなのを確認して、一本呑む。本当は二本呑んだのだけど。新商品のチューハイを飲んでみた。無糖レモンのストロング缶だ。微妙な感じだ。普通のレモンチューハイでもいいなと思った。味を取るか度数を取るかの選択になりそうだ。 

 ほろ酔い、それも少々度を越したほろ酔い状態で帰宅する。徹夜明けで空きっ腹でのストロング缶は堪えた。帰ったら速攻で寝た。ぐで~んと無様に横たわってる姿は醜いものだろうな。Oさんが僕のこの姿を見たらきっと悲しむだろうな。もうちょっとしっかりせんといかんな。 

 

 昼頃起床する。 

 ロキソニンを買いに出る。いつも決まった薬局で買いたいのだ。いちいち説明を受けたり、質疑されたりするのが面倒だからだ。 

 近所のドラッグストアに行く。なんとまあタイミングの悪い。薬剤師さんが昼休憩中だった。20分ほどしたら戻るそうだから、その辺で時間を潰すことにする。 

 近くのコンビニに行ってタバコを買う。その店の駐車場でタバコをくゆらしている。店のガラス面に自分が映っている。この年齢になると、なかなか自分自身をじっくり見ることはなくなる。うん、確かに痩せたな。顔の輪郭がシャープになっておる。イケメンではないが、そんなに悪いこともないぞ。 

 そんなことをやってるうちに時間が来る、ドラッグストアに戻って、ロキソニンを購入する。手元にロキソニンがあるとひと安心だ。 

 

 帰宅する。少しだけ本を読む。どうも集中できない。読んだところは頭に入っているけれど、読むのに時間がかかる。やがて睡魔に襲われる。今日はもう止めだ。睡魔に屈しよう。 

 こうして僕の一日が幕を閉じる。Oさんのこととロキソニンだけしかなかったような気がしている。もうチョイと有意義な一日にしたいと思うのだが、こういう日もあるさということにしておこう。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

 

 

 

 

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