3月18日(火):見かけた母子
昨晩は夜勤はなかった。その分、徹夜でパソコン仕事をした。本業、というのは僕のカウンセリングの方だが、に当分は力を入れるつもりだからだ。原稿も書き、過去に書いた原稿も修正し、その他、サイトのチェック、データ収集などをやる。
バイトも楽しいとは言え、やはり本業のことをやっていないと、生きているという実感がどうしても湧いてこない。開業して20年目。新スタートを切るのも悪くないことだ。
そんなこんなで、今日は朝まで作業して、それから寝る。
昼頃起きる。起きて昼食だ。お腹が減っているわけではないのだけれど、ここで食っておかないと後が押すといった気持ちで食べた。スケジュールの都合で食事にしたといった感じだ。こういうのはあまり良くないことだと僕は思っているのだが、仕方がない。
今日はBSで「ポセイドン・アドベンチャー」をやる。一度見ているからもういいかという気持ちと、もう一度見たいという気持ちと、僕の中でせめぎあう。結果、妥協案を取ることにした。映画を観ながら、その他の作業をするという、「ながら作業」をすることにした。
あれこれをしながら見たとは言え、やはりいい作品だなと思う。
それからコンビニに行く。支払いを一つしなければならなかったからだ。ついでにタバコも買っておく。タバコも、止めたいとは思わないが、少し減らしたい。生活を見直したい気持ちが強い。
コンビニで子供連れの若い母親がやたらとヒステリックになっている。3、4歳くらいだろうか、男の子がわがままを言って母親を困らせているのだ。
コンビニに入る前から僕とは方向が一緒だった。僕のすぐ後ろをその母子は歩いていた。だから何気なく会話を聞いていたのだが、どうやら困った父親がいるようだ。父親(夫)が早く帰ってこいみたいなことを言っているようだ。それと買い物並びに子供のわがままに、この若い母親は板挟み状態になっているようだ。
コンビニに入ると、子供は楽しそうに走り回る。母親はそれはダメ、あれもダメということを言う。これは母親が間違っているのだ。いろんな商品が並んでいたら子供は好奇心に駆られてあれこれ欲しがるようになるのは火を見るより明らかなのに。だから、「ここからここまでの間で一つ選んで」というように制限しなければならないのだ。そして、そういう制限をした方が子供も助かるというものである。最初にその制限をした方が良かったのである。
僕は僕の用事を済ませた。その母子となぜかタイミングが合う。帰り道も同じ方向だと面倒だなと思った。あの母親のヒステリックな悲鳴を聞かされるのかと思うとゲンナリしてくる。なので、母子を先に行かせることにした。なかなか移動しない。タクシーが入ってきた。ああ、そうか、タクシーで帰るのか。きっと父親(夫)がうるさいのだろう。暴力でも振るわれておるかもしれんな。まあ、知らんけど。僕にはどうでもいいことだ。
世の中には決して平和にならない人たちがいるものだ、とそんな思いを胸に僕は帰宅した。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)