2月7日(土):唯我独断的読書評~『世紀の悪党ども』(5)
『世紀の悪党ども』の最後の8篇を読んでいこう。
33「合衆国造幣局事件」(ウイリアム・S・フェアフィールド)
合衆国で紙幣を印刷している財務省印刷局は厳重な警戒下にあり、いかなる泥棒もここには目を付けなかった。1953年12月30日、一人の男が印刷局から金を持ち出すことに成功した。ジェームズ・ランディスという印刷局の下級局員一人の手によって16万ドルが持ち出されたのだ。
印刷された紙幣は束ねられて「レンガ」状にして保管される。ドル紙幣と同じ大きさの白紙で「レンガ」をつくり、それを梱包してしまえば、本物の紙幣の「レンガ」とすり替えることができる、とランディスは考えたのだ。綿密に計画を練り、実行に移す。彼はまんまと16万ドルを盗みだすことができたのだ。
ランディスは白紙レンガが発見されるのに6か月はかかるだろうと見込んでいたが、現実は彼の予測を裏切り、翌年の1月4日に早くも彼の犯行が発覚してしまう。そこには意外な落とし穴があった。機械で帯封したレンガと、ランディスが手で帯封したレンガと、その重量に差異があり、紙幣のレンガを積み上げていた局員が重さの違いを感じとり、通報したのだ。また、愚かな協力者を集めてしまったこともランディスの運の尽きであった。
もし、レンガを積み上げていた職員が、両手に偽のレンガを手にしていたら発覚は遅れたかもしれない。片手に本物のレンガを、もう一方に偽のレンガを手にしたところから、両者が弁別されたのである。些細な偶然が犯罪発覚に結びついたわけで、こういうのは推理小説作家でも思いつかないのではないかと思う。
34「幻像の台湾」(ジョン・P・ロング)
1703年イギリス、台湾に関する綿密な研究書である『台湾読本』が注目され、広く読まれた。著者はジョージ・サルマナザール、24歳の青年だった。この本には、台湾の歴史、風習などが細部に至るまで詳述されていた。当時、16~17世紀のイギリスにとって、台湾ははるかに遠く、未知の国であった。それだけに本書の注目は相当なものであったろう。
しかし、この『台湾読本』なる書物はすべてサルマナザールの捏造であったことが判明する。彼は独自の歴を編み出し、独自のアルファベットまで駆使して、さらには想像力をフルに発揮して未知の国の歴史や風習を考え出したのであった。
放浪の生活を続けてきたこの青年は、捏造が発覚すると多大な非難を浴び、公衆の面前から姿を消してしまうが、その後、勤勉な学徒となり、信仰心の篤いキリスト教徒となり、84年の生涯を閉じたのだった。その遺書には、『台湾読本』がまったくの捏造であり、ペテンであったこと、その罪をずっと恥じてきたことが綴られている。
35「切手偽造の名人」(マリー・テイ・ブルーム)
1954年、英国郵趣協会は、ジャン・ド・スペラティから切手の版型、在庫品、業務活動の一切を買い取ると公表した。スペラティの切手偽造行為を阻止するために最終手段に出たのだった。
切手偽造はその昔からあった。しばしば偽造の方がコレクターズアイテムになっていたりする。切手偽造に関して、まず、スイス人のフランソワ・フルニエだが、彼の偽造はコレクションのためだった。希少で入手困難な切手のレプリカを収集家のために作ったのだった。収集家にとってはレプリカであっても自分のコレクションが揃う方が嬉しいようだ。それに、いくら精巧に偽造しようとも、偽造切手は鑑定家にはすぐ判定されてしまうものであった。
ところがスペラティの偽造切手は多くの鑑定家を騙してきた。偽造が最も困難なのはその紙質である。それだけはどうしても偽造できず、鑑定家も紙を見て、そこだけで真偽を判断して、それ以上の鑑定はしないことが多かったようだ。
スペラティは次の方法でこの難問を解決した。まず、安価な切手を購入し、それを脱色して白紙にし、その上に高額な切手を印刷したのだった。本物の紙を使用しているのだから、鑑定家も騙されたというわけだ。
なぜスペラティは切手偽造に手を染めるようになったのか。彼が若き収集家であったころ、切手鑑定家が本物と断定した切手が偽造であり、一杯食ってしまった経験に端を発する。彼は鑑定家の鼻を明かしてやろうと決心したのだそうだ。そして、彼自身は自分を芸術家と信じていたようであった。
どんな世界にも名人なる人がいるものだが、切手偽造なんて世界にも名人がいるものだと改めて思った。
36「革命と俳優」(ルーベン・マムーリアン)
アルメニアの演劇界で活躍していた前途有望な青年俳優バーハン・シャトウニは名優中の名優であった。巡業は成功をおさめ、災難でさえ成功に変えるだけの術もあった。彼の夢の一つは、当時流行していた劇である「オウリエル・アコスタ」の主役を演じることだった。
第一次大戦にも参加し、その後、ロシア革命が起きたころには、彼はエレバン市の防衛司令官を任じていた。過酷な状況からロシア革命の兵士たちは将校たちに激しい敵意を抱いていた時期である。
ある時、将校たちを乗せた列車がエレバン駅に到着した。殺気だった兵士たちがその列車を取り囲む。将校たちを全滅させようという勢いである。シャトウニは連絡を受け、現地に赴くが、一目で状況を察した彼は、兵士たちの前にたち、一世一代の名演技を披露する。
彼は「オウリエル・アコスタ」の熱烈な独白を兵士たちの前で演じたのだ。兵士たちはシャトウニの最高の演技に心を奪われる。その間に将校たちは逃げ、惨劇はシャトウニ一人の手によって回避できたのだった。
本当の名優は、舞台の上でよりも、それ以外の場で名優としての本領を発揮するものかもしれない。これはその他の芸術家や専門家にも言えることかもしれない、と僕は思う。
37「無邪気な海賊たち」(エバン・マクレオド・ワイリー)
シカゴのバーで二人のセールスマンを相手に冒険談を繰り広げている男がいた。ジョゼフ・シュミッツと名乗る男の冒険談である。聞き手はジョン・フェルナンデスとマーティー・ローゼンだった。二人はシュミッツが魅力的な男に見えており、「男は根性さえあれば誰だってひと財産作れる」という口車に乗せられて、シュミッツのタシャボーグ号に乗船し、アフリカへの航海に同行することになった。ところがその航海は二人の予想をはるかに上回るほどの災難続きとなる。連日、強風に煽られ、船の修繕にヘトヘトになり、どこをどう航海しているのかも分からず。挙句の果てにハリケーンに見舞われ、一文無しになってしまう。
シュミッツというこの男の話に嘘はなかった。航海歴もアフリカでの冒険談も事実であった。しかし、彼が二人に話していないことがあった。シュミッツは小切手偽造の罪で服役中の身であり、執行猶予中だったのだ。タシャボーグ号も盗んだ船だったのだ。救出され、アメリカの地を踏んだ二人を待っていたのはFBIの捜査状であった。
不思議なことに、二人はシュミッツを恨んでいない。彼を勇敢な男だと評価し、後年まで最悪の航海の思い出を、いささか美化しながら、懐かしむのだった。冒険が二人の心を変えたという見方もできるけれど、認知的不協和によるものかもしれない。
38「不思議の国のエカチェリナ大帝」(ジーナ・カウス)
ロシアのエカチェリナ女帝は愛人に事欠かなかったのであるが、中でもグリゴリー・ポチョムキンほど彼女の心を捉えた愛人はいなかっただろう。彼は女帝のために新たな街を、彼女の楽園を作るのだが、それはすべて虚構であり、脆い虚飾であり、莫大な国費を費やした演出であった。
愛する人のために財産をなげうって贅沢な夢を見させると言えばロマンティックであるが、それが国費によって賄われたところが問題である。一個人による税金の私的流用としては史上最大額ではなかろうか。
39「三万点の肉筆書簡」(ソニア・コール)
19世紀、パリのアカデミー会員に推挙されたミシェル・シャールは、古文書を研究しているうちに自分のコレクションを思い至った。彼は稀覯本や肉筆原稿などを収集するようになる。その噂を聞いてブラン・リュカスなる人物が相当なコレクションを有していると称して、シャールにコレクションを売り始める。ダンテの肉筆書簡、パスカルやニュートンが書いた手紙など、貴重な肉筆書簡をシャールは書い取ることになった。しかし、これらはすべてリュカスの捏造品であった。
リュカスは最初は図書館で働くことを希望していたのだが、学歴がないために断念しなければならなかった。その後、彼は系図を扱う店に就職したのであるが、この店は平気で記録を偽造するようなことをしたのだ。そこで偽造の技術を盗んだのか、リュカスは著名人の肉筆文書を作成しては、収集家に売りつけるようになった。最後は泥棒にまで身を落とすことになる。
一方、シャールは、これらの書簡等が船が難波して溺死したボワジュールダン伯爵のコレクションであり、一部は海中から引き揚げられたものであるというリュカスのホラ話を最後まで信じていたようである。信じる者は救われると言いたくなる。
40「執念の石」(イアン・R・ハミルトン)
1296年、イギリスのエドワード一世によりスコットランドから奪い取られた即位の石は、20世紀中葉においてもイギリスのウエストミンスター寺院に保管されている。あの石はスコットランドのものだ。イギリスから奪い返し、スコットランドへ戻そう。筆者を含む4人の若者がその奪取計画を練る。失敗や不測の事態を被りながらも、執念で石を取り戻していく過程を綴る。
彼らは愛国心だけからこれだけの難事業を試みたのではなく、そこには自由と独立の擁護、希望もあったのである。
さて、以上で『世紀の悪党ども』40話を全部読んだことになる。面白いけれど、大部の書でもあるので、一気に読むと疲れもする。このブログでは5回に分けて書評しているのだけれど、だんだん丁寧さがなくなっているのが自分でも分かる。1回目の時に比べて5回目の今回はかなりザツになったなと思う。それも、要するに、疲れたためである。
40もの悪党譚を立て続けに読むと、同じような連中が繰り返し登場するなという印象が生まれる。詐欺や強盗事件が多く扱われているからであろう。その他の種類の事件での「悪党」譚も読んでみたい気がするし、21世紀版の『世紀の悪党ども』が出版されたら読んでみたい。
最後に本書の唯我独断的読書評であるが、5つ星を進呈しよう。
<テキスト>
『世紀の悪党ども』(Scoundrels & Scalawags)リーダーズダイジェスト編(1968年)
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

