12月9日(火):ミステリバカにクスリなし~『SASボリビアのナチス狩り』
ジェラール・ド・ヴィリエによるSASプリンス・マルコシリーズの一冊。このシリーズは、面白いところもあるけれど、いささか僕の趣味に合わないところも多い。でも、どういうわけか古書店などで見かけるとつい手を伸ばしてしまうという、僕の中でも妙なポジションのシリーズだ。
本作でのマルコ・リンゲの任務は、南米ボリビアに飛んで、元ナチスのゲシュタポ隊員クラウス・ハインケルの指紋標本をラパスのCIA駐在員ジャック・キャンベルに手渡すことであった。
しかし、マルコがボリビアに到着するや、ハインケルは二日前に自殺し、この後葬儀が行われるというニュースを聞かされる。ハインケルが死んだのであれば、もう指紋の標本も不要になる。彼は無駄足を踏んだことになるが、ハインケルの自殺に陰謀の臭いを嗅ぎ取る。マルコは、キャンベルの秘書であるルクレジアを助手に、ハインケルの葬儀の場に赴く。
上の粗筋は本書の第2章からのものである。それに先立つ第1章がある。そこではアメリカ人ジャーナリストであるジム・ダグラスが農園主フェデリコ・シュトルムを訪問する場面から始まる。シュトルムもかつてはナチのSS隊員であった。ジムはシュトルムがハインケルをかくまっていると疑い、訪問したのであった。しらばくれるシュトルムであったが、ハインケルの愛人モニカ・イズキエルドの姿を認めるや、ジムはハインケルの隠匿を確信する。哀れなことにジムはこの場で殺されてしまう。
こういうエピソードが最初に描かれる。シュトルムがハインケルを匿っていること、ハインケルも生きていることが読者に示される。個人的には、ジムがシュトルムを訪問する場面は描いてもいいけれど、殺害シーンまで描かない方が良かったと思う。後からジムが死体となって発見されるという展開の方が面白くなっただろうと思う。まあ、僕がそんなことを考えなくてもいいのであるが。それに、このシリーズお得意のバイオレンスシーンが最初にあった方が、それを面白いと感じる読者にとってはいいのだろう。
さて、マルコがハインケルの葬儀に顔を出す。シュトルムやウーゴ少佐ら、関係者がすでに顔を揃えている。
マルコは、まず、ハインケルの自殺の記事を書いた記者を訪れる。次に、実業家ペドロ・イズキエルドの妻モニカがハインケルの愛人としていっしょに行方をくらましているのだから、ハインケルが死んだのであればモニカは夫の元にもどるだろうと読んで、マルコはペドロとも接触する。
しかし、この種の作品並びにこのシリーズの常として、主人公が情報を得る前にこれらの情報提供者は殺されてしまう。敵に先手を打たれてしまうというのがお決まりのパターンであり、本作もそのパターンを踏襲している。
マルコらはハインケルの墓を掘り起こす。棺には別人の死体が収まっていた。アメリカ人ジャーナリストのジム・ダグラスだった。マルコはジムの足取りを追うことにする。ジムをシュトルム邸に運んだタクシー運転手、さらには拉致されているジムの愛人との接触を試みる。
行く手を阻まれながら、捜査を進め、徐々に真相が明らかになってくる件は本作の面白いところである。それでも、戦争中は残虐行為を積み重ねてきたとは言え、人物としては小物であるハインケルを、どうして大物であるシュトルムが匿うのだろうか。ハインケルを匿うためにどうしてかくも大勢の人間が関与しているのか。そこまではなかなか明らかにされない。
加えてマルコはハインケルの正体を暴く証拠を握っている。つまり彼の指紋である。ハインケルがいくら偽名を使おうと変装をしようと、それがある限り、ハインケルは身元を隠しておくことはできない。しかし、マルコが敵につかまって、ハインケルを立証する唯一の証拠が敵の手に渡ってしまうのである。こうして主人公が危機や困難に陥るほど物語は面白くなっていく。
ストーリーは面白い。もっとこうした方が良かったのにとかいった箇所もあるんだけれど、それを差し引いても本作はそれなりに面白く読んだ。
このシリーズの難点はバイオレンスとセックスだ。適度な程度なら問題ない。それに悪役というものはサディスティックである方が主人公の活躍が引き立つというものだ。女を強姦するような悪役の方が主人公の印象が良くなるというものだ。だからある程度は許せる。けど、度を超すとちょっとばかり読むのがキツイと感じられる。
要するに、拷問シーンなど、暴力描写はあまり詳述してくれない方がいい。以前に読んだイスラエルの作品よりかは本作の方がまだ大人しい方である。それでも暴力場面の描写はあまり事細かに描かなくて結構である。
イロの方も豊富である。本作でもルクレジアをはじめ、モニカ、ジムの愛人その他、美女が次々登場する。マルコがもてるのはもちろんだけれど、女たちの何人かはセックス好きである。すぐに性的に迫ってきたりする。きっと読者層が男性なので、こうしたサービスは歓迎されることだろう。そこは詳細に描写されても不快なことはないけれど、これも度を超すと、「あ、またセックスか」などと辟易してしまう。
また、主人公のプリンス・マルコは高貴な生まれでありながらCIAの諜報員である。殿下とも呼ばれる人物で、仕事をしながらも、自分の住むシャトーの屋根修理の費用のことなどを考えてしまうという人間臭いところのある主人公だ。変装なのか、目の色を変えるという描写が何か所かある。それくらいのことはするけれど、超人的な能力があるというわけでもなく、秘密兵器を駆使するということもない。優秀だが、あくまでも等身大のキャラである。そういうところも、僕にとってはという意味だが、魅力を感じる。
本シリーズは作品によって舞台となる国がさまざまである。シリーズ作品リストを見ても世界各国が舞台に選ばれていることが分かる。
本作では南米のボリビアという国が舞台である。正直に言って、南米の地理はまったく不案内の僕である。ボリビアなどと言われても「どこかいな」ってなものである。
本書の地図によると、ボリビアってのは、ブラジル、ペルー、チリ、アルゼンチン、パラグアイに囲まれた国である。国土内は、一方にはアンデス山脈が走り、他方にはアマゾンのジャングルが広がっているといった国である。チェ・ゲバラの臨終の地となった国であるそうだ。国土全体が高度にあり、マルコも慣れるまではすぐに息切れしたりするほどである。空気が希薄なので、音がよく通るそうである。
戦後、ナチス党員たちが亡命してきたのは事実である。本作でも元ナチ党員が登場する。また、そんな元ナチ党員に協力する人間も現れるというのも事実なのだろう。本作発表当時は政権も不安定であったようだ。そういう国を舞台にして殿下ことプリンス・マルコが活躍するわけだ。舞台となる国をよく知ってから読むと、もっと楽しめるのかもしれない。
さて、本作はそれなりに面白いものの、難点がなくもない。僕の唯我独断的読書評は3つ星といったところだ。この手の作品が好きな人だったら楽しめることだろう。僕のようにその手のが苦手だという人でも、読めばそれなりに楽しめることだろう。読んでも損はしないレベルの作品だとしておこう。
<テキスト>
『SAS ボリビアのナチス狩り』ジェラール・ド・ヴィリエ著(1972年)
三輪秀彦 訳
創元推理文庫
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

