12月26日:クリスマスが終わってくれて 

12月26日(金):クリスマスが終わってくれて 

 

 昨晩から今朝にかけて夜勤をこなし、そのまま高槻へ直行した。職場にパソコンを置いていたためでもある。何か書きたい気持ちが強まっていた。こういう感情の時はブログまで書く。 

 

 まず、夜勤であるが、とかく上手く行かなかった。何かミスをしたとかいうわけではなく、ただ体の節々が痛く、効率よく動けなかったというだけのことである。もっとできたのにという後悔の念がいささか強く残っている。 

 ローソンの仕事がイヤだというわけではない。なんとなく張り合いがない。いや、実際に無い。頑張ろうという気力とか目的も今は喪失している。それよりもカウンセリングをもっとやりたくなっているし、その他、僕が手を染めている勉強なんかももっとこなしたい。 

 ともかく、店から一歩出たら、後は一切店のことは考えないようにしよう。考えると気分が悪くなる。 

 

 店を出て、駅へ向かう。職場に行くのはいいけれど、朝食・昼食はどうしようかなどと考える。これを考えるのも時間の無駄に思えてくる。 

 駅前のコンビニに入る。コーヒーを買っておこう。職場のコーヒーはそろそろなくなるころだったはず。実際、今日でなくなったのだけれど。 

 コーヒーを買う。ついでに食事も買っておこうと店内を見て回る。おっ、もやしが半額だ。一袋40円ほどのもやしが20円で買える。しかも都合のいいことに二袋ある。これで決まりだ。今日はもやしで水増ししたラーメンに決定。 

 駅に向かい、電車に乗る。座席が空いていない。こういう時がキツイ。ちょっと座りたいと望む時に限って満席だ。仕方がないので立っておく。立ったまま寝ていた。膝カックンで目覚めた。というより、寝ていたことに気づいた。 

 高槻で下車。職場に直行する。そして、早速もやしラーメンを拵える。ラーメンが一袋130円程度だ。それに20円のもやしを投入する。一食150円だ。お昼も同じメニューだ。朝昼の食費が300円という計算だ。いい感じだ。食べることにお金を使いたくない。 

 食事を済ませて、8時から作業開始。パソコン作業をする。サイトの原稿、戦争学などの原稿を書く。合間を縫って本を読む。書くのに疲れたら読み、読んで書きたくなったら書くといったことを数回繰り返す。もうちょっと計画的に進行できないかと我ながら思うのであるが、結果的に、自分の状態や気分に合わせてこなした方が長く続けられるように思う。7時間ほどそれを続けた。 

 夕方4時ころ、再度もやし水増しラーメンをこしらえて食する。そこから少し休憩を挟む。睡魔に襲われているが、仮眠を取ろうにも眠れず。そのまま起きて、しばらくダラダラと過ごした、 

 あまりダラダラした時間は好ましくない。何かと余計なことを考えてしまうからだ。今は自分のしたいこと、すべきことに意識を集中させたい。その他の事柄を意識に混入させたくない。混入してしまうと、視点や方向性がブレてしまう。活動している時には少し意識野を制限しなければならない。そういう制限は本当は好ましくない場合もあるんだけれど、今の僕はそうした方がいい。最近は揺れ動くことが多いからだ。 

 こうして自分で書きながら、自分にそうと言い聞かせているようなものだ。すべて僕は自分のために書く。これを読み直す時、僕は再びそのことを言い聞かせることになる。繰り返し自分に言い聞かせることになるわけだが、それがいいと感じられる。このブログはもっぱら僕自身のために書いているのであって、読者のことはまったく視野に入っていないのである。それはそれで困ったものだが、ブログに関してはよしとしよう。 

 

 昨日はクリスマスという日で、一昨日はクリスマスイブとかいう日であったそうだが、世間はどうなのだろう。個人的には、どこへ行ってもあまりクリスマス気分は感じられない気がしていた。 

 物価高でケーキも値上がりしているそうだ。コンビニでも小さなケーキがよく売れたという印象がある。それに、クリスマスには浮かれ騒ぐ面々を見かけるものだが、今年はそういう輩を目にすることはなかったな。これも物価高の影響か。 

 NPO団体がシングルマザーの母子家庭にケーキをプレゼントしたというのをニュース番組で見かけた。子供は喜ぶだろう。母親も助かることだろう。僕はそういうやり方の援助はあまり賛成しないのだけれど、クリスマスだからそれも良しとしておこうか。 

 子供へのプレゼントで頭を悩ます親もきっと多かっただろうな。ケーキを食べて、プレゼントを貰って、子供にとってはそれだけの日かもしれないな。親にとっては大きな出費だ。 

 実際そうである。何人かの親からその悩みを耳にしたことがある。子供は欲しい物が決まっているのだ。それもそれなりに高額な品である。子供の望むものをプレゼントした方がいいのかどうかで迷う親もある。本当の話である。子供の望む物を与えると、子供の欲望がエスカレートしていくのではないかなどと、そういう親は心配なさるのである。それで、どうしたらいいかなどとカウンセラーの意見を伺おうとするわけである。 

 彼らは質問する相手を間違えている。僕にそんな質問されても、そんなの分かんねえよくらいしか僕には言えないからである。その質問に答えてくれそうなカウンセラーを選べばいいのにとも僕は思うのである。 

 でも、答えは簡単なのだ。やってみればいいのである。子供が欲しい物を与えてみて、それで子供の欲求がエスカレートするかどうかを確かめてみたらいいのである。エスカレートするようであれば今後は考えたらいいし、特にエスカレートしないのであれば望む物をを与えても支障はなかろうと考えたらいいだけのことである。 

 現実にはどちらもあり得る。望む物を得られるとさらに上の物を望むということもあるし、望む物を得られないとその欲求不満からさらに上の物を要求するようになるということもある。子供がどちらであるか僕には分からないし、きっと親自身も分からないだろうから実際にやってみたらいいということになるわけだ。 

 ところで、この親は子供の要求がエスカレートすることを問題視しているようであるが、どうしてそれが問題になるのか、それの何がどう問題となるのか、それが親自身に問われなければ本当の解決にはならないだろうと僕は考えている。 

 まあ、どうでもいいか。興味ある問題ではあるけれど、この親に対しては僕は何もできないし、何も言えない。仮に上記のことを伝えたとしても、その親たちはきっと、それは今後考えます、それよりも目先のクリスマスプレゼントが問題なんですなどと言うかもしれないな。 

 おっと、言い忘れていた。欲する物を与えると子供の要求がエスカレートしてしまうとか、子供が欲求を抑制できなくなるとか、そういうことは一回のプレゼントで決定されることではないのだ。日ごろの関りが重要なのである。子供の欲する物を与えなくても、それに代わるものを親は与えることができるのである。それを与えない親ほど子はプレゼントに拘ってしまうという印象を僕は受けている。 

 なにはともあれ、今年もクリスマスなんていう日が終わってくれて僕としては清々している。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

 

 

 

 

 

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