11月5日(水):ミステリバカにクスリなし~『ドラゴンの歯』
この本は以前にも読んでいるし、もしかしたら過去にミスバカで書いたかもしれない。まあ、重複してもいいや、前回読んだときとは違った感想を持つかもしれない。今回、読んで思ったことなんかを綴ろう。
本書はエラリー・クイーンの1939年の作品である。1929年のデビューから、国名シリーズやドルリー・レーン4部作といった傑作を矢継ぎ早に刊行しており、それに続く作品となる。初期の緻密な論理構成と中期のドラマ的展開との過渡期にある作品という印象を僕は受ける。まずは、ネタバレしない程度に内容に触れていこう。
本作ではエラリー(主人公の方だ)はボー・ランメルという青年と共同で探偵事務所を開く。ボーは刑事の息子で、父親の遺産を相続したが、それを有効活用したいということで、事務所を開設したのだ。
さっそく大きな依頼が舞い込んできた。大富豪のカドマス・コールがいつか事件を依頼するからと言って彼らに多額の契約金を払って行った。その時、歯型のついた万年筆をカドマスは忘れていく。
しばらくするとカドマスが亡くなったという知らせが届く。彼の莫大な遺産は二人の姪、マーゴ・コールとケリー・ショーンに渡ることになったのだが、それには条件があった。二人は彼の屋敷に住むこと、そして未婚であることだった。結婚制度を極度に嫌悪していたカドマスらしい遺言である。
ここでエラリーの盲腸が破裂して緊急入院するという災難が訪れる。そのため、ボー・ランメルがエラリー・クイーンの名をかたって、カドマスの姪を探すことになる。
姪の一人ケリー・ショーンは売れない女優で、同じく女優のヴァイオレット・デイと共同生活を送っている。ボーから知らされた幸運に、ケリーはデイともどもカドマス氏の邸宅に住むことになる。
一方、もう一人の姪マーゴ・コールの居所も分かり、邸宅に到着する。他にカドマスの長年の執事であり、遺言代理人であるエドマンド・デ・カーロスも住んでおり、エラリーを称しているボーも住み込むことになった。
彼らは一つ屋根の下で暮らすことになったのだが、やがてケリーの命が3度も襲われるという事件が発生する。ケリーが死ねば、ケリーの分の遺産はマーゴが相続することになる。ボーは、ケリーとマーゴの間を行き来し、捜査を始める。
ケリーに好意を持つボーは、ケリーと結婚することにする。彼女が結婚すれば相続人から外され、そうなれば彼女は命を狙われることはない。二人は即座に結婚式を挙げ、ヴァラノイ・ホテルで初夜を過ごすことになったのだが、ボーは用事があるからと言って、ホテルの一室にケリーを残して、外出してしまう。
ホテルに一人残されたケリーを訪問したのはマーゴだった。マーゴはボーは帰ってこないと言う。この結婚はマーゴとボーが共謀したものであり、三度の暗殺未遂もマーゴによるものであった。彼女には共犯者があった。思わずその名を口にしようとした瞬間、ホテルの向かいの部屋から銃声が轟き、マーゴは殺される。ケリーがその容疑者となった。
あらすじを述べるのもこの辺りまでにしよう。
本作は主人公のエラリーが後半になるまで存在感を示さないところがある。ボー・ランメルが舞台の表に出て動く。そのボーの動きも読んでいると彼が怪しく思えてくる。マーゴとケリーの双方に近寄り、一体彼がどちらの味方なのか分からなくなってくる。
ケリーも彼を信用していいのかどうか、マーゴとグルになっているのではと疑惑に囚われ、心穏やかでない。そんなケリーに付き添う親友のヴァイオレットも穏やかでいられない。こうした心情の揺れ動きを丹念に描く辺り、中期以降の作風の萌芽を見る思いがする。だから初期と中期の過渡期的作品だと僕は思うわけだ。
しかし、本作ではエラリーが表舞台に立って活躍するわけにはいかないのである。ケリーとの結婚という条件があること(事件成立のためにはケリーが結婚するという条件が不可欠なのだ)と、デ・カーロスその他の容疑者が暗躍するためである。急に盲腸が破裂するなんて、と意外な感じを受けるのだが、プロットの必要上、作者はそうすることにしたのだろう。
そのエラリーの盲腸が破裂した場面も、後から重要だったことが分かる。その場面は、エラリーの急病に目を奪われて、彼が何をしている時にそうなったのかスッカリ忘れてしまっていた。主人公が物語の最初の方で舞台から退くことのインパクトが強かった。タネも仕掛けもないと右手を差し出しておきながら、こっそり左手で細工する手品師のような手法に、僕はまんまと引っかかったということになるか。
さて、ケリーは三度命を狙われる。最初は寝室で、二度目は乗馬中に、三度目は駐車場で殺されそうになる。読んでいるとマーゴの仕業だなと推測できる。この女はどこか強欲で性悪な感じである。それに明確な動機がある。
このいきさつを聞いたエラリーは次のように言っている。「ちょっと怖くなるね。殺人的な傾向のある女が、嫉妬と金銭欲に駆り立てられた場合、ふつうはこのような手の込んだ方法を取らぬものだが」(第8章)と。ここはさりげなく共犯者の存在を示唆しているものだ。それも男の共犯者の存在を仄めかしている。作者はこんなところにも手がかりを与えているのだが、さりげなさすぎて読み飛ばしてしまうところである。作者クイーンはそういうところが巧みだと僕は感心する。
しかし、共犯者の存在はマーゴが射殺される直前に読者に知らされるのだ。もし、最初から共犯者(実は真犯人)を想定して読めば、本作は意外と犯人当てが可能かもしれない。もちろん、当てものとして当たるだけで、推理によるものではないかもしれないけど。
本作で重要なのは「歯」である。タイトルにも含まれているワードだが、万年筆についた歯型が重要な手がかりとなっている。
万年筆やシャープペンシルの先を齧るなんて、僕のような中途半端に精神分析を勉強している人間はよほど口唇期(それも後期の)固着が強い人物をイメージしてしまう。オッパイを吸いつくして、噛むことで攻撃するといった固着だ。登場人物の中でそのような人間がいるだろうか。すべてを食いつくし、食いつくしてもなお諦めきれず、攻撃的に貪るといった人物がいるだろうか。
実は、一人それらしい人物がおるのだ。僕はそいつが犯人かと思った。ああ、しかし、なんてこったい、そいつとは別の人間が犯人であり、その真犯人もそういう傾向のある人物だったことが後で明らかになるのだ。こんなところでも僕は一本取られてしまった。
なるべくネタバレしないように書いたので、本書を読んだことのない人にとっては何のことやら訳がわからない内容となっていることと思う。興味を持たれた方は実際に本書をお読みになられるとよろしいかと思います。僕の書いたものを読むよりその方が何倍も楽しい時間が過ごせるかと思います。
最後に、本書の唯我独断的評価は4つ星だ。
緻密な論理構成の謎解き作品から脱却し始め、後の人間のドラマに重点を置くようになった作品群の萌芽が見え始めているという、その中間的作品である(と僕は感じている)ために、どっちつかずといった物足りなさも感じている。それでも本書は十分面白い作品だと思う。
<テキスト>
『ドラゴンの歯』(The Dragon’s Teeth)エラリー・クイーン著(1939年)
宇野利泰 訳
創元推理文庫
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

