8月21日:昨日見た夢 

8月21日(木):昨日見た夢 

 

 最近はあまり夢を見ない。言うまでもないことだけれど、寝ている間に見る夢のことだ。夢を見ないというのは精神衛生上よろしくないことだ。見たとしても、それを記録するヒマもなく、そのまま忘却されてしまうこともある。 

 でも、昨日は夢を見た。アルバイトの前の仮眠の際に見たのだ。起きてすぐ出勤となったのだけれど、勤務中も見た夢を反芻して、とにかく忘れないように努めた。勤務を終え、職場に出て、ようやく頭の中のものを書き留めることができた。 

 昨日見たのはこんな夢だった。 

 

(夢) 

 見知らぬ街に僕は旅行に来ていた。賑やかな繁華街で、僕は何人かと一緒だったように思う。長く続く道を僕は歩いていた。 

 やがて、自習室のような貸しスペースに出くわし、僕はそこを借りる。そこはデスクが一つとその周囲にわずかなスペースがあるという個室だった。 

 僕はそこで荷物を紐解き、整理し、バッグに詰めなおすことにした。どういうわけか物がたくさんあり、さらに物が増えていったようだ。 

 室内は荷物が散乱した。僕はそれを分類して箱に詰めようとするも、箱と蓋が噛み合わない。箱と蓋のセットを作ることから始めなければならなかった。 

 箱に入らないものは袋に詰め、そうしてバッグに入れていく。 

 そこの貸しスペースの女主人がやってきた。「そろそろ時間ですよ」と僕に伝える。僕は「もう少し」と答えると、延長料金を払うのなら延長してもよいと女主人は言う。終わったら僕は彼女のところへ報告に行くということで話がついた。 

 荷物整理を終えると、個室を出て、建物内の長い廊下を通って、女主人のところへ赴く。そこは食堂というか居酒屋みたいな場所で、たくさんの人が食事をしていた。女主人はそこで給仕をしていた。僕はそこで料金を払ったのだが、女主人は別に立腹している様子もなく、朗らかな感じだった。 

 そこで僕が「何か食べていこうかな」と言うと、女主人は「今は満席です」と答えた。仕方がないので、僕は外に出ることにした。 

 待っていた車に乗る。その車で帰ることになっていて、他の人たちともそこで合流できた。町の景色を見て、「せっかくこんな賑やかな街に来たのだから、記念に何か食べておいたらよかったかな」などと僕は思い、「また次に来た時にしよう」と思った。 

 

 以上が僕の見た夢だ。他人の夢は訳が分からないけれど、自分の夢はよく分かる。いかにも今の僕が見そうな夢だというのが最初の感想だった。 

 「旅行」とか旅というのは、僕には人生を連想させる。人生が旅路に例えられることもよくあることだ。他の人と同様に僕も僕の人生航路ある。 

 「賑やかな繁華街」からは何を連想するかな。繁華街は誘惑の多い場所だと僕は思っている。それに都市は人が道に迷う場所でもあると思っている。夢では僕は無感情で歩いている感じだった。誘惑や迷走を拒否しようとしているかのようだ。 

 「個室」というのは、これは僕の高槻の職場を連想させる。もう一つ、僕の実家の部屋だ。どちらも今の僕にとっては、生活の大部分の時間を過ごす場所となっている。 

 その個室で僕は自分の荷物整理をしている。夢では、これは個室でなされなければならず、僕一人でしなければならないことになっている。実際、僕は僕自身の整理をそうしている。 

 荷物を分類して整理するにしても、それを収納する箱が上手く行かない。箱と蓋とが噛み合わないということになっている。夢では、荷整理の前に箱と蓋のセットを作っているのだけれど、実生活でもそのようにしなければならないのかもしれない。自分自身を整理するにしても、その前準備から始めなければならないのかもしれない。 

 そこの主人みたいな人が現れる。この夢で唯一個性を持つ他人である。それは女性だった。容姿は覚えていない。彼女は時間が来たことを僕に伝える。つまり、僕は間に合わなかったわけだ。荷整理だけでなく、女性とのことも間に合わなかったのかもしれない。 

 彼女は延長を認めてくれた。なんとなく僕の中でそれは救いに感じられている。 

 整理を終えて、僕は彼女のところへ行く。妙に長い廊下だった。荷整理は終えても、それに続く道のりが長そうだ。 

 着いた先は飲食店だった。居酒屋さんのような雰囲気があった。彼女はそこで働いていた。僕はそこで個室の料金を支払った。僕が延長したことに関して彼女は何も怒っている風ではなかった。正当な取引だからだ。 

 何か食べていこうかと思ったが、彼女は満席だと答えた。そこには僕のための場所は無いということだ。他の人が先を越しているということだ。 

 僕はその場を後にしている。他の人たちと合流する。この旅行は数人の団体で行ったものだった。夢の最初の方では彼らの存在もあったような気もしている。すぐに僕が独りになったように思う。その辺りのことは覚えていない。 

 車に乗り込む。帰路に就くことになる。車の窓から繁華街の光景を眺めていて、せっかくだから何か食べておけばよかったなどと僕は思う。食べるということは、外部のものを内部に収めていくことだ。自分の中に取り入れ、消化し、自分のものにしていくことにつながる。一方でそういうことができない僕がいるように感じる。 

 

 夢は心の産物であり、夢見手の心の状態を表してくれていると僕は考える。そして、どの夢にも「忠告」が含まれており、幾分「予知夢」的な要素も含まれていると考えている。 

 僕は僕自身整理をしていかなくてはならない。それを一人でしていくことになるおだが、いきなり始めるよりも、ある程度準備してから取り掛かった方が良いように思うしかし、それに没頭してしまうと、人生がそれだけで消耗されてしまうかもしれない。気づいた時には、人の中で自分の場所がなくなっていたり、誰とも関わることがなくなっていたりするかもしれない。そうならないように注意しなければならないように思う。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

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