1月4日(日):若者の素直さ
朝7時から職場入りしている。すでに深夜勤務を8時間こなした後だ。それで高槻でも8時間は作業をすると決めている。
ただ今15時。これで8時間職場であれこれの作業をしたことになる。
当初の予定では外回りをすることになっていた。ところが外はあまりに寒いので、予定を変更した。外回りと言っても急ぐ用事があるわけでもないので、日を改めようと思う。そうして今日は終日室内に留まることにした。
今月は一般心理学を学びなおそうと決めている。基礎的な心理学部門のことだ。臨床家はどうしても臨床心理学に偏ってしまう。それでもいいのだけれど、僕としては基礎心理学も勉強したいし、それを無視するつもりもない。ただ、あまり細部にいたるまで勉強するつもりはなく、知識として持っていれば十分だ。それくらいの勉強で済ませようと思っている。
そのために何冊かの本をチョイスしている。大部の本はいささか気が重いので最初は小著を何冊も読むことにしている。今日も一冊完読する予定だった。結果的に、この本の3分の2は読むことができたが、残りは明日に持ち越しそうだ。
実はもう一冊読み切ろうと思っていた本があった。こちらはミステリだ。二冊合わせて400ページほどだ。並行して読む。結果的に300ページ程度しか至らなかった。こちらも明日に持ち越しになりそうだ。どちらも中途というのが我ながら情けない。今日は2冊読むと決めたのなら、それを実現させたかった。
とは言え、まだ残された時間があるので、できる限り目標達成に近づけようとは思う。
もし、読むだけだったら、その時間は十分にあった。その他の作業を間に挟んだので終えることができなくなったのだ。
パソコン内のデータも整理した。原稿等も一度外部データに移しておくことにした。このパソコンもかなり年季が入っているので、もし故障でもしたらデータを取り出せなくなってしまう。書いた原稿を失えることが一番回避したい。昨年末までの原稿はとにかく無事に保存できている。
これからは1~2か月ごとに新たな原稿、修正した原稿を保存していこうかと思う。パソコンが故障した場合に被害を最小限にしたいと思う。
腹が減っている。昼食抜きでやってるから当然だ。この後、何か食べるかもしれない。
今晩も夜勤を控えている。今日は開始が遅いので少し気が楽だ。開始が遅い分、就労時間も短い。こういう日こそ本業関係のことを頑張らなくてはとも思う。時間があるのだから、時間の許す限り何かしておこうと思う。
コンビニの仕事は面白いが、今のローソンには嫌気がさしている。他所へ行きたい気持ちも強いけれど、また他所で研修から始めるのも億劫に感じられている。どうしようかと思案中だ。
この年末年始は通常とは違う忙しさがあった。他の店舗の話も伺ったが、けっこうヒマだったそうだ。あのローソンはちょっとおかしいのか、けっこう忙しかったように思う。
もちろん、時間帯にもよる。忙しい時間帯とヒマな時間帯の格差がいつも以上に大きかった気がする。それに、客数が少なくても、客単価が大きいので、それで忙しいと感じてしまうのかもしれない。客は一人でも、買う内容が数人分であったりする。家族やグループで来る客も多かった。
それに、この界隈にこれだけ若者が多かったのかと思い知った。一体、あの連中はどこから湧いてくるのだろうかとさえ思う。同じようなのが入れ替わりやってくるのだ。老けたせいか、若者がみんな同じに見える。
いや、実際同じような感じなのだ。服装も髪型も、やってることまでソックリだ。いくら個性的な髪形をしようと、同じようなのが他にもたくさんいるものだ。服装も然りだ。
いい意味でも悪い意味でも、店員を挑発しているとしか思えない若者もある。挑発に乗ってはいけない。こちらは淡々とレジをうち、平然としていなければならない。要するに相手にしない、それが最善である。
今どきの若者は素直である。こちらが何かで注意しても彼らは素直に非を認め、謝ったりする。僕もそこで終わりにするのだけれど、本当は信じていない。彼らの素直さは信が置けない感じがあるのだ。その場をやり過ごすための演技であるかのように感じることもある。あるいは、表向きは素直に言うことを聴いているフリをして、内心では舌を出しているかもしれない。どうも彼らの素直さをこちらは素直に受け取れないでいるのだ。どこにその要因があるのか、自分でもあまり分からず、ちょっと分析してみたくなっている。
僕が20代の頃は、何かを注意すると歯向かってくる連中もいた。それに比べたら、たとえ欺瞞でも素直なのはまだましかもしれない。いや、本当はどっちがましなんだろう、自分でも分からなくなっている。
いずれにしても、昔に比べると、今の若者は素直である。表面的な素直さであるかもしれないが、彼らはそれを人生のどこかで身に着けたのだろう。それが身に着いたということは、それが彼らにとって有益であったからであろう。僕の一方的な解釈では、相手に素直であることによって、相手との関係を希薄にできるからである。こじれたり、言い合いになったり、長々と関係することになったり、そういうことが回避できるからではないかと思うわけだ。相手とのかかわりをやり過ごすことができるので、素直という手段を身に着けたということであって、本当の意味で謙虚であるわけでもなく、素直であるわけでもないのだと僕は思うのだが、これは若者に対して厳しい見方であろうか。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

