11月11日(火):ミステリバカにクスリなし~『ランドルフ師と堕ちる天使』
カウンセリングにしろ、各種の心理療法にしろ、欧米で発明されたものは背景としてキリスト教があると僕は思っている。もし、カウンセリングも心理療法も、それらをより根本的に理解しようと欲するなら、キリスト教について勉強する必要があると思った。僕が20代の頃だ。そうして、その時期はカウンセリングと並行してキリスト教の勉強もしたものだった。
趣味で読むミステリでも、それに関係するような作品を選んだりした。趣味と学問とを一挙にやってのけようっていう魂胆だ。本書、チャールズ・メリル・スミスの『ランドルフ師と堕ちる天使』もその時期に購入し、読んだ一冊だった。
C・P・ランドルフ。かつてはプロフットボール選手として名を馳せ、その後神学の世界に踏み込み、今ではグッド・シェパード教会の牧師兼教師となっている。本作はランドルフを主人公とするシリーズの第3作目である。
フレディ監督がランドルフに与えた任務は、テレビ伝道者であり、グレース法人団体の会長であるプリンス・ハートマンの調査だった。近いうちに上院議員に立候補するハートマンはグッド・シェパード教会への入会を申し込んできたのだ。彼の適性調査をランドルフは命じられたのだ。
早速、グレース法人団体を訪れたランドルフはハートマンとの面会も果たすのだが、その時、ランドルフの目の前で事件が起きた。信者から送られたチョコレートを口にしたチャーリー・クレムがその場で絶命したのだ。チャーリーはハートマンの右腕とも称された人物だった。もし、ハートマンがそれを口にしたら、彼が命を落としていただろう。
この事件を担当することになったマイケル・ケーシー警部補はランドルフにも協力を要請する。証拠が乏しく、捜査は難航する。
クレム殺人事件そのものはケーシー警部補に任せて、ランドルフはもう一つ彼に課せられた任務に努める。神学校からエライジャ・ラウンドトリーという黒人生徒を見習い牧師として推薦してきたのだ。エライジャの人物調査のためにランドルフは面会をする。エライジャたちはかなり過激な人種差別反対運動を展開しており、彼を採用しようとしないランドルフを人種差別者として告発するようになる。
ハートマンの調査、それにエライジャの調査、その両方に取り組むランドルフは、グレース法人団体主催のバスケットボール試合観戦に招待される。その場で第2の殺人事件が発生する。クレム同様ハートマンに仕え、彼の側近の一人であるマーサ・バニスターが毒入りコーラを飲んで殺されたのだ。状況から見ると、クレムの時と同様に、ハートマンの身代わりとしてマーサは殺されたようである。
主人公の目の前で二つの殺人事件が発生するのだが、ランドルフ自身は事件の捜査に携わらない。その点で本書は推理小説的要素が低くなる。でも、だからと言って読んで退屈するということはない。場面が小刻みに展開していき、また、登場人物たちが繰り広げる会話も軽妙なところがあり、ついつい引き込まれてしまう。
ランドルフと、テレビのレポーターでありジャーナリストである、恋人のサマンサとの関係も興味を引くのだが、どちらかというと活動的なサマンサの方が物語に躍動をもたらしているところもある。もっとも、ランドルフも体育館で犯人に襲撃された時のアクションや、エライジャの相棒のキャピー・ジョーンズの腕を捩じる場面など、目を見張る活躍をすることもあるのだが。
エライジャの一件でランドルフは境地に立たされる羽目に陥る。この一件は殺人事件とは何のつながりもないのであるが、ランドルフに事件を別の方面から眺める契機となったのだから、物語の中で重要な役割を担っていると言える。
プリンス・ハートマンは売名に明け暮れる金の亡者のように見られがちであり、グッド・シェパード教会への入会も上院議員立候補のために有利だからという理由だけで見られがちである。しかし、彼はカリスマ性があり、女性にももてるが、その伝道活動は真摯であり、健全すぎるほどの健康志向の持ち主である。エライジャは少々嫌悪を催す人物であるが、ハートマンはなかなか魅力的である。人物の魅力も本作を退屈させない要素となっている。
僕が本作を最初に読んでから30年近く経っている。当然、内容なんてまったく忘れてしまっている。でも、20世紀アメリカの教会やキリスト教の世界に感じた衝撃は変わらずであった。
グッド・シェパード教会はオフィスビルの中に教会があるし、グレース法人はビジネスのように布教をする。一般の人からの悩みはコンピューターが答え、募金のためにコーラとホットドッグを売る。選挙のために宗派を変えるなんてのもアメリカっぽいのであるが、日本ではとても信じられないことである。ピューリタンのような宗教家は一切見られず、美食に舌鼓を打ち、立派な服装をし、マスコミを利用し、俗世間にどっぷり浸っているという感じさえある。神学校の生徒たちは、それが収入を得る手段となるから神学を専攻している感じさえ受ける。教会は会社であり、牧師はサラリーマンと同じである。見ようによっては宗教がそれだけ社会的地位を獲得しているとも受け取れるのだが、僕の中にあった「キリスト教徒」のイメージがいっぺんに粉砕されたのを思い出す。
ここから一部ネタバレがある。読む人はご注意願いたい。
推理小説としては、本作はそれなりによくできている方だと思う。ハートマンが糖尿病を患っていることを知らなかった人物が犯人であると思われていたのに、そうではなく、むしろ彼が糖尿病を患っていることを知っている人物による犯行でなければならないという視点の転換が印象に残る。
ケーシー警部補が事件捜査の協力をランドルフに求めた時、忙しい警部はいくつかの事件現場にランドルフを同行させる。これらの事件は本筋とはまったく関係がないものである。他にも、事件とその解決に無関係の描写がけっこうある。冒頭の歯科医のシーンは、ランドルフが最近コックを雇ったという情報以外に得るところはなく、このコックが腕を振るって作った料理の描写など、僕には煩わしいだけだった。
それでもハートマンにまつわる二つの殺人事件の解決、それにエライジャが訴えた人種差別問題並びに見習い牧師の問題、ハートマンの入会の問題の決着、さらにエライジャに反対するイングルホーンと彼を推薦するローダーミルク校長をも黙らせることになり、ランドルフとサマンサとの結婚も現実味を帯びてくる。こうしてすべてが大団円になる結末は爽快である。
さて、本書の唯我独断的評価なんだけど、推理小説としては3つ星半くらいかな。小説としては4つ星くらいの面白さがあった。
<テキスト>
『ランドルフ師と堕ちる天使』(Reverend Randollph and the Fall From Grace,INC.)
チャールズ・メリル・スミス著(1978年)
山田順子 訳 角川文庫
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

