<#016-38>「カウンセリングなんて効果がない」
<Q>
これは質問というよりも批評のようなものです。「カウンセリングなんて、受けても、効果がない」といった意味合いのものであります。
<状況と背景>
私が経験する範囲では、これは他者からカウンセリングを勧められた人が発する言葉であります。ここでいう他者とは、家族のこともあれば、職場の上司とか同僚であることもあります。
勧められた側、つまりこの文言を発する人は、それを拒否しているのであり、その理由としてこのような言葉が発せられるのです。中には過去に現実にカウンセリングを受けたという人もあるようです。
<A>
これに対する私の回答は「その通りです。それを目指しているのだから、そうなるのが当然です」というものであります。
<補足と説明>
これは説明が簡単なことであります。効果的なカウンセリングをしようと思えばいくらでもできるのであります。ただ、それをすると、クライアントがついていけないだけでなく、時にはクライアントの精神が崩壊することだってあるから、それをしないだけであります。こうした危険性を知っている臨床家なら即効性のある効果などは重視しなくなると私は思うのです。
この話を分かりやすくするために、少しシチュエーションを変えてみましょう。
例えば、今、あなたは筋肉をつけようと思っているとしましょう。それで腹筋のトレーニングを始めるとしましょう。何回くらい腹筋をすれば筋肉となるでしょうか。10回程度では効果がないでしょう。仮に300回くらいこなさなければならないとしておきましょう。そこで一気に300回の腹筋トレーニングをやったとしたらどうなるでしょう。少なくとも、翌日は筋肉痛であなたは動けなくなるかもしれません。
それと同じことであります。10回の腹筋なんて、それ自体では効果が見えないものであります。筋肉をつけるという目的からすれば、それは効果がないということになります。でも、いきなり300回もやると、効果は見えるかもしれないけれど、次の日から活動できなくなってしまうわけであります。結局、この場合、確実な方法は、効果が見えない程度のトレーニングを重ねていくことになるわけです。一日10回の腹筋を30日行う方がいいということになるわけであります。
おそらく、スポーツトレーナーも私と同じことを言うだろうと思います。10回の腹筋じゃ効果がないとあなたが訴えても、それを積み重ねていきましょうと答えることでしょう。
カウンセリングでもそれと同じことをするわけであります。一回のカウンセリングであまりにも効果が上がってはいけないのです。そういう経験をするクライアントは、その一回限りで終わってしまうのです。それも、いい経験をして終わるのではなく、壊れて終わるのです。このことは現実にそういう人を目の当たりにしたことのない人には理解してもらえないと私は思うのですが、実際にそうなのです。
そして、こういうのは「治らない人」の典型的な「自滅」パターンであると私は考えています。一気に良くなろうとして、一回目から飛ばし過ぎて、翌日にはダメになるというパターンであります。
どうしてそういうことになるのかということですが、これにはいくつかのパターンとか状況とかがあると私は考えています。もっとも典型的なことは、一気にやりすぎて、その人の核心の部分に無防備に飛び込んでしまうというものであります。麻酔もせずに切開手術をやってしまうようなものであります。十分な準備もせずに、一番痛い部分に触れるようなものであります。
それと似ているのでありますが、コンプレクスというものはやたらと触れない方がいいと私は考えています。コンプレクスというのは説明の難しい概念でありますが、心中にある「もつれ」のようなものであり、これがあるために心中がスッキリしないといったものである、とここでは捉えておきましょう。ちなみに、これを「劣等感」と同等視されることが多いのですが、これはアドラー派だけの見解であります。それよりももっと広い概念であることを押さえておきたいと思います。
さて、ある人にどのようなコンプレクスがあるか、どこにそれがあるか、初対面の場合、私の方でもわからないのであります。ウッカリそこに触れてしまうということもあるので、慎重に進めていかなければならないのです。時に「カウンセラーは聞くだけで何も言ってくれない」と批判されることもあるのですが、ある意味では、それが一番安全だと言えるのです。そこに迂闊にも触れてしまうくらいなら、何も言わない方がいいのです。
その他にも言えることはあるのですが、話を戻しましょう。
効果的なカウンセリングをすることは可能であります。もっとも、誰から見て効果的であるのかという問題もあります。カウンセラーから見て「効果的」と思えるものと、クライアントから見てそう思えるものと、その両者には大きな隔たりがあるかもしれません。ここではそれは脇へ置くことにしたいと思います。
私が考える「効果的」なカウンセリングとは、ひたすら質問をしていくというものであります。クライアントはその質問に答えることになりますが、効果的であるためには、クライアントは回答を拒否できないということが条件となります。どれほど答えにくい質問であろうと、どれほど答えるのが難しい質問であろうと、カウンセラーの質問することにクライアントはすべて答えなければならないのであります。これが最低限の条件であります。
次に、その質問ですが、これは簡単に答えられる類のものではないと思ってください。一問答えるのにも相当な時間がかかるかもしれません。こうした問答を延々続けるものと思ってください。
カウンセリングを効果的にしようと思えば、そのような面接になると私は考えています。当然、私はそれをするつもりはありません。
こんなふうに私が書くと「へそ曲がり」みたいな人がいて、そのカウンセリングをやってみろなんてことを依頼してくる人も現れるかもしれません。そうなった場合のことを想定して、ちょっと述べておこうと思います。
私の最初の質問は「あなたがそう望むようになった(つまり効果的なカウンセリングを求める)ことの起源を教えてください」となるでしょうか。相手はおそらく「理由」を答えるでしょう。そこで私はその理由を却下して、「起源」を答えるように求めるでしょう。おそらく、ここでもうこの人の躓きが始まっているのですが、「起源」ということについていささか説明しなければならないでしょう。あることをしようと思った根本の動機の部分であり、これは、それをしようと意識化する以前に生じているものであります。従って、効果的なカウンセリングを受けようという気持ちになった以前のものを私は問うていることになります。
そこで、禁止されているものを敢えて挑戦したい気持ちが自分にはあるのだとこの人が答えたとしましょう。次の質問はさらに簡単にできます。「禁止されているものを敢えて挑戦したい気持ちの起源はなんでしょうか」というものであります。
この人は「子供の頃からそうだった。子供の頃からタブーを破る魅力に憑りつかれていたからだ」と答えたとしましょう。次の私の質問はこういうものになるでしょう。「タブーを破る魅力に憑りつかれた起源はどこにあるでしょうか」。あるいは「子供のころからそうだったという形で回答を回避するようになったのはいつからのことでしょうか」などと問うかもしれません。
こうして、常に起源とか原点を探求するような質問を重ねていけば(しかも回答の拒否権はない)、そのカウンセリングは効果的であると私は考えています。その代わり、このアプローチはクライアントをより洞察に導くか、より精神病に導くか、紙一重の方法であることは再度強調しておこうと思います。
長々と綴りましたが、要するに、私もカウンセリングや心理療法の危険性をそれなりに知っているので、「効果的」ということには拘らないのであります。そういうものを提供しようという気持ちもありません。だから、カウンセリングなんて効果がないと批評する人に対しては、あなたは正しいとお答えするのみであります。私もまた効果的でないカウンセリングを提供したいと願う次第であります。
(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

