<#016-37>「薬のおかげで○○できてます」 

 

<Q> 

 「薬のおかげで○○できてます」 

 あるいは「○○ができているのは薬のおかげです」といった表現。 

 

<状況と背景> 

 これはカウンセリングと平行して病院での治療を受けているクライアントからしばしば発せられるものであります。「○○」の部分にはさまざまな内容のものが入るのですが、基本的に、その人にとって望ましいことが入ります。 

 それをできるのは、あるいは、それができるようになったのは、すべて薬のおかげであると当人には体験されているわけであります。それだけ薬がよく効いているということなのでしょう。 

 

<A> 

 それに対する私の回答は「そんなの錯覚です」です。 

 もう一つ付け加えれば、「あなたがそれをできているのは、薬のおかげではなく、あなたにそれをできる能力があるから、あなたはそれができているのです」というものです。 

 この辺りのことは説明をした方がよかろうと思います。 

 

<補足と説明> 

 このような言葉を発する人にとっては、薬のおかげで何かができるようになったと、実際にそのように体験されているのだと思います。 

 私はそこを否定しているわけではないということを前もって申し上げておきます。私が否定しているのはもっと別のものであることも後々明らかになるでしょう。 

 

 まず、この思想の「あり得なさ」を指摘しておこうと思います。もし、本当に薬のおかげでその人がそれをできるようになったのだとすれば、薬というものは相当に人を動かす力があるということになります。言い換えれば、その薬は「無から有を生み出している」に等しいのです。 

 でも、冷静に考えてみると、私には薬にそれだけの力があるとは思えないのです。だから、この思想はかなり魔術的な色彩を帯びているように私には思われるわけであります。 

 むしろ、その人がそれをできるのは、その人にそれができる能力(ここでは「能力」としておきます)があるからだと考える方が、薬がその人に今までになかった能力を新たに授けたなどと考えるよりも、より自然な思想という気がするのですが、いかがなものでしょうか。 

 

 今の話をもっと正確に述べるとすれば以下のようになると思います。 

 その人にはそれができる能力があったのです。ただ、「病」がその能力の発揮を阻止してきたのです。薬はその「病」を抑制しているので、その人がその能力を発揮できる状態になったのであります。薬が関与しているのはここまでであると私は考えています。その能力を発揮できる状態になったからといって、その人が現実にその能力を発揮するかどうかはまた別の問題であり、その人次第なのであります。 

 また、その人にそれができる能力が備わっていなければ、薬を服用して「病」を抑制したとしても、それはできないであろうと私は考えています。そうでなければ、その人は、薬をう服用するようになって移行、新たにその能力を身に着けるための訓練を始めたということになるでしょう。でも、そのような行動が見られない限り、その人がその能力を有していることは、その人が薬の服用を始めるよりも、時間的に先行しているはずである、と考えられるのであります。 

 

 最近、こうした表現を耳にした例を取り上げようと思います。 

 そのクライアントは抑うつ的な女性でありました。薬を服用するようになってから、抑うつ的なところは減少し、少々失礼な表現でありますが、普通に会話ができるようになったのでした。 

 彼女が言うには、薬のおかげで、気持が前向きになったのか、人の愛情を感じるようになったそうであります。周囲の人のちょっとした親切でも、「これは私のためにしてくれたことなんだ」と実感するそうであります。 

 彼女はそれを薬のおかげだと体験しているわけなのです。私の見解ではそれは間違いであり、錯覚なのであります。彼女は人の愛情を感じとることができる人だったので、それができているのです。ただ、「病気」が彼女のその傾向なり能力なりを阻害してきたのです。薬は「病気」の部分を緩和してくれているので、彼女が本来的に有しているその傾向を彼女は発揮するようになったのであります。 

 もし、彼女が人の愛情を感じとることが困難な人であれば、薬を服用していても、このような体験をすることはなかったでしょう。その代わり、また別の能力なり傾向なりを発揮していたことでしょう。 

 

 薬はあくまで「病気」に働きかけるものであり、その人の能力やパーソナリティにまで影響するものではない、そのように考える方が適切であると私は思うのです。その人の能力やパーソナリティ傾向が病気によって阻害ないしは抑制されており、薬が病気の威力を緩和するので、その能力やパーソナリティ傾向が前面に出てくるようになったのです。私にはこれが現実の現象であるように思われるのです。 

 

 では、どうして「薬のおかげでそれができている」という体験となるのでしょう。当人にはどうしてそのように見えてしまうのでしょう。 

 ここにはその表現を発する人それぞれの事情があると思います。あまり一般化することは控えた方がいいかもしれませんが、私の思うところをいくつか述べようと思います 

 一つには、その能力が自分にあったことに気づいていないという人がいるでしょう。あるいは、長年の「病」を経ていくうちに自分にそういうことができていたことを忘れてしまっていたという人もいるでしょう。 

 二つ目として、薬に対する過度な信奉がある場合もあるでしょう。薬が非常によく効くので、実際の薬の効用以上の効用を薬に付与してしまっているわけであります。 

 三つ目として、その人の主体性の感覚が挙げられるでしょう。「薬のおかげでそれができている」と言う場合、それができている主体が等閑に付されていることになります。つまり、それができている主体は薬の方にあり、現実にそれができている主体の方は非主体的な立場に置かれていることになります。 

 四つ目として、自分にその能力が備わっていたということをそもそも信じていなかったという人もあるでしょう。それはいわゆる自己不信であります。その人にとっては、自分にそれができる能力があるのではなく、薬がその能力をもたらしたことになるわけであります。自分そういうことはできない人間だ、だから、それができているのは薬のおかげだ、という発想になるわけです。すでに述べたようにこの思考は魔術的であり、現実的ではなく、正しくないのであります。自分にそれができる能力があったのだということを認めないと、その人は薬物依存に陥る可能性が高まると私は思うのです。そして、その人は自己不信のまま生き続けることになるのではないかと私は思うのです。 

 

(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

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