7月2日(水):唯我独断的読書評~『笑いの遊歩道』(1)
イギリス・ユーモア傑作選と題された『笑いの遊歩道』を読むことにする。最近、自室で「発見」した一冊だ。文学作品をあれこれ読みふけった20代の頃に購入した一冊で、当時読んで以来、その存在すら忘れていたという一冊だ。処分してもいいのだけれど、捨て読みをしておこうと思う。
作品は12篇収録されている。6話ずつ読んでいこう。
1「ミンズ氏といとこ」(Mr.mins and His Cousin)チャールズ・ディケンズ
犬と子供が嫌いなミンズ氏は独り者であった。親類と呼べるのはいとこのバドン氏であるが、彼はそのいとこも嫌いであった。バドン氏の方は、ミンズ氏の財産を目当てに、ミンズ氏を夕食に招待して、さまざまな演出をして彼を歓待しようとするが。
ミンズ氏にとっては災難の連続であり、バドン氏にとっては思惑がことごとく外れていくところに軽妙な面白さがある。血縁よりも金銭である。一方でそういう貪欲な人たちを描いているようだ。
ちなみに、本作はディケンズのデビュー作であるらしい。後に重厚な作品群を残す大作家らしからぬ小粒な一品であるが、ピリッとしたユーモアはすでに芽生えていると言えようか。
2「パナマへの旅」(The Journey to Panama)アントニー・トロロプ
遠洋航路の大型客船の中ではさまざまな人間関係が生まれる。最初は船に慣れるまでの日時があり、次に顔見知りになる段階があり、やがて親しくなり、友情なり同盟まりが生まれる。フォレストとミス・ヴァイナの二人もそうであった。二人はやがて親しくなっていく。二人はパナマまで同行することになる。彼女は貧困生活から抜け出すために年長の金持ちとの望まない結婚に向かうところだったのだ。
ミス・ヴァイナの人柄が魅力的に思えた。フォレストが愛していなければ結婚はしてはいけないなどと言うと、「そんなふうにわたしたち女性はつねに扱われていますわ。選択権は与えてもらえず、あとになって、間違った選択をしたと叱られるのです」と答える。フォレストがイギリスの救貧院で暮らす方がいいなどと言っても、彼女は「フォレストさん、まるで生きる権利のない人間もいますのよ」と応じる。静かに自分の運命を引き受ける人の姿を見る思いがした。
3「お茶」(Tea)サキ
ジェイムズ・カシャット=プリンスキーは自分もいつか結婚するだろうと信じていたが、それが現実のものになろうとした。ジョーアンとの結婚だ。結婚すると、お茶は濃いめが好きだったかしら、砂糖は一つでよろしかったかなどといったやりとりがなされるのだろう。彼はそういう情景が嫌いなのだ。彼は遠縁のいとこにあたるローダに会いに行き、そのままローダと結婚してしまう。
結局、理想の結婚、思い描いたような夫婦生活はできないということか。彼が「数十冊の小説で読んでいて、何百回もかさねた実生活の体験からその描写」がなされたあの情景が、彼にとっても同じように現実になってしまうのだ。ユニークな作品であると同時に侘しい気持ちになる。
4「ちょっとした芸術」(The Spot of Art)P・G・ウッドハウス
ウッドハウスの人気シリーズである執事ジーヴスものの一篇。
ウスターはダーリア叔母さんにクルーズ旅行を断らなければならなくなった。グラディス・ペンドルベリー嬢に恋をしているからである。彼女は画家であり、ウスターの肖像画も描いてくれたのだ。ジーヴスはその絵はあまり気に入っていないようだけど。ウスターの話を伺って、ダーリア叔母さんは賭けをする。ジーヴスは二人の結婚を中止させ、ウスターをクルーズ旅行に参加させるだろう、と。叔母の元から去り、家に戻ったウスターだが、彼の留守中に家の前で交通事故があったことを知らされる。車に轢かれた男に空き室のベッドを提供しているというのだが、その運転手がこともあろうにペンドルベリー嬢だったのだ。
このシリーズは面白い。ダーリア叔母さんが賭けをして、読者はきっとその通りになるんだろうなと予測がつくのだけれど、それがどのようにして実現するのかがなかなか見えず、最後に至って、ああ、そうなるのかと納得する。推理小説のような面白さがある。それだけでなく、主人のウスターが適度にへまをこくところもお馴染みである。
5「ボールトン・ウィンフィーバーズの生活(Life at Boulton Wynfeves)J・B・モートン
金魚に憑かれたショートケイク男爵に仕える召使トラヴァーズが、そのボールトン・ウィンフィーヴァーズ邸で過ごした日々の思い出という回想形式で構成されている作品。
トラヴァーズはそこで水族館主任管理人という地位を得ていた。彼の仕事の一つはショートケイク男爵の金魚の数を数えるというものだった。それぞれの部屋に金魚鉢があり、金魚が泳いでいる。
男爵の金魚熱は生涯冷めることなく、周囲の人たちと悶着が起きようと意に介さず、あくまでも金魚のことしか考えていないような男爵の姿が面白い。頭の中が金魚のことしかないので、時に会話がかみ合わなくなるくだりも面白い。
この男爵、金魚に関する全8巻の書物を著しているという。その結びの言葉は次のものである。「私は、私同様、誰もがそうした忠実な人生の旅の伴侶を見つけ出されんことを願う。なぜなら、この世は金魚鉢にしかすぎず、われら哀れな死すべき者は。われらの短い一生が終わるまで、その中をまごつきながらぐるぐると回っているのだから。また、人間はいかにおのが頭脳を自慢しようと、拙著のテーマであった小さな魚の美しさに敵うべくもない」。なるほど、我々は金魚に過ぎないのか。深遠な考察である。この男爵、頭がおかしいのか賢いのかよく分からなくなってくる。
でも、どちらかと言えば奇人の類になるのだろう。その男爵に忠実に仕えるトラヴァーズの目の温かいこと。男爵もにくめないけれど、読者の前に直接姿を現すことのない語り手である召使のほのぼのとした人柄もまた魅力だ。
6「土を土に」(Earth to Earth)ロバート・グレイヴズ
エルシとロウランドのヘッジ夫妻はオイゲン・シュタインピルツ博士には気をつけるようにとの忠告を受けていたにも関わらず、教授の信奉者になってしまう。教授が編み出した堆肥製造法を用いて作物を栽培するようになる。排泄物も廃棄物もすべて堆肥となっていった。やがて戦争がはじまり、彼らの家の前で被爆者の老人が息絶えていた。誰も身寄りのない老人、警察も多忙で通報しても取り合わないだろうと見込んだ夫妻は。
なんとも残酷で「ナチス」的な内容だ。要するに、人間の死体も堆肥と化してしまうわけだが、そこには人間と排泄物・廃棄物が同列に扱われていることになる。どちらも土に還ることに変わりはないかもしれないが、夫妻のあまりに無感情な姿が怖いとさえ僕は感じた。
さて、以上で前半6話を読んだ。後半は明日読もう。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

