10月29日(水):一人お別れ会
夜勤明け。高槻に行く用事はない。この後、夜までフリーだ。いや、やることはたくさんあるのだけれど、今日はフリーにしようと決めた。
明日は僕の誕生日だ。明日で54歳になる。近頃は誕生日を祝うことはなくなった。その代わり、誕生日前日を個人的に祝うことにしている。一人お別れ会を催している。
その前に、勤務後のことも残しておこう。今日の勤務は遠方の店舗だ。今、週に一回くらいそこの店舗に応援に行っている。今日もその日だったわけだ。
勤務後はその店舗周辺を歩く。大学時代にこの辺りに下宿していた友達のことを思い出す。酒でも持って、夜中によく押しかけていったものだった。そのマンションが今でもあるのかな、とふと思った。思い立ったら即行動する。
もう30年も昔のことだ。それでもそのマンションがあったのは驚きだ。記憶が一部曖昧になっていて、確かこの通りにあったなと思って、行ったみたら違っていたなんてこともあった。その界隈を歩いて、「ああ、ここだここだ、見覚えがある」、とそんな感じで見つけたのだった。あの頃が懐かしいなあ。
懐かしむためだけに足を運んだのだけど、最近、そういうことをやたらとしてみたい気持ちが強い。つまり、過去において、よく通った場所、思い出の場所なんかを巡礼したい気持ちがある。そんなことをしたくなるなんて、よほど現在が行き詰っているのだな。もしくは、単に僕が年を取ったせいだけかもしれないけれど。
そこから帰宅となる。先述したように明日は誕生日だ。54歳になる。ということは、今日は53歳最後の日となる。お別れ会をしなきゃ。
途中のコンビニに寄って、ビールを買い、店頭で呑む。「グッバイ、53歳の俺」とか言いながら呑む。実際そうだ。53歳の自分はもういなくなるし、53歳の自分と再会することもないのだ。きちんとお別れしておかなきゃ。
お別れ会の会場に選んだコンビニは、僕がバイトしているところではなくて、以前よりよく飲みに行くコンビニだ。そこは僕の中では飲み屋の感覚である。店員さんと店長さんとも顔見知りになっている。さらに、最近近所に越してきたという高校時代の先輩とも会った。一人お別れ会のはずが、けっこう賑やかな宴会となった。ついつい飲み過ぎてしまった。
この高校時代の先輩との再会も面白かったな。僕がバイトしているコンビニの灰皿のところで一緒になったのだ。彼の方から声をかけてきた。僕のことを見覚えがあると言う。僕の方でもなんとなく見たことがある気がする。そして、お互いに「あの時のあの人ですか」とか「いつぞやのあの人かな」なんてことを言い合って、ようやく高校時代の先輩後輩であたことが判明したという次第である。その後もチョクチョク顔を合わせることがある。会うたびに親しくしてくれる。
人が僕に親しくしてくれるのはありがたいことだ。先輩にしろ、飲み屋コンビニの人たちにしろ、バイトしてるコンビニの人たちにしろ、大学時代の友達にしろ、みな僕に親しくしてくれた。店に来るお客さんにも親しくしてくれる人もある。言うまでもなくクライアントたちも僕によくしてくれた。こうして振り返ると、なかなかいい人生だったんじゃないかっていう気もしてくる。
否定的なことを言う気分でもないんだけど、53歳を無事に終えることができたのは幸せなことだ。ずいぶん昔に、何かの本で、酒飲みの平均寿命が53歳だというのを読んだことがある。だから53歳という年齢は僕の中でちょっとした意味があったわけだ。僕の場合、酒飲みで、若いころから体を酷使してるから、きっと53歳までは生きられないだろうなと思っていた。それがこうして53歳を終えることができるのだから、幸運なことと言わざるを得ない。
酒飲みの平均寿命が53歳というのも、それこそ30年近く前に得た情報なので、現在ではその平均寿命も伸びているかもしれない。それでも同じだ。僕の知っている酒飲みの何人かは53歳まで生きられなかった。50歳前後で亡くなった知人が何人かいる。みな酒飲みだ。彼らより長く生かせてもらえていることも喜ぶべきことだ。
53歳というハードルはクリアすることができた。あとどれくらい生きられるだろうか。1年後には没してるかもしれないし、10年後も生きてるかもしれない。こればかりは誰にも分らない。生きてる限り、悔いなく生きたいものである。
それにしても、誕生日を祝うのだったら分かるけれど、その前日を祝うってのも変な話だな、そう思った人も上の事情を読めば納得してもらえるだろうか。一人淋しく一人お別れ会をすることになるのだろうなと予期していたんだけれど、おかげさまでけっこう充実したお別れ会になったよ。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

