9月11日(木):ミステリバカにクスリなし~『サスペンス・マガジン65年7月号』(1)
久保書店から刊行されていた月刊誌、『サスペンス・マガジン』の1965年7月号を読む。僕はこの一冊だけ所有している。
この雑誌は日本作家陣によるもので、僕のような海外ミステリファンはあまり興味を掻き立てられない。また、内容もミステリというよりも「エロ・グロ」趣味が濃厚で、その辺りも僕の趣味に合わないところがある。ともあれ、せっかくお金を出して所有しているのだから、とにかく読んでみよう。
1「ポポナの町のポポナ女学院」(淡路周五)
ポポナの町にあるポポナ女学院での出来事である。女生徒ピコは授業中に大笑いを始め、教師からこっぴどく折檻される。パコは朝早くから教室でパンティを脱いでおり、級友のピナにも同じことを強要する。教師たちは理想的な人間像の研究のために女生徒のセツを標的にする。
基本的に教師が女生徒を虐待し、最後は女生徒達に逆襲されるという物語だ。虐待は糞尿や嘔吐物などスカトロジー趣味が目立つ。最後の逆襲も凄惨な描写に溢れている。こういうのが好きな人ならいいけれど、僕は面白いとも思わなかった。
難点はピコのエピソードも、パコやセツのエピソードも、それぞれ関連性がないというところにある。一人の教師が三人を虐め、その教師が三人から復讐されるといった構成にした方が良かったのじゃないかと思う。その復讐も受けた虐めに対応したものにすれば良かったかも。と言っても、そんなことを僕が考える義理はないんだけれど。
2「暴君ネロ」(山村正夫)
暴君ネロはコロシアムを埋める処女たちの無残な死骸を見て憤慨する。あれほど辱め、死に至らしめたのに、このキリスト教徒の処女たちはすべて平穏で満ち足りた顔をしている。そのことがネロには気に入らないのだ。これはすべて使徒パウロのせいである。ネロをパウロを牢獄に監禁し、あらゆる責め苦を与えるが、この使徒には何一つ通用しない。ネロの側近のドミテイウスは、パウロには通常の責めではなく、快楽で責めなければならないと助言する。かくてネロはパウロの牢獄に美しいギリシャ人奴隷レダを投獄する。パウロを禁じられた色欲に溺れさせようと企む。
本作はなかなか面白かった。性欲を切り離しているパウロであったが、レダがパウロに惚れてしまう。そこにパウロの受難がありレダの悲劇がある。最後はネロの勝利となってしまう結末も一抹の翳りをもたらす。本書の中で一番ましな作品というのが僕の正直な感想である。
3「ニセ医師行状記」(影山一彦)
東京板橋区の神経科「森川医院」は注射一本で神経痛が治せるという触れ込みで繁盛していた。この日も若い女性患者が痛みを訴えて受診する。森川医師は女性に麻酔をかけ、そして密かにワイセツ行為をしていく。
医師免許もない森川は、見よう見まねで医療行為を行い、クリニックの看板を掲げてきた。ワイセツ行為が発覚しそうになるとクリニックを畳み、別の場所で開業しては同じ所業を繰り返していたという。20年に渡り、ワイセツ行為とニセ医療行為で荒稼ぎした男だった。
ルポ風の作品で、おそらく実話なのだろう。近所の開業医が挨拶に来ないということから森川の実態が暴露されていく件など、実話っぽい。思いもかけない所から秘密が暴かれるというのはよくあることだ。
4「三色すみれ」(岡鬼一)
その裏町のバーはパンジー(三色すみれ)という。その名の通り三人姉妹が経営している。雨の夜。二人の東南アジア系の外国人が入店した。バヤンとラーダという船乗りだった。彼らはビールを一本呑んで出たのだが、入店した時に膨らんでいたバヤンの胸が、店を出る時には平らになっていたことに誰も気づいてなかった。その後、一人の男が入店し、先ほどの二人について尋ねる。その夜、店を終えて帰宅する途中、三人姉妹は拉致されてしまう。後から入店して二人のことを尋ねた男の手によって。
バヤンとラーダは東南アジアの某共和国の革命派で、機密書類を持ち出して日本へ逃げたという。それを追う秘密結社の男たちは三人姉妹に容疑をかけるわけだ。三人に口を割らせようと一人ずつ拷問していくのだが、本作の半分はこの拷問シーンであり、いいかげん辟易してくる。
5「ハトンの青春」(渥美凡)
アルギューダ五番星の住人であり冒険家のハトンはテレポートでさまざまな星を探検してきた。彼が訪れた不思議な星について、彼は住人たちに意見を求める。ハトンが着いたのは草むらの中で、そこにオスとメスらしき生物がやってきた。ハトンには意味の分からない言葉でその生物たちは会話をし、最後はオスがメスに覆いかぶさったという。彼らは何者で、何をしたのだろう。
要するに、人間の男女が草むらにやってきてセックスしたということなんだけれど、ハトンの星の住民にはそれが理解できず、あれこれ憶測をたくましくして議論するくだりが面白い。最終的に彼ら(人間)は生物ではないという結論に達した。彼らが残していった皮膚は生物のものではないからであるという理由で。要はセックスの後、男がコンドームを捨てていったということなんだけれど、それが生物の皮膚ではないということで人間は生物ではないと結論づけたわけだ。でも、ある意味、この結論は言い得て妙なものがあるかもしれない。
6「畜生符秘文」(島本春雄)
副題に「鬼姫変幻帖・第七話」とある。長編もしくは連作短編の中間の一つということで、前回までのあらすじが不明なので、読んでいて分からないところが多かった。特に人物の相関が分からないので困った。理解できた範囲で綴っておこう。
江戸幕府転覆の力を持つ畜生符の秘密を握る女忍者<鬼>の綾美。追われる彼女は、同じように幕府転覆を狙っている由比正雪に助けを求める。しかし、由比正雪はその秘密を吐かせるために綾美を拷問にかける。彼女を助けようと奔走する<蝙蝠若衆>はついに間に合わなかった、という展開であるようだ。
おそらく毎回女忍者の拷問シーンがあるんだろうな。パターンが目に見えるようだ。
7「脱ぐ」(澱口𡿺襄)
教師の麻紀は自分のプロポーションに自信があり、脱ぎたいという衝動に襲われる。ある日の授業中、彼女の両乳房の間から一本の手が生えてきた。その手は彼女の服を脱がせようとする。それ以来、彼女は真ん中の手を体に括りつけて生活することになった。ある時、恋人と海水浴に行った時だったが、周囲の男たちの視線を一身に集めると、手が引っ込んだのを彼女は発見する。露出症的願望が満たされると手は引っ込むようだ。そうして平穏な日が過ぎたある日、彼女はたまたま水着のファッションショーを見かける。そのモデルたちを見ていると彼女の中で優越感が生まれる。モデルたちの誰も私のような均整のとれた体をしている人はいない、と。その瞬間、胸の合間からあの手が出てきた。服の下で暴れる手を抑えながらその場を出る麻紀だったが、やがて背中の方からもう一本の手が出てきて、服を脱がせにかかってくる。こうして彼女は人通りの中で素っ裸になってしまい、そのまま病院送りとなったというオチである。
なんともくだらないというかナンセンスというか、チープな発想の作品だな、などと思ってしまう。でも、ここには僕にとっては馴染みのある思考が描かれている。彼女には露出症的願望があるのだけれど、露出は自分が望んだものではなくて、「手」がやったことなのだという思考である。神経症的・精神病的思考の典型的な思考様式である。あと、どうでもいいのだけれど、シンプルに「手」などという題名でも良かったかも。
8「ルビアナ国紀行・6」(阿麻哲郎)
ロロとトリコの河童のカップルの介抱のおかげで回復した主人公。彼らとともに生活る中で、主人公は河童の生態、習性などを知っていく。そのうち主人公はロロに惹かれていき、トリコに嫉妬するようになる。自分もトリコのような河童になろうと脳天の毛髪を剃る主人公だが、どうしても人間は河童になることができない。しかし、人間には河童にない武器もある。彼はロロを口説き、二人で広い世界へ、河童の都へと旅立つことを決意する。
連載物の第6回目。それまでの経緯も分からず、この後の展開も分からないので、なんとも評価しようがない。しかし、河童と言われてもなあ、というのが正直なところ。
9「S・M・みすてり・がいど」(K・トヤマ)
書評のページだ。結城昌治『穽(あな)』、エド・マクベイン『10プラス1』、陳舜臣『白い泥』の3作がチョイスされている。マクベインのは昔に読んだことがあるが、そういう内容だったのか。いつか読み直してみたくなった。他の2作品はあまり僕の趣味というか興味に合わなさそうだ。
さて、最初のページから読んできたが、この辺でちょうど真ん中なので、後半は次項に引き継ぐことにしよう。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

