7月25日(金):真相を知りたい
甥の死の真相を知りたいと思っている。それを知ってどうこうするというわけではないけれど、知っておきたいと思う。僕の個人的な興味でしかないのだが。
母から伺ったところをまとめると次のようになるらしい。
その日は日曜日で、選挙の日だった。甥は普通に過ごしていたという。選挙には親子が揃って行ったそうである。特に変わったこともなく、彼らのごくごく日常的な一日だったそうだ。
夕方ころだろうか、甥が履歴書の書き方について兄に相談しにきたそうだ。これは甥の方から頼んできたということである。
甥は兄と一緒に履歴書を書いていたそうだが、何かをきっかけに口論になったという。そこで怒った甥は裸足のまま家を飛び出して、マンションの何階からかは不明だが、そのまま投身したという。
死体は住民の人が発見したのだろうか。警察が来て兄夫婦はそれぞれ尋問を受ける。警察の見解では、口論は「よくある」親子喧嘩とされた。また、甥の所持品から薬物などの使用は認められず、遺書等もなかったので、警察はこれを「事故死」として処理した。
甥の体に骨折は認められなかったという。ただ、外傷がひどく、出血死したそうである。
僕が現時点で知り得ているのは以上である。これだけの情報を基に考察してみよう。
まず、その日はごく普通の日常的な一日であったことを押さえておこう。甥に何か不調が見られていたわけではない。甥自身、まさかその日が自分の命日になろうとは思ってもいなかっただろう。
履歴書の書き方について兄に相談を持ちかけている。このことは何を意味するだろうか。甥は就職活動が上手くいかなかった。ハローワークとか就職・転職サイトなどを利用すると、履歴書の書き方なども教えてくれるのであるが、どうも甥はそういうのを活用していなかったようだ。それで父親(僕の兄)しか頼る人がいなかったのかもしれない。
そのことは、一方で甥の父親との結びつきの強さを示しているようにも思う。いい意味でも悪い意味でも、甥は親との結びつきが強かったかもしれない。21歳くらいになると、親と一緒に出かけたりするのに多少の抵抗があるものではないかと僕は思うのだが、甥はそうでもなかったようだ。しかし、それが甥の意志によるものであるのか、何か強制感や義務感でそうしていたのかは不明である。
一番肝心な部分が一番曖昧なのだけれど、何かがあって口論が始まったのだ。警察はそれを「よくある親子喧嘩」と評価したのだが、どこをどう評価して「よくある」などと言えたのだろうか、僕には謎である。
この口論の中身が知りたい。どんなひと言がその契機となったのかも知りたい。もし、甥の投身が衝動的なものであるとすれば、それは自我の統制が弛緩したためであると思われる。自我による統制が緩み、無意識にある観念がドッと意識野に流入してきただろうと思う。言い換えると、自我の防衛機制が破綻し、急性精神病状態であったということである。
自我の防衛機制が破綻するなんてことは、よほど自我が脆弱な人なら頷けるのだが、そうでない人にとってはそうそう発生する現象ではないと僕は思う。これが生じるということは、相当強いストレス下に置かれていたか、無意識のコンプレクスを強く刺激されたかしたのではないかと思う。口論の果てにそうなったのではなく、口論が始まった時にすでに甥の心はそのような状態になっていたと思う。だから口論の契機が知りたいし、どういうふうに口論が進展したのかも知りたい。
衝動的に甥は飛び出す。裸足のままである。靴を履くことさえ省かれている。自分がいかに無防備であるかということを物語っているかのように僕は思う。もっとも、甥にとってはそれどころではなかったのだろう。家を飛び出してから投身までの甥の行動は不明である。
死因は出血死である。どこも骨折していないということは、それほど高所から投身したのではないということを示している。従って、甥は本当は死ぬ気ではなかったのかもしれない。例えば、狂言自殺のはずだったのに本当に死に至ってしまったといったケースと同じようなものであり、そういう意味では「事故死」という警察の判断は正しいことになる。
もちろん、甥の場合は狂言自殺とは言えないのである。ヒステリー性格や演技性の人格の人の場合、狂言自殺めいたことをやらかすのであるが、その場合、死に至らないのが常である。確実に助かる方法で、あるいは、確実に死に至らない方法でなされるものである。甥の場合、そこは微妙ではある。それほどの高所でもないところから投身したというのであれば狂言めいて見えるのだけれど、それだけケガをしているというところで狂言とは言えなくなってくる。狂言なら大したケガを負うこともないだろうと思う。もっとも、甥が結果を甘く見ていたといった可能性もあり得るとは思うのだが。
それはそれとして、衝動的に飛び出したが、投身したのは、死ぬためではなく、親に何かを伝えたかったためであったかもしれない。そもそも、履歴書の書き方を父親に相談するということも、父親に何かを伝えたい意図が暗に含まれていたのかもしれない。
そうだとすれば、甥は何を伝えたかったのだろう。きっと口論の最中にそれを思わせる発言が甥の口から漏れ出ていたであろうと僕は憶測する。つまり、自我の防衛機制が緩んで、内面にあるものが漏洩した可能性があると僕は考えているわけだ。そこが不明なので何とも考えようがない。
仮に、履歴書を父親に見せて、自分はそこに何ら書くことのない人間だ、だから期待しないでほしい、諦めてほしい、といった願望があったとすれば、父親が一生懸命に援助(履歴書を書く手助け)をすればするほど、甥は逃げ道がふさがれることになってしまう。自分のことを諦めてほしいと願っているのに、この父親は諦めず、どこまでも自分を捕まえて離そうとしない親が見えてしまうかもしれない。それは甥からすれば絶望的な状況であろう。
しかし、今述べたことは仮の話である。現実がどうであったかは分からない。
それにしても、幸か不幸か、甥は非常に大人しい人であった。これがもっと気性の激しい荒々しい性格であったら、口論の末に兄が殺されていただろうと思う。少なくとも、甥は人に危害を加えるような人ではなかった。だからそこで自ら投身しなければならなくなったのだと思う。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)