7月10日:唯我独断的読書評~『淋しい場所』(2) 

7月10日(木):唯我独断的読書評~『淋しい場所』(2) 

 

 本書はオーガスト・ダーレスが各雑誌に掲載した作品が集められており、古いのは1946年(「パイクマンの墓」)、新しいものは1959年(「フォークナー氏のハロウィン」)で、他はすべてその間の作品となっている。 

 ダーレスはH・P・ラブクラフト埋もれた作品群発掘した功労者として有名であるが、作家としても多数の著作がある。作家としても特にミステリ系作家としてもっと評価されてもいいのではないかと僕は思っている。 

 それはさておき、中間6話を読んでいこう 

  

 

7「暗い部屋」(A Room in a House) 

 家の中の部屋を一つ思い浮かべてほしい。その部屋の実態をどれほど知っていることだろうか。ちょうど祖父の家のあの屋根裏部屋のように。そこは僕たちが悪さをしたときに罰として入れられる部屋だった。そこには精霊(ジン)が潜んでいる。ジンは僕たちの願いを聞き入れ、お仕置きをする大人たちに仕返ししてくれる。大人たちにはジンの姿は見えない。やがて僕も大人になり、子供も生まれる。そして、僕たちは祖父の家で集まることになった。子供たちは屋根裏部屋で過ごすことになったが、僕の記憶にチクリと刺すものがあった。かつて大人たちがジンによって仕返しされたように、僕もまたジンに仕返しされることに。 

 子供の恐怖心が生み出した観念が、実態を伴い、現実の存在となるという著者が繰り返し描くモチーフである。子供からすれば大人はあちら側の人間であるが、自分もいつしかあちら側の人間になり、子供時代の恐怖心を忘れてしまっていることに気づく。そして、子供が執念深く、恐ろしい存在となることも忘れてしまっているのだ。 

 

8「ポッツの勝利」(Potts’ Triumph) 

 ウインタートンの町では、資産家で室内装飾家のフィンランダー・ポッツの手によらない家はなかった。彼の仕事は常に完璧であった。ある時、彼はレイヴァー姉妹の依頼を受ける。彼女たちは二階の客間の装飾を彼に依頼したのだが、その部屋にはかつてその家に暮らした女の幽霊が現れるという。ポッツはその依頼を引き受けるが、装飾を新たにしても、幽霊がもとに戻してしまう。そこで幽霊の反撃よりも先に室内を完成させようと躍起になるポッツであった。結果的に、この部屋はポッツの勝利を証すものとなったのだが、当のポッツ氏はそれ以来行方不明となる。 

 その部屋に未練を残す幽霊譚ということになるだろうか。見方を変えれば、いかなる変化も新しいものも一切受け入れない幽霊であり、自分が生きた時のままの状態におきたがる幽霊である。変化を拒み、新しいものは受け入れず、時間の流れを認めないという人を僕は連想してしまった(実際、そういう感じの人はいるのである)。 

 

9「黄昏に遊ぶ」(Twailight Play) 

 黄昏時はドナルド少年にとって貴重な遊び時間だった。カッコいいインディアンの衣装を身に着けたホークは彼の友達だった。彼らは公園で出陣の踊り、月の踊り、サンダーバードの踊りなど、一緒に踊って遊ぶ。公園脇の家に住む金持ちの息子アーチャー・コネリーはそんなドナルドをからかい、いじめる。アーチャーは、貧乏でありながら幸福そうに遊ぶドナルドに嫉妬していたのだ。彼はドナルドに仕返ししてやろうと目論む。 

 ホークという少年は、いわゆる空想の友達ということになる。だからアーチャーにはホークが見えない。でも、ドナルドにとってはホークは実在する人間に等しい存在なのだ。そして、この空想上の友達は憎い敵をドナルドに代わって成敗するのだ。子供の思い描くファンタジーとはこういうものだと僕は思う。 

 

10「レコード録音機」(The Disc Recorder) 

 療養と執筆のためにネイソン夫妻の家を、締め切りの一部屋を除いて、借りたハーコート。ネイソン夫人は紀行作家で東洋に旅行中とのことであった。ハーコートがその家に住んでしばらくすると、夜中に家の中で音がする。強盗が忍び込んだと思った彼は、家中をくまなく探す。鍵のかかった締め切りの部屋も確かめてみた。どこにも人影はなかったが、彼はその部屋でレコード録音機を見つける。彼は執筆のためにこれを借りることにする。彼が原稿を録音していると、そこに彼のものではない声がはっきりと録音されていた。 

 幽霊物語で、ミステリ要素も濃い一篇だ。レコード録音機なんて僕には無縁の道具だ。現実に見たことも触ったこともないのであるが、要するに、カセットテープレコーダーと同じようなものだ、カセットテープにではなくレコード盤に録音するものだ。 

 

11「ヘクター」(Hector) 

 不動産屋のブレイクはグラバー夫人から、彼女たち夫婦の前に住んでいたジョージの手記を渡される。ジョージは事故で倒壊した壁の下敷きになった。奇跡的に助かったものの愛犬のヘクターを失ってしまった。ジョージはそのまま家に暮らすが、医者が手配したのだろう、グラバー夫妻が同居することになった。それだけでなく、死んだはずのヘクターが帰ってきたのだ。幽霊となって飼い主のところへ戻ってきたのだ。そうしたいきさつがジョージの手記にはしたためられていた。 

 動物幽霊譚かと思いきや結末でドンデン返しが用意されている。読んでいると予測がつき、その予測通りの結末だったのだけれど、要するに、幽霊は、ヘクターの方ではなくて、ジョージの方だったとうオチだ。でも、幽霊が自分が幽霊であることを自覚できないと、実在の方を幽霊と信じてしまうのではないかというのは、永遠に解決されない謎であるかもしれない。 

 

12「仮面舞踏会」(Who Shall I Say isCalling) 

 仮面舞踏会をやってる。私たちが通りかかったとき、姉マリラが見つけたのだ。私と姉はドラキュラ夫妻に扮してその屋敷に入り、仮面舞踏会の仲間入りをするのだが、そこは何か異様な雰囲気があった。そのうち、私はシンデレラに目をつけ、マリラはアポロンをパートナーに選ぶようになる。 

 面白い一篇だった。読んでいるとこの仮面舞踏会の方に何かおかしなところがあるように思い込んでしまう。ネタバレすると、この姉弟は本当のドラキュラなのだ。仮面舞踏会をいいことに、ドラキュラに扮したということにして紛れ込み、血を吸うターゲットを選んでいたのだ。発想が秀逸だ。 

 

 以上、7話から12話目を読んだ。 

 7やのように子供時代記憶を刺激するようなノスタルジック作品から11や12のようなオチがユーモラスな作品までどれも個性的に感じる。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

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