5月30日(金):この二日間
もう5月も終わりか。最近はブログを書く時間も削られている。時間が無いというわけではない。上手くやりくりすれば時間は都合がつけられる。もっとも、そのやりくり
通りに体が動いてくれるかどうかは別問題なんだけれど。
前日から振り返っておこう。
29日木曜日は夜勤が無い日だった。夜通し起きて本を一冊読もうかと計画していたが、思わぬことで変更となった。夕方に食べたものが悪かった。お腹を壊したのだ。結局、夜通しトイレに駆け込むことになった。落ち着いて本も読めないどころか、ずっと横になっていなければならなかった。
いつしか眠りに陥り、そこで夢を見た。以下のような夢である。
「僕は一人で町を歩いていた。休日だったようで、特に目的などもなく、散策しているような感じだった。どういういきさつがあったのか、やがて僕は15人程度のクラスに入っている。女性の方が数が多かった。3分の2程度は女性だった。講師らしき人が実演する。脊髄に関することをやっていて、一人一人の生徒の体を使って体得させようとする。次は直腸検査に関する講義であった。イヤな講義だな、尻に何か突っ込まれたりするんかいな、などと思う。そう思うとトイレに行っておきたくなった。講義中だけれど、僕はそっと教室を抜け出す。すると、僕の後から二人の女性が「寺戸さん、私たちもトイレに行く」と言ってついてきた。二人とも僕には初対面だったのに、どういうわけか彼女たちは僕のことを知っていた。どうして僕のことを知っているのかなと疑問に感じたが、すぐにどうでもよくなった。3人で廊下を歩き、トイレを見つけ、入る。不思議なことに、個室に入っているはずなのに、男性用・女性用と分かれているはずなのに、座りながら3人で和気あいあいとお喋りしている」
そこで目覚めたのだけれど、目覚めてすぐ僕がトイレに駆け込んだことは言うまでもないことか。
明け方頃には起きていた。日付は30日の金曜日になっている。寝ようと思っても、これ以上寝れない。起きてパソコン仕事をする。公開するかどうか未定の原稿を作成する。
この日は月末に当たるので高槻に出なければならなかった。といっても、まだ電車も動いていないし、銀行も開いていない時間である。高槻に行く前にローソンに遊びに行くことにする。Oさんが勤務する日だ。手伝えることがあったら手伝おう。
ローソンにて。いきなり事務所に入ったのでOさんをビックリさせてしまったらしい。悪いことをした。それに、どうもあまり上機嫌じゃなさそうだ。忙しいせいかもしれないが。こういう時はOさんの邪魔にならないようにフォローするに限る。あまりお喋りすることもなく。彼女は厨房に、僕は店内にと分業する形に終始した。
Oさんとももう少し会話したいものだ。僕のことも知ってほしいとも思う。とは言え、僕自身がそんなにお喋りな人間でもないから難しいかな。付き合って楽しい人間でもないから、これ以上親しくなることもないかもしれないな。
予定では8時ころに店を出るはずであったが、ほとんど9時になっていた。高槻に到着した時は10時近かった。これから銀行等を数軒回らないといけない。
結論を言うと、銀行が4軒、ケータイショップが1軒という内訳だが、約1時間ですべて終えた。どこもかしこもスムーズに行った。最初の銀行で一人待っただけで、あとはすべて待ち時間なく用件を終えることができた。
その後、職場に戻り、1時間ほど本を読んで過ごす。昨夕、腹を壊してから何も食べていないので、激しい空腹に襲われる。胃がキリキリと痛む。何か食べて胃にモノを入れた方がいい。それが先決だ。ということで、勉強は放り出して、昼食に出る。
お決まりのサイゼリアだ。止せばいいのにワインなんぞを召し上がってしまう。昼食を取りながら、ついでにワインも飲みながら、サイトの草稿を書く。「親カウンセリング」ページの分だ。子たちが示す多彩な症状をどのようにまとめようかで頭を悩ませている。知覚~認識(再認)~思考~感情~言動の流れで綴っていこうかなどと考える。この知覚から言動まで、その間のものすべてに「障害」が現れる。もちろん一人の人にそれがすべて現れるとかいう意味ではない。引きこもり状態にある子たちのことを親から伺うと、そのすべての段階で問題が見られるということを言いたいのである。
しかし、この計画は頓挫しそうである。というのは、記述の範囲が膨大になってしまうからである。そこで内容を抽象していく必要が出てくるのだけれど、どれを残して、どれを切り捨てるかでまた迷う。
食事しながらそんなことをやってるわけだ。もうチョイと食に集中しないといけないな。
サイゼリアを出ると、そこら辺を一周する。高槻市駅周辺の見慣れた光景だ。それに特にどこかに行く当てもない。とりあえず、電車に乗る。
長岡天神で途中下車する。よく行く古本屋を覗こうと思った。
止せばいいのに、中古のCDも買ってしまう。CDを買っても十分に聴く時間が確保できるかどうかも分からないのに。でも、まあ、いいか。所有していれば、いつか引退してからゆっくり聴くことができるか。ご機嫌なジャズがいい。ディジー・ガレスピー楽団、キャノンボール・アダレイ、ポール・チェンバースがある。即買いである。あまり僕には縁がなかったラムゼイ・ルイス・トリオのライブ盤を「ついで買い」する。
ついつい買っちまったぞ。これだけのCDを聴きこむだけの時間が本当にあるのかと思うのだが、買う時はそんな観念がどっかへ吹っ飛んでるから困ったものだ。
本も買う。まず100円でたたき売りされているところから見る。100円で買った本は、本には申し訳ない話だが、僕の中では読まれなくてもいい本に分類されている。今回買ったのはビジネス書と社会学系の本である。パラパラめくる程度でいい。何かのヒントなりインスピレーションなりが生まれればそれでいい。その程度の本である。
そして、もう一冊買ってしまう。「別冊宝石」だ。探偵小説名作選として、ジョン・バカンとレイモンド・ポストゲート二人の特集である。前者は「39階段」が収録されている。これは僕も文庫本で読んでいる。
お目当てはもう一人の方だ。レイモンド・ポストゲートの「十二人の評決」が収録されている。江戸川乱歩が随所で本作を賞賛していて、いつか読んでみたいとは思っていた。ただ、文庫化されてなくて入手できないでいた作品だ。こんなところでめぐり合うとは。これだから古書店巡りは止められない。
言うまでもなく、迷わず購入した。そして、これも言うまでもなく、購入する時には買っても読む時間があるかどうかなんて観念は吹っ飛んでいる。
こうしてCDと本とを買って、近所のパチンコ屋に入る。そこでタバコを一服する。一服すると、改めて、これだけCDと本を買ったけど、消化する時間があるだろうかということに気づく。買う前にこれに気づけるといいのだけれど、そうならないから我ながら困ったものである。
その後、帰宅。夕方になっていた。夜勤を控えているので少し眠ることにする。よく歩いたので足が痛み始めている。勤務が無ければそっとしておくのだけれど、今晩はかなり歩くことが予想されるので、鎮痛剤を先に服用しておく。用心に越したことはない。
こうして今日一日が終わり、今日一日を生きた記録を残すことができた。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)