4月29日:献血の日 

4月29日(火):献血の日 

 

 昨晩は深夜勤務は無しだった。一晩中勉強してやろうかと思ったが、タバコを買いに外出した際に、Sちゃんの店に顔を出そうと思ってしまった。近所のバーで10年以上前から付き合いのある店だ。地元で飲むことがなくなったので、近頃は顔を出すことがめっきり減ってしまったが、機会があれば顔を出そうとは思っていた。その機会がこれというわけだ。 

 Sちゃんが一人で切り盛りしている店だが、けっこう繁盛している。客同士も仲が良い感じで、若い人が僕にもきさくに話しかけてくれたりする。そういうのは嬉しいのだけど、若い人たちの楽しみを邪魔したくない気持ちもある。 

 少し飲んで、Sちゃんともお喋りをする。なかなか楽しい女性である。友達としては最高だ。飽きることがない。そうして楽しいひと時を過ごして、帰宅する。勉強する気はとっくに失せている。だから寝ることにした。 

 

 起床して高槻に出る。なにかとやっておくことがあるからだ。勉強もそこでする。 

 駅のところに献血カーが来ている。ああ、そうだ、献血しようと思った。一年近くやってないのじゃないかな。 

 でも、体調はあまり芳しくない。一応問診があって、体調も訊かれるのだけれど、そこでは問題ないと思わず言ってしまった。実際、問題はないのである。僕の気分の問題なのだ。 

 それでも、疲労感はある。献血の申し込みはしたものの、気分的に億劫である。それでも意を決して献血バスに乗り込む。 

 中では3人の看護師さんが仕事をしている。一度に3人ずつの献血だ。順番が回ってくる。真ん中のベッドだ。中央で働いている看護師さんに当たった。元気の良さそうな女性だ。厳しいような雰囲気が感じられるのだけれど、根は優しいのだろうな。そんなことを思った。 

 針が刺さってしまうと、あとは何もできない。早く血が出るようにとゴム玉を渡される。それを「にぎにぎ」やってると献血が早く済むということだ。握ろうとしても力が入らない感じがする。奥の看護師さんが来て、僕の手を握り、「にぎにぎ」を手伝ってくれる。その手のぬくもりに感激してしまった。改めて、今の僕の生活には人間的な温かみが欠けているなと思い至る。 

 献血を終えると、バスを降りる。いささか足元が覚束ない感じがあった。座って休んでいれば回復するだろう。水分を採りながら座っている。景品もいただいた。 

 本当はタバコはもう少し待ってからの方がいいんだろうけれど、お構いなしに喫煙所に行く。 

 

 喫煙所で呑み友達に会った。「おう、久しぶり」などと声を交わす。最近はどう、どこで呑んでるの、などと他愛もない会話を交わす。彼は今から呑みに行くのだと言う。ご一緒したいところだけれど、献血後なのでそういうわけにも行かない。タバコを吸い終わると、「じゃ、行ってくるわ」と彼はその場を後にした。 

 実は、その間、僕は彼の名前を思い出せないでいた。顔を見て彼だということはすぐに分かったものの、とっさに名前が出てこなかったのだ。長いこと会っていないせいでもある。後から、彼はSさんだということを思い出す。 

 彼は呑むとガラが悪くなる。まあ、それは正しくなくて、普段からちょっと言葉遣いの荒いところがあって、呑むとそれがひどくなるだけである。案外、気のいい奴である。 

 

 職場に戻り、勉強の続きをする。 

 ノートを取るのだけれど、指先が痺れた感じがあり、力が入らない。普段から下手くそな字がよけいフニャフニャになってる。座ってるから問題ないけれど、足の爪先にも痺れ感がある。今日の献血はけっこう堪えているな。 

 切りのいいところで勉強を切り上げ、少し横になる。横になり、天井を見上げながら、物思いに耽る。今の生活の無味乾燥さ、この人生の不毛さ、冷たい関係性、嫌気がさすほど嫌悪したくなる生活空間、実にさまざまなことを思い浮かべた。虚しい思いで胸がいっぱいになる。 

 起きて、少し室内整頓する。すぐに着手できるのは生活空間だからだ。動いていると、二度ばかりフラッとなる。軽い貧血だ。そんなのに負けてたまるか。 

 

 夕方に帰宅。そこから仮眠を取る。その後、深夜勤務に向かう。その通勤の途中で一度だけフラフラとなった。献血からだいぶん時間が経っているのだけれど、まだそんな貧血に襲われる。今日の夜勤を持ちこたえることができるだろうかと心配になる。一方で、生きるとはそういうことだと自分に言い聞かせ、自分を鼓舞する。そうして今日一日を僕は生きた。 

 ちなみに、勤務中2度ばかり軽いフラフラ襲われたなんとか持ちこたえることができたので良しとしておこう。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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