3月25日:あれから20年 

3月25日(火):あれから20年 

 

 ここ数日のことを書き残しておこう。 

 

 先週の金曜日と土曜日の深夜勤務はとかくキツかった。なんでこんなにやる作業が多いんだと、腹立たしく思った。 

 日曜日(23日)の朝はとかくホッとした。二日間、深夜勤務がないからだ。次は火曜日の深夜までフリーだ。そこで帰宅してもいいのだけれど、別店舗で働いているOさんの様子を見に行った。その店舗は早朝のお客さんが少ないらしい。Oさんが独りポツネンとしているかと思うと可哀そうになってきた。顔だけ出して、少しでもお喋りさせてあげるとOさんの気分もよくなるだろうなどと思ったし、何か手伝えることがあれば手伝ってもいいと思った。 

 そこで少しだけ時間を潰して帰宅。家に着くと寝る。夕方に一件面接の予約が入っている。今日で二回目という人だ。来てくれるだろうとは思っていたが、どういうふうに面接を進めていこうかと暗中模索している状態だ。とにかく、いくら考えてもしょうがないので、後は行き当たりばったりだ。1時間確保されているということはありがたいことである。なんとか1時間の間に糸口をつかめればよいと思えるからだ。 

 午後から高槻に出る。面接はなんとかこなせた。一回一回が緊張の連続である。きっと次も来てくれるだろう。 

 面接後は、勉強して過ごす。学ぶこと、あるいは復習することがゴマンとある。いつでも引き出せるようにアタマの引き出しにしまっておきたいと思うのだが、なかなかできないし、とっさに引き出せない自分がもどかしい。 

 その後、いつもの飲み屋に顔を出す。非常に迷ったのだけれど、顔だけ出しておこう。次はいつ来れるかわからないし、間が空くかもしれないってことを伝えておいた方が余計な心配をかけないで済むだろうと思った。 

 大体いつものメンバーが顔をそろえていた、二人ほど初対面の人がいた。あまり面白いこともなかったな。メンバーが悪いわけではなく、僕の方があまり楽しめる気分ではなかったようだ。でも、一応最後に間が空くかもしれないという報告はできた。 

 それから帰宅となるのだけれど、結局、朝訪れたローソンに顔を出す。普通に買い物をする。ここのローソンは、僕もシフトで入ることがあるのだけれど、少し応援したい気持ちが生まれている。 

 それから帰路に就く。ここまでが23日の日曜日だ。 

 

 24日月曜日。つまり昨日だ。起床して、割と速やかに高槻に出る。一日勉強して過ごそうと決める。概ねその通りにした。論文をいくつか読み、ノートに取る。その他、サイトの原稿というか、その草稿を書いて過ごす。朝から夕方まで、そうして独り静かに過ごす。 

 高槻のこの場所を借りてからちょうど20年になる。今年は一つの節目としている。全盛期の時ほど僕が売れることはないだろうけれど、もう少し頑張ってみようとは思う。まだ僕が役に立てるなら一人でも多くの人に来てほしいと願う。そのためにはよく学ぶことだ。 

 夕方、お腹が空いた。帰宅前にコンビニに行って、買い食いをする。こういう出費を抑えなければいけないとは思うが、空腹のままでいるのも辛いものだ。 

 帰宅する。それから一旦就眠する。深夜に起きて、サイトの原稿をチェックする。最近、<#008>の親カウンセリングのページに力を入れている。以前に書いて、おそらく未公開だった原稿がいくつかあるので、それを手直しして公開しようと思う。この時は手直しだけで終わったのだ。朝が来たためでもある。 

 ここまでが24日月曜日の話だ。 

 

 ここから今日のことになる。朝のうちはゆっくりして、家のことなんかをする。 

 昼からサイト作業の開始となった。<#008>を10ページ公開する。それから次に公開する原稿を準備する。これらは公開する前に手直しする必要があるが、そうして少しずつでも溜め込んだ原稿を公開していこう。 

 サイト作業は夕方には終える。その勢いでこのブログを書いている次第である。今晩は夜勤を控えている。それまでに少し休んでおこうかという気持ちもあれば、時間のある限り前に進んでおきたいという気持ちもあり、僕の中で葛藤している。このブログを書き終えるまでに決着をつけようと思っていたが、決着つかず、葛藤したままだ。 

 とりあえず、昨日の勉強の続きをやっておこう。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

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