<T026-36>動画広告完成記念コラム(1)
ああ、これでやっと動画広告の件から解放される。どうにかこうにか契約の3本を作成し終える。ずいぶん、面倒な作業だった。
僕自身は動画をほとんど見ないので、動画広告がどういうものかよく知らない。もちろん、見たことはある。しかし、僕のパソコンの動作環境がよろしくないのか、動画広告がまともに見れないこともよくあった。画像はフリーズし、音声だけ聞こえるとか、あるいは両方とも途絶えるとかしたこともあった。そんなこともあって、動画広告にはいい印象を持っていなかったし、まともに見ることのできないものなんだと一方的に決めつけている。今でもその見解は変わらない。
何はともあれ、動画広告の件はこれで終わった。振り返ると、動画で何をしていいのかが分からなくて、それが一番の難点だった。動画で何をするか、広告で何を伝えるのか、何も決めることができなかったし、仮にテーマを決めても1分間という枠内に収めることができずに困った。
ようやく、動画広告のコツが分かった頃には、それから解放されるという皮肉な結末となった。動画広告のコツは、一切の説明をしないということだ。何かの主張だけを伝えることなのだ。また、主張を明確にするためには、若干、誇張した表現を使った方がいいのだ。ありきたりの主張でも、誇張を加えることでインパクトが生まれるものだ。
いずれにしても、何の説明もそこでやってはいけないのだ。それをやってしまうと時間内に収めることができなくなる。だから、何も説明をしないというのが鉄則だ。
説明をしなかったら視聴者に伝わらないんじゃないか、理解してもらえないんじゃないかといった心配も生まれるが、そうい心配は無用だ。視聴者は何も考えずに見る。あるいは、何かが伝わった感じがすれば、説明がなくても違和感を覚えない。そして、理解できてもできなくても、基本的にはどうでもいいのだ。そこまで真剣に見る人もいないだろうと僕は思うので、それでいいのだ。
さて、ここからが本題だ。動画広告では一切の説明を省いた。そこで省いた説明をこれからしていくことにするわけだ。
まず、「提言篇」から、つまり「カウンセリングで改善する人としない人」編から始めることにしよう。
動画では「改善」という言葉を使用したけど、ここでは「治る」「治らない」といった表現を使用する。それに対して、「病」とか「病気」「症状」といった言葉を使用することになるかと思う。もし、こういう言葉に抵抗感があるとか、癪に障るということであれば、何か他の言葉で言い換えても結構だ。「問題」とその「解決」とか、「悩み」とその「解消」などと、どんな言葉を入れ替えていただいても結構である。
動画では、その発言が「治る人」のものであるか「治らない人」のものであるかという形で、18個の問題を出した。一応、答えを言っておくと、すべて「治らない人」の言葉である。
確かに、「治る人」にしろ、「治らない人」いしろ、それら概念化することはできないものである。概念化できないとは、つまり、「治る人」とはこういう人で、「治らない人」とはこれこれこういう人であるというように概念としてまとめることができないということだ。
それに「治る」とか「治らない」とかいったことは、クライアントだけで決定されるものではない。同じようにカウンセラーとか臨床家だけがその決定に与るのではない。「治療」は双方の共同作業であるので、「治る」にしろ「治らない」にしろ、そこには両者の要因が入り込んでくるものである。
従って、ここではあくまでもクライアント側の要因だけに注目していることになる。でも、僕個人としては、決してカウンセラー要因を無視しているわけではないということだけはお断りしておこうと思う。ただ、広告の制限上、クライアント要因だけを取り上げているわけである。
ある程度の傾向として「治らない人」はこういう場面でこういうことをしがちであるとか、こういう状況ではこういう認識の仕方をして、そこからこんなふうに考える傾向があるとか、せいぜいそういうことが言えるくらいである。だから僕の考えが絶対的なものなどとは思わないでいただきたいのだ。
クライアントは、どの人も、他のクライアントがどういうことをしているのかを知らないものである。他の人をお手本とすることができないので、クライアントはそれぞれ自分の生身でその場に応じることになる。だから、その人の自然な姿がその場に持ち込まれることになるわけだ。
そして、カウンセラー側から見ると、そこがよく見えるように思うのだ。「治る人」と「治らない人」とでは、カウンセリングの場においても、やっていることが全然違うのである。考え方や認識、態度に至るまで違いがあるのだ。僕はそのように感じている。
時に、「治らない人」は、「なぜ私のことをよく知らないのにそういうことが言えるのか」などと詰問してくる。確かに、そういう人を何人も見てきたから分かるという部分もある。自分だけがそうだと彼らは信じてしまうこともあるようだけど、同じような人は何人もおられるものである。そうして、結果的に「治った人」たちと「治らなかった人」たちとでは、それぞれ異なった傾向があるように僕に見えてくるわけだ。
まあ、細かな説明はその都度していくことにして、動画で提示した問題に移ることにしよう。
一応、以下に動画広告の原稿を挙げておくことにする。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
動画広告原稿案
高槻カウンセリングセンターからの提言
カウンセリング(心理療法)で改善する人と改善しない人とでは、その認識の仕方、考え方、態度や姿勢など、決定的な違いがあります。
以下の発言は改善した人の言葉でしょうか、それとも改善しなかった人の言葉でしょうか。どちらと思いますか。
1「これが治ったら新しいことを始めます」
2「過去と他人は変わらないんです。自分が変わるしかないんです」
3「どうやったら治りますか?」
4「褒められたことがないので自分に自信がないんです」
5「話を聞くだけ、ヒアリングするんでしょう」
6「病気じゃないからカウンセリングは必要ありません」
7「なぜ自分がこうなったかはよくわかっています」
8「信用できない。信用できるカウンセラーを知りませんか」
9「ここに来ると問題がなくなるので、意味がないんです」
10「その話はこの問題とは関係がありません」
11「私、治ったんです」
12「治りますか?」
13「再発しませんか?」
14「ギャンブルしないという誓約を毎日100回唱えています」
15「怒らないようになりたいんです」
16「そのことはもう話しました」
17「どん底まで落ちました。何をやっても無駄でした」
18「人間は変わらないんです」
あなたの新たな発見と気づきを共に
高槻カウンセリングセンター
<尺 表>
00~10秒:開始~「~と思いますか」(A)
11~40秒:Q1~Q10を各3秒(B)
41~50秒:Q11~14、Q15~18を各5秒(C)
51~60秒:「あなたの~ラスト」エンド(D)
<映像と音声>
A:テロップとナレーション(背景未定)
B:一問ずつテロップで。
ナレーションは問題文を読む、もしくは「この人はどちらでしょうか」「この例はいかがでしょうか」「次の発言はどちらでしょうか」など
C:Q11~14はテロップで並列して提示
Q15~18―同上
ナレーションは「これらの例はいかがでしょうか」「この人たちはどちらでしょうか」
D:ナレーション、原稿読む
映像
「高槻カウンセリングセンター」
「答えは高槻カウンセリングセンターHPにて、『動画広告記念コラム集』ページに掲載中」
「カウンセリング料金1回6000円/60~70分
要予約。072-673-8180
10~20時。火曜日定休
阪急高槻市駅5番出口正面3階」

