<T026-32>筆のすさび(18):AC者(2) 

 

 AC信奉者はある種の因果論を有している。彼らが異口同音にして言うのは、現在の自分の状態の原因が親にあるというものである。それも彼の子供時代における親との関係である。 

 彼らはこの因果論を鉄壁の如くに信奉しているが、この因果論は驚くほど脆弱である。 

 因果を証明するためには次の二つの条件を満たす必要があると思う。まず、原因と結果とが時間的に近時であること。それと同じ条件が揃えば必ずその結果が認められることである。 

 

 まず、一つ目の条件から考えよう。原因と結果とが時間的に近くなければならないというのは、要するに、その間に他の要因が入り込んではいけないからである。実験などにおいてもそうであり、もし結果が出るまでに時間を要するようであれば、その期間にその他の要因が入り込まないような工夫がなされるものである。 

 もし、30歳のAC者が10歳までの子供時代における親子関係が原因で、結果として現状がもたらされていると信じているとしよう。原因から結果までの間に20年の開きがある。彼の信念を証明しようとすれば、何よりもその20年間における要因をすべて除外しなければならなくなる。当然、それは不可能である。20年間真空の世界に生きてきたわけではないので、必ず彼に影響を及ぼした種々の要因があるはずである。 

 僕のこの説に反論しようとすれば次のものがある。その因果は20年間絶えることなく続いていたということの証明である。この場合、僕はそこに20年間の開きがあると見ているのだけれど、そうではなく、そういう時間的な開きがなかったということを証明しなければならないのである。彼はその証明をするだろう。 

 それが証明されると、今度は次の疑問が生まれる。もし20年前から同じことが継続しているのであれば、現在の状況はまだ結果として認められないのではないかという疑問である。つまり、原因の部分が未だに存続しているのであれば、まだ結果は生まれていないと見做す方が適切ではないかということである。あるいは、原因の部分はすでに過去になっているけれど、結果の部分が繰り返し生じているということであれば、果たしていつその結果が生まれたのだろうかという疑問も生じる。 

 彼は言うかもしれない。12歳の時にその結果が現れたと。それならその因果はそこで成立しているわけである。それ以後の経験は、その結果を因にして生じていると考えることも可能ではないだろうか。12歳の時の結果が原因となって14歳の時の結果を生み、14歳の時の結果が原因となって16歳の時の結果を生んだというふうに考えていくことも可能ではないだろうか。しかしながら、どこまでも細分化できるのであれば、どこを因として何を果として見ていいかも覚束なくなる。そもそも、上記の場合、親が原因と言えるのは12歳時の結果に関してだけ言えるのであって、14歳時以後の結果では親の因果は徐々に遠のいていくことになる。 

 

 次に、因果を証明しようとすれば、それが繰り返し検証可能であることが条件であるわけだが、果たしてそれが可能であろうか。つまり、ある人にこういう原因があってこういう結果が生じているということを証明しようとすれば、他の人に対しても同じ因果が見られなければならないわけである。それもいかなる差異もその因果にもたらされてはならないのである。そんなことが可能であろうか。僕は不可能だと考える。 

 僕の見解はともかくとしても、人間に関する限り、因果を証明することは困難極まりないことであると僕は考えている。AC理論はそこを大胆なまでに簡素化する。本当は自明でもなんでもないことを自明であることのように説き、実証困難なことを易々と実証してみせたと信じさせる。僕には非常に危険な理論だと思えているのである。だから無暗に鵜呑みにしてはいけない理論なのだと思うので、もっと警戒しなければならない理論だと僕は考えている。 

 

(以下、中絶) 

中絶した理由あまり覚えていないけれどACついて書くことにウンザリしたといったところではなかろうか) 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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