<T026-24>筆のすさび(10):騙されるなかれ
開業当初はとにかく仕事を増やすということを優先していたので、今だったらお断りするようなクライアントでも面接していた。
開業初期の頃、自分探しのブームはだいぶん下火になっていたけれど、まだそれをやる人たちもいた。自分探しでカウンセリングを受けに来た人たちもある。こう言っちゃ悪いけれど、彼らには稼がしてもらった。
今だったら何と言うだろうな。自分を探しているの? ご苦労様、死ぬまで探してね、などと言うだろうか。実際そうである。
自分探しとは何を探すことなのだろうか、僕には意味不明の言葉である。探す主体が自分であり、探す対象である客体も自分である。双方が揃っていなければ成り立たない話だ。どちらか一方がなかったとしたら、つまり、主体の自分が皆無であったり、客体となる自分が皆無であったら、自分探しは成立しないことになる。
自分探しに必要不可欠なのは、主体となる自分と客体となる自分の、それぞれの自己形成である。そこで次のような命題を立てよう。「自己形成を成し遂げた人がどのような自分を形成したのかを発見することが自分探しである」としよう。
しかし、次の命題を掲げることができる。「人間は一生かかって完成を目指す存在であり、生きている限り常に自己形成の途上にある」と。
この二つの命題は背理を生じる。人間は死んでからでないと自分探しができないということになり、死んでしまうと自分探しもできなくなるからである。
だから、自分探しをしたい人はどうぞ、としか言いようがない。僕を当てにされてもしょうがないですよ、と言いたい。
一言だけ言っておくと、自分探しをする人たちは、どうも自分自身を体験することがないように思う。自己の感覚が希薄なのだろう。もしそうであるとすれば、自分探しなんぞをするより、日々の生活をもっと意識的に、もっと自己覚知的に送る方が良さそうに思う。
さて、僕は思う。クライアントを騙すことは簡単なことである、と。ただ、僕は騙す側よりも、その騙しを解明したい側に立ちたいと思う。それは後で記すとして、なぜ、クライアントは騙されやすいかということを述べておこう。
簡潔に言えば、彼らの主体性が弱まっているからである。彼らの自己確立が不十分であるからである。もしくは、彼らがそのような状態にあるからである。あるいは彼らの心の中が混乱しているからである。
相手や場の雰囲気に呑まれてしまったり、心地いい響きの文言がアッサリと心の深い所にまで侵入したり、相手の口車からバラ色の妄想的観念を発展させてしまったり、そういうことが彼らの中で起きてしまうのだと思う。また、思考が停止し非論理的思考(これはつまり感情的な思考である)に陥りやすかったり、思い込みが激しくなる傾向を持っていたりする。今の話に少し補足をしておこう。思考は高次精神機能であるので、心の病では早い段階で損なわれてしまうものである。思考が機能しなくなる分、感情(感情には高次の感情もあるけれど、思考よりも低次の精神機能と見ることができる)が優位に立つわけだ。こうして思考ではなく、感情で判断してしまうことになるわけだ。
いくつか例を。
ある女性はネットで無料の占い鑑定をやってもらった。それはそれで良かったのだけれど、後日、一方的に占い鑑定が送られてくるようになった。それが続いて、今度は占い師の方から今までの鑑定料を払えと催促してきたのだ。彼女はどうしていいか分からず、僕に相談したわけだ(この女性は他の訴えで来談されていたのだけれど)。
これは話は簡単である。売買契約を交わしていないのである。鑑定して後から料金を請求しますというようなことは書かれていないし、今後の鑑定が必要かどうかも尋ねられていないのだ。押し売りと変わらんわけだ。もっと言えば、一回の鑑定料も記載されていないし、それどころか無料と謳っているのだ。こんなの支払う必要はないのは一目瞭然である。
しかし、彼女は恐れる。支払わなかったらどんなことされるか、などと恐れるわけだ。姿の見えない占い師だけに怖いと思うのかもしれないけれど、何か特別な能力を占い師は持っているのではないかなどといった恐れもあるかもしれない。ここは論理的に考えよう。
僕は占いには懐疑的だけれど、それは脇へ置いておいて、もし、本当に優れた占い師であれば「無料鑑定」のようなことはしないはずである。本当に能力のある人であれば、そんなことせずともお客さんが殺到しているはずであり、無料鑑定なんてことをやってる余裕すらないだろうと思う。だから、この占い師に特別な力があるとは信じられないということになる。彼女は恐れから相手をより強力な対象として見てしまうのかもしれない。
次に、この手の詐欺まがいの行為は、一人のカモに粘らないだろうということだ。見込みがなかったら、その人に時間を割くよりも、新しいカモを見つけ出す方が彼らにとって得策である。従って、無視しておいたらそのうち相手の方からどっかへ行ってしまうだろう。それでも何かしてきたらその時はその時で考えればいいだけのことだ。
ある若い男性はダイレクトメールで知り合った女性とやりとりを愉しむようになった。その女性というのが、20代で、医師で、紛争地域に医療従事しているとのことらしい。そして、情勢が悪化してきたので日本に帰りたい(これが医者の言うことか?)ので、荷物を送付して彼に預かってもらいたいと頼んできた。
こんなもん引き受けたらどんな役割を担わされるか分かっちゃもんじゃない。その荷物がヤバイ品物だったらどうするんだ。僕は彼に断れと伝えた。
20代で医師免許を持ち、外国の紛争地域で医療に従事しているというが、んなアホなと言いたい。日本(海外でも同じだろうけれど)で医師免許を取ろうとすれば、ストレートに行っても20代後半くらいである。医師免許取得して、病院勤務をしなければならないだろう。いきなり紛争地域に行けるわけがない。従って、この女性の話には矛盾しか感じられなくなる。彼女の話が本当なら、彼女の年齢は若くても30代とか40歳でなければならないだろうし、彼女の年齢が事実なら医師というのはウソっぽく聞こえてくる。恐らく後者だろう。彼の年齢に合わせて言っているだけのようにも思える。
僕が彼に伝えたことは、とにかく、どんな連中であるかが分からないので、こんな奴らと関わるな、ということだ。
詐欺にはいくつかの方法がある。その一つを述べようと思う。あなたはその詐欺師の訪問を受けているとしよう。
詐欺師はこういう話をするかもしれない。あなたにはこれこれのことが起きませんか、これこれのことを体験していませんか、といった話である。あなたが不安に思うという体験を話すのである。
その話が、あなたにとって「ピッタリ当てはまる」というものだったとしよう。実はこの時点で既に詐欺に引っかかっているのである。そして、自分のことをピッタリ言い当てられているということで、相手に対してある種の見方が形成される。何か特別な力を持った人間であるかのように相手のことが見えてしまう。
その話が自分にピッタリ当てはまるとなると、詐欺師は親切にもその原因を示してあげるのである。これこれのことが起きるのは、これのためであります、と。実はその現象と原因とが本当につながっているのかどうかは不明である。それでも、あなたはその詐欺師が特別な力を持った人間に見えているので、そんな疑問が沸き起こることなく、無条件でその言葉を信じてしまうかもしれない。
次に、原因除去を詐欺師は提案するのであるが、あなたはすでにその提案を受諾しているようなものなのだ。無条件で受け入れる態勢になっているのだ。
さて、あなたの心の中でどういうことが起きているのかということを述べるとたいへん長くなるので簡潔に述べておこう。本当は割愛してもいいのだけれど、こういう割愛が人を騙す手段にもなるので、いちいち説明しておこう。
まず、相手は不安を喚起するような場面とか現象をあなたに話す。この現象は多くの人が経験する類のものであって、あなただけが特別に体験している類のものではないのだ。この話によってあなたの不安が喚起されると、あなたは自分自身が頼りない人間に思えてくるかもしれない。つまり、その不安に圧倒されそうになっているのだ。こうして不安が高まると誰かに縋り付きたいという依存心が生まれるかもしれない。要するに心的退行がもたらされているわけだ。そこに自分のことをピタリと言い当てる優れた人間が目の前にいるのである。都合のいいことに、無力な自分の前に万能な相手がいるのであるが、これは要するに親子関係の転移である。あとはこの転移関係に支えられて話が進むのだ。その現象の原因がこれだと相手から指摘されても、それはちょうど親の言うことを聴く従順な子供のように、あなたはそれについて深く考えることもなければ、現象と結果の連関性について懐疑することもなく、その言葉を鵜呑みにしてしまう。そして、詐欺師が儲かるような解決策を提示すれば、あなたはそれがすべて正しいと信じ込んでしまうだろう。尚悪いことに、周囲の人があなたに反対するとしよう。それは詐欺だと指摘しても、あなたはむしろ詐欺師の方を信じる。これが転移ということの恐ろしいところである。親が間違っていてもそれを正しいと信じ込んでしまうのである。無力な幼児がそうしてしまうようにである。
さて、この話はまだまだ続きそうであるが、そもそも書いていて面白くなくなってきた。続きは次回にて展開するかもしれないし、しないかもしれない。筆のすさびで書いていくので、機会があればまた取り上げよう。
ちなみに、僕は騙す方ではない。クライアントさんがたまにいうのだけれど、僕は変化球を投げてくる、と。騙すつもりなら直球を投げ込むだろう。クライアントに「イエス」と言わせるようなことだけを言うだろう。それに人を騙そうと欲すれば、こんなサイトやブログを書いているようではダメである。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)