#008-22>親と子(2) 

 

(その子なりの強さがある) 

 前項で「自己完結型」と「他者巻き込み型」というタイプを区別しましたが、いくつか言い残したことがあるので、本項で補足しておきたいと思います。 

 一般的に「他者巻き込み」型の問題行動は幼い子供によく見られ、子供が年長になるほど「自己完結」型の問題行動になると考えられています。 

小中学生だと、いじめとか、ケンカとか、不良集団に入るとか、不登校でも親や周囲を過度に巻き込む形でやったりすることもあります。何らかの形で他者を巻き込むような形の問題行動がよくみられるということであります。 

これが、例えば大学生くらいになると、憂うつでふさぎ込むとか、無気力になるとか、人知れず自傷行為をするとか、不登校でも誰にも知られない形でひっそりと行うとか、隠れて強迫行為をするとか、他者に関与せず、個人内で完結しているような問題行動が見られたりするということです。 

 しかし、このことから、「他者巻き込み」の人の方がより未熟であるとか、そういう早急な判断は下さない方がいいでしょう。そこには退行の度合いもあれば、その子供のパーソナリティ傾向も関係してくるので、短絡的に、図式的に当てはめることは控えた方がよろしいかと私は思うのです。 

 「他者巻き込み型」で、母親をしょっちゅう困らせる子供は、常に問題とか苦痛の源泉を意識しやすい状態にあると考えられるので、過度に敏感であると言えるのかもしれません。事あるごとに、何かの拍子で、それを敏感に感じ取ってしまい、意識に上がらせてしまうのかもしれません。 

 一方、「自己完結型」は、苦痛の源泉が意識に上がることがないだけであり、意識に上がっても意識されないとか、いわば感情が乖離していたり過度に鈍麻していたりしているのかもしれません。 

 決して、どちらが優れているとかいうような判断はなさらないでいただきたく思うのです。 

 では、どうしてこのような二つのタイプを私が挙げたのかと言いますと、子供がどちらの型に属するかによって、対応や考え方が異なってくるからであります。例えば、子供にじっくり付き合いましょうという提言は、「自己完結型」には望ましいことであるかもしれませんが、「他者巻き込み型」では好ましくないことになるのです 

 「自己完結型」の子供は自己表現をしていくこと、自己開示していくことが望ましいことであっても、それとは反対に「他者巻き込み型」は自己抑制していくことが望ましいことであるかもしれません。 

 子供と会話する場面でも、「自己完結型」の子供に対しては、あまり介入せずに話してもらう方がいいかもしれません。「他者巻き込み型」の子供の場合、質問したり確認したりなど、こちらがもっと積極的に介入した方がいいかもしれません。 

 親が厳しく叱ると、「自己完結型」はそれを内に溜め込んでしまうので望ましくないかもしれません。一方、「他者巻き込み型」は、時に叱って、制止をかけなければならない場面も出てくるでしょう。 

 一方のタイプで望ましいことが、他方のタイプではそうではないということが起こり得るのです。ここをきちんと押さえておかなければ、親たちは混乱してしまうと私は思うのです。 

 私も経験があります。ある母親から言われたのでした。この母親は私のサイトを熱心に読んでくれている人でした。その人が、なぜあそこに掲載されていた事例ではこう言っていたのに、今は違うことを言うのだと、私に詰め寄って尋ねるのでした。 

 確かに、私はその事例で述べていたことと違うことをその母親に伝えています。私も指摘されて初めて気が付いたくらいでした。でも、その理由は簡単なことなのです。その事例の子供と、その人の子供とが同じではないからです。その点をよく説明すると、この母親は理解してくださいました。 

 親たちは子供のタイプとか性格傾向というものを無視してしまうという誤りをやってしまうのです。本にこう書いてあったから試してみよう、サイトでいい助言を見つけたから実践してみよう、そういうことをされる親もおられるのですが、そこでは子供の傾向とか個性が無視されているのです。 

 それで、「やってみたけど何もならなかった」と嘆く親もおられるのです。子供の傾向や個性を無視してそれをするというのは、子供に合わせてやり方を変えるのではなく、やり方の方に子供を適合させるということであります。うまくいかないのが当然であるように私には思われるのです。さらに、やり方云々の問題ではなく、それに適合させられることに子供が反発している可能性もあり得るわけですが、この親たちにはそこが見えなくなっているのだと私は思うのです。 

 

(地位) 

 これまで、子供のタイプを見てきました。「他者巻き込み型」と「自己完結型」と呼んでいます。これは行動化するかしないか、外化するか内化するかといった違いを表しているわけです。もちろん、どの人も両方の傾向を有しているものであり、大体において「他者巻き込み型」であるとか、どちらかと言うと「自己完結型」の傾向が強いといった程度にしか言えないものです。完全に一つのタイプに納まるという人はいないものであります。 

 もう一つの視点として、ここでは家族内での地位ということを取り上げます。 

 基本的に、家族内において劣位にある人、低い地位にある人にこういう問題が起きやすいと言われています。家族であれば子供に生じるわけであります。子供が複数いる場合では、末子に生じやすいと言われています。 

 ただし、最後のことはあまり杓子定規に受け取らない方がいいと私は考えています。長子が劣位にあるといった例もあるからです。三人兄弟の場合だと、真ん中の子供が劣位にあるといったこともあることです。 

 地位が低いとか、劣位にあるというのは、いささか抽象的な表現でありますが、その子供だけ影が薄いとか、目立たないといった状況がよく生じるということです。家族の中で蚊帳の外といった立場になる子供です。別の表現をすれば、その子供だけあまり気にかけなくても良かったといった状況があるということです。 

 例えば、このような例もあります。上の子は問題ばかり起こして、親たちはいつも振り回されていました。下の子は優秀で、目立つことはありませんでした。親たちは上の子にばかり注意をしてきましたが、大人になって、上の子はなんとかやっていけるようになったのに、下の子は引きこもり状態になったというのです。 

 親たちもこの子供を故意に無視したつもりはありませんでした。上の子に手を焼いていて、下の子にまで注意が行き届かなかったのです。それに、親たち(他の大人たちも含めて)は、子供の成績が優秀であると子供には「問題がない」とみなしてしまうという誤りをしてしまうのです。こうして下の子は家族の中にいながらも、存在感を発揮することなく過ごしてきたように私には思われるのでした。 

 ちなみに、この子供たちは、上の子は「他者巻き込み型」であり、下の子は「自己完結型」であると見ることも可能であります。「問題」が顕現化した年齢の違いも関係していることでしょう。同じ家に育った兄弟でもタイプが正反対になり得るのであります。 

 問題があるとみなされている子供は、家族の中で立場的に低い位置におり、家族の中心になることがなく、周辺領域で家族とつながっていたように思われるケースに私はよく遭遇するのです。もちろん、地位とが周辺というのは、可視的な状況を指しているのではなく、心的な布置であり、あくまでも比喩的表現であります。家族が揃っていても、その子だけ輪に入っていなかったり、その子だけ別のことをしていたり、また、焦点がその子に当たりそうになるとその子が席を外したりするなどなど、どこか家族の周辺、あるいは辺縁に位置してきたような子供が多いという印象を受けています。 

 この観点を持つと子供をいかにして外で働かせるかではなく、いかにしてこの子供家族の和の中に入ってもらうかを考えるようになる親も現れるのです。私はそれはそれでいいことだと思います。 

 一つ視点が増えると、一つ対処に広がりが生まれるものであります。子供の家族内での位置を考えてみることも無駄ではないと私は思います。 

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

 

PAGE TOP