<T027-2>『呪われた医師たち』(1)
昔、テレビドラマ「白い巨塔」で、主人公たちがアウシュビッツ強制収容所を訪れるシーンがあった。そこに現地の人が来て、「ここ(収容所)で残酷な人体実験がなされた」という話をした。主人公は「私は医者だ、そんなことはしない」と反論するが、現地の人はいささか軽蔑を込めて「その医者が実験をしたのだ」と応じた。どういうわけか僕の中で強烈な印象を残したシーンだった。医者といえども聖人ではないことを暗に仄めかしているようだった。
戦争学入門の第1冊目に取り上げたいのは、その人体実験に加担した医師たちの記録である。クリスチャン・ベルナダク著『呪われた医師たち』を読んでいこう。僕は本書を数回読んでいるが、読むたびに胸がむかつく思いがする。できれば読みたくない一冊なのだけれど、不快な歴史から目を背けるわけにはいかないと思い、勇気をだして、自分に鞭打ちながら再読することにする。
実際、本書は吐き気を催すような描写に満ちている。内容が内容だけにそうならざるを得ない。だから、その本について僕が書くものにもそれが現れるだろうと思う。読む人は閲覧注意でお願いしたいところである。
1「最初の大実験」
1942年2月22日。ワルター・ネフはシグムント・ラッシャーとロンベルク医師による高度実験の被験者となった。戦闘機の操縦席に模した箱状の装置に被験者を入れ、気圧を下げていくことができる。高空状態を人為的に作り出せる装置であり、気圧を調整するハンドルはラッシャーが握っている。どこまでも気圧を下げていく。装置の中のネフに苦悶の表情が浮かび、酸素を求め、顔色が変わり、手足をジタバタさせる。やがて痙攣性硬直が見られ、それは後弓反張に進展していく。高度が下げられ、装置の外に出たネフにラッシャーは質問を浴びせるが、意識障害や見当識障害が見られる。これで実験は終了となる。ネフは生き延びたが、この実験で命を落とした囚人は数多い。
この最後は死に至る実験に加担することになったロンベルク医師は、この実験の無意味さを悟っていながらもそれを止めることができず、ニュルンベルク裁判では無罪となった。それというのも、彼はラッシャーの権威に従わざるを得なかったからである。ヒムラーの庇護を受けていたラッシャーには絶大な権力が与えられていたのだ。
2「寒冷から起こる死」
海に落ちたパイロットたちや遭難した海軍たちは救助された後に死亡してしまうことが多い。寒冷による死である。
ヴェルツ教授は、モルモットで実験をして、致命的な寒冷であっても40度のお湯につけると回復することを発見した。この発見はラッシャーを狂喜させた。それを今度は人間で実験しなくてはならない。かくしてダッハウに実験装置が組み立てられた。囚人たちは体温が致命的になるほどに下がるまで氷水の桶に入れられ、回復させられた。何人かは死に、その他は後遺症を残した。
また、ラッシャーは次のような実験もやっている。これは「漁師たちは凍えて死にそうになると、かみさんに一緒に寝てくれと頼むんだ」というヒムラーの言葉に端を発したものだ。囚人たちを氷水につけ、その後、女の寝ているベッドに連れていき、そこで体温が回復するかどうかを観察したというものだ。まったく無意味でワイセツな実験である。
さらにラッシャーは氷水の中で人間がどれだけ生きながらえるかの実験や、極寒の屋外に囚人を置き、冷水を幾度と浴びせて朝まで放置するといった実験もやっている。
3「ニニ、ぼくらは百万長者になるだろう」
半ユダヤ人であったロベルト・ファイクスは「ポリガル10」を完成させる。これは錠剤であり、既成の止血薬の数倍の効果が認められるものだった。ラッシャーはこれを大量生産させ、外国に密輸して一儲けしようと企むのだが、その目論見がバレてしまい、親衛隊に逮捕され、処刑される。ラッシャーの妻ニニもまた処刑される。
本書の1章から3章まではダッハウ収容所におけるシグムント・ラッシャーによる人体実験が綴られている。最後に処刑されたと読んでも同情する気持ちがまったく生じず、むしろ手を叩いて喜びたいほどであった。願わくば戦争裁判で処刑されてほしかったとさえ思う。
では、シグムント・ラッシャーとはどのような人物であろうか。彼より16歳年上の妻ニニはヒムラーと親しい間柄であり、ニニを通じてヒムラーの恩寵を受け、ラッシャーに権威が付与されていった。ヒムラーに取り入るためにニニを利用したのかもしれない。
その頃のドイツでは、人体実験は、それが国益に資するものであれば、いくら実験してもよく、ヒトラーはそれを積極的に推奨していた。人体実験は公認されていたのである。彼らは良心の呵責なく、人体実験を行えたのだ。
ダッハウでの実験は、公開されるものの他に、非公開でラッシャーが個人的に行っていたものもあった。彼は大学でポストを得ることを目指しており、そのためには実験が不可欠だった。収容所で行った数々の実験は単にその動機に基づいていたのかもしれない。
ラッシャーの冷血ぶりは実の父親をゲシュタポに密告することにも見られる。さらに、ニニとの間に3人の子供がいたのだが、これは実は女中に産ませたものであった。こういうところから、彼はニニを利用していたのだと僕は仮定している。二人の間に愛情なんてあっただろうかと思う。
実験は第1章と第2章で描かれているように、一つは高空実験であり、もう一つは寒冷実験であった。高空実験の方は、動物によって10万メートルの高度までの結果がすでに出ていたのである。また、ヴェルツ教授による発見も、ロシアのレプチンスキー教授が凍傷で倒れた人間を40度の風呂で回復させることに既に成功していたのだ、それも19世紀の時点で成功させていたのだ。要するに、どちらもすでに結果が出ている実験だったのである。ダッハウで行われたのはその結果を再確認するだけの実験であり、なんら新しい知見をもたらすことのない実験にラッシャーたちは携わっていたことになる。彼らの無知さに加えて、実験の無意味さのほどが知れるというものである。この無意味な実験にどれだけの犠牲者が生まれたことであろうか。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

