<T026-29>筆のすさび(15):薬に関して
僕は医師ではないので薬物に関しては素人に等しい。多少の勉強はした経験があるものの、それでも素人に毛が生えた程度のものでしかない。
ところが、薬に関する不安を僕に問い合わせる人たちもけっこうおられる。いまだにおられる。こういう人たち、並びに、薬ということに関して、僕の思うところを綴っていこうと思う。
まず、問い合わせる人たちの多くは薬に対して不安を持っている方々である。僕は決して「薬なんて飲まなくていいですよ」などとは言わない。薬を処方したお医者さんと相談なさってくださいとしか言わない。
その人が薬を服用しているということは、その薬を処方した医師があるわけであり、その医師の考え方や方針もあるだろう。それに、それはその人(患者さん)と病院との間の取り決めであるので、第三者である僕が口出しできる立場にはない。ちなみにこれは契約観念であると僕は捉えている。病院並びに医師とその患者さんとの間で交わされている契約なのである。その契約においては僕は部外者である。
薬に関する恐怖感は、その人(患者さん)の知識不足に基づいているかもしれない。一般の人の精神医療に関する知識はかなり遅れているという印象を僕は受けている。50年から100年程度は遅れているとみなしている。
1950年代、昭和30年頃に精神薬は飛躍的に改良されたのである。いい薬が登場したわけである。それから今日まで改良が重ねられているので、現在の薬は安心して服用していいものである。言い換えれば、薬に関しては、少なくとも70年近くのデータが蓄積されているのである。不具合のある薬があれば、それはデータとして上がってくるので、それは改良されるなり、別のもっと安全な薬に置き換わったりしているのである。
また、精神薬に対する不安は、それが脳や神経に働きかけるというところにあると僕は思う。しかし、考えてみれば、脳や神経に働きかける薬なんていくらでもある。僕が足が痛い時に服用する鎮痛剤のような薬だって、脳や神経に作用しているのだ。医薬品のすべてとは言わないけれど、大部分のものは何らかの形で脳や神経に作用するものだと言ってもいいと僕は捉えている。精神薬だけ特別というわけではないのである。
処方される薬は、完成までに幾多の研究や治験を繰り返して安全性を確証してきたものである。不安に思うのは、その不安自体がその人の症状であるのかもしれない。
副作用の問題が薬にはつきものである。薬を服用しているけれど、副作用が激しくて、このまま服用を続けてもいいか、などと僕に訴える人もある。それこそお医者さんに相談しなさいと答えなければならない質問である。
恐らく、副作用というものは普通に現れる。最初に強い薬を処方して、徐々にマイルドな効用の薬にしていくという方針を医師が取っている場合もある。それでも効き目が強すぎて困るということであれば、もう少し効き目の弱い薬に替えてもらえばいいのである。薬物療法は、患者さんと医師とが二人三脚でやっていかなければならないものである。そのような不安を訴える人はそのような感覚をお持ちでないのではないかとも思う。つまり、薬というものは医師から一方的に処方されるものであって、患者はそれを無条件且つ受身的に服用しなければならないという感覚が強いのではないかとも思うのである。
薬を処方されたけれど、服用したくないと訴える人もある。僕の意見としては、その人がその病院を選んで受診しているのであれば、その病院の処方に従わなければならないということである。その病院の患者さんである限り、その病院の方針に従いなさいというわけである。
薬を服用したくないという訴えは3パターンくらいあると僕は思うのだけれど、一つは今述べたようなものであり、治療やその病院ないしは医師に対しての何らかの抵抗感に基づくものである。
二つ目は自分の症状の過小評価である。この程度の症状に薬なんて必要なんだろうかと、その人が自己判断してしまうというわけである。薬なんて大げさだということだ。すでに述べたように、それでもその病院で治療を受けるということであれば、その病院の方針に一旦は従いなさいと僕なら答える。それと肝心な点は、投薬は症状の軽重に関係ないのである。症状が軽いとしても、薬が有効であるなら服用すればいいのである。薬を服用する人は重症患者であるという偏見がどこから生まれるのかは不明である。軽症の症状であっても、薬が功を奏するとなれば、医師は薬を処方するものである。
もう一つは薬だけで治すということに対する抵抗感である。薬を服用することは構わないけれど、果たしてそれだけでいいのだろうかという不安感である。これにはさらに二つのパターンがある。一つはすでに述べたような、薬に対する不安感に基づいている場合である。薬の副作用の問題もそうであるし、薬に依存しきってしまうのではないかという不安もあるだろうし、薬に対する耐性がついて効果がなくなり多量に服用しなければならなくなるのではないかといった心配をなさる方もおられた。つまり、薬を服用するのは構わないけれど、それによって二次的な問題が生まれてしまうのではないかという不安である。この二次的な問題を想定すれば、薬だけでやっていくことに疑問が生まれてしまうというわけだ。
もう一つのパターンとして、「自力で治したい」という願望がある。薬に頼らず、自力で何とかしたいという気持ちである。それが薬を服用し続けていいのかという気持ちに関わってくるのだと思う。この気持ちには正しいところのものもあれば、誤っているところのものもあるように思う。
その違いを端的に言えば、「薬に頼らず自力で何とかしたい」という気持ちが治療のどの段階でその人に生じたかによって異なると僕は考えている。薬物療法を始めて初期の段階でそのように言うとすれば、それは薬や治療に関しての不安や抵抗感の現れといったニュアンスが強いように思う。
もし、治療の後期に至って、その人の最初に抱えていた症状がかなり軽減された段階でそのように言う場合、その人は「自分がその症状を克服した」という何らかの体験を求めているのかもしれない。薬を服用して、言わば受身的に治癒を体験しているだけであり、そのために治癒に対して自信が持てないという気持ちの現れであるかもしれない。自力で何かをやったという感覚が持てないと不安になるのかもしれない。そのようにも思うのである。
さて、他にも述べたいところのものもあるけれど、この辺りで筆を置こう。薬のことを僕が書いたところで、誰の役にも立たなさそうだ。薬に関しては、どんな問い合わせをしようとも、僕は薬を処方したお医者さんに相談してくださいとしか言わないので、今後はこの種の問い合わせは遠慮願いたいところである。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

